15:異世界生活思い知りました ~榊原 透~
俺達は焚き火を囲んで夕食を取っている。
メニューは昼に捕れたわんわんの焼き肉となっております。適当に切って塩を振って焼いただけの簡単なものだった。
犬型の魔物を退けた後、シャイヤン達のクエスト内容である薬草収集に付き合っていたら日が傾いてきたからだ。
適当なところで切り上げるつもりだったのに迂闊だった。まだ明るいとも言える時間から夜営するだなんて言い出すとは。
覚えたての言語で現地の人と会話が成立することが嬉しく、つい遅くなってしまった。
ウィルさん心配してるかな……。でもこんな暗いなかを一人で歩きたくないし、この二人に送ってもらうわけにもいかない。
準備を始める段階になってから俺だけ帰ると言っても、はいサヨナラとはならないだろう。この二人も心配するだろうし、変なことを疑われるのもよろしくない。
そんなことで、ウィルさんとエティには申し訳ないが、初めての外泊をすることとなった。
ちなみにこの二人、大柄な方がシャイヤン・ゴーダー。小柄な方がスニーオ・ボンリーバという名前らしい。
姓まで名乗ると更にやばい連中でした。
二人はそれなりに名前の売れた冒険者らしく、この近くの村に立ち寄った際、流行り病が広がっていたとかで、特効薬になる薬草を採りに来たそうな。
「しっかし、昼間は本当に助かったぜ。命の恩人だな。心の友って呼んでもいいか?」
「それはやめて。本当にギリギリだからそれはやめて」
こいつら危険すぎる。
「えーと、トールの姓ってサカキ……バラ? だっけ? この辺では珍しい名前だよね。ひょっとして別の大陸から来たりしたのかい? この森では何を?」
「あぁ、まあ遠くからかな。ちょっと事情があってね。散歩をしていたんだ」
「この森、かなり強い魔物をうろついてるのに、一人で散歩とかよくやるね。僕らは二人でも何とかって感じなのに。荷物だってそんな持っているようにも見えないし……」
スニーオの方はシャイヤンと比べて慎重な性格をしているようだ。俺のことを怪しんでいる様子がある。
「そんなこと、どうでもいいじゃんかスニーオ。トールは俺達の恩人。危ないところを助けてくれたんだ。それでいいだろ」
シャイヤンはそう言って、肉をがぶり。
見た目と同じようにかなり豪快な印象を受けるな。
「まあシャイヤンがそういうなら……。僕だって危ないところだったわけだし……」
「できればお互い詮索はよそう。冒険者ってそういうならものだろ?」
「そうだそうだ。その日その日を精一杯生きる。それが冒険者ってもんだ。細かいことは置いとこうぜ! 俺達だって探られたくないことくらいあらあな!」
適当に言ったセリフに、シャイヤンが合わせてくれる。
こっちの世界のシャイヤンは好感が持てるなあ。仲間思いのいい奴だ。映画版なのだろうか。
「ところでトールはこの後どうするんだ? 俺達は朝になったら村に戻るつもりでいるんだが。一緒に来るか?」
「んー。いや、俺はもう少しぶらぶらしてみるかな。ちなみに村ってここから遠いのか?」
「普通に歩けば1日ってところだな。もちろん魔物もいるし、夜通し歩くわけにもいかないからまあ2日見とけばいいと思うぜ」
「なるほど、それじゃ今度改めて訪問してみるかな。明日は止めとくよ」
せっかくの好意ではあるが、あんまり家を離れるわけにもいかないだろう。村には行ってみたいけどまた次回だな。
そのまま焚き火を囲んで歓談すること数時間。そろそろ交代で見張りを立て、さて寝るかという段階になったとき、そいつらは現れた。
始まりは唐突だった。
見張りの順番を相談していたら、バサッという音と共に、いきなりシャイヤンの右腕が掻き消えた。
突然の事に、一瞬時が止まったかのような錯覚を覚える。
腕を失ったシャイヤン本人ですら、何が起きたのかわかっていない。
一拍置いて、傷口から冗談みたいな量の血が吹き出したとき、ようやく事態を理解する。
足元にシャイヤンの右腕と、それをかじる犬のような魔物がいた。
「があああああああああ!!」
シャイヤンが獣のような悲鳴をあげる。
すると、まるでその悲鳴が合図であったかのように、周囲に魔物が現れた。
犬のような魔物……シャイヤン達はウェルフと呼んでいたか……は一体どこに隠れていたのか、次々と集まってくる。
周囲はしっかりと見張っていた。油断したつもりもなかった。
まさか、音も立てずに犬が頭上から降ってくるなんて
、想像だにしていなかったのだ。
だがしかし、その想定外の出来事により俺達は窮地に立たされている。
「フリーズバイト!!」
スニーオから放たれた氷の牙によって、足元のウェルフは葬られた。
「シャイヤン! 大丈夫か!?」
「腕が! 俺の腕ええええ! あぁぁぁあ!!」
スニーオがシャイヤンの元に駆け寄るも、動転していてまともな返事が返ってこない。
シャイヤンはタンカーだ。敵の攻撃に耐え、仲間を守ることがその役目となる。
では、タンカーが片腕を無くしてしまったらどうなるか。盾役を失った後衛の末路は見えている。
俺の手持ちの回復薬は残り一つ。できれば自分用として残しておきたいところだが、背に腹は変えられない。
どっちみち、このままでは全滅するしかないだろう。
先の不安か今の危機か。迷うまでもなかった。
「スニーオ! シャイヤンを押さえとけ! 薬を飲ませる!」
「あ……あぁわかった! シャイヤン! 落ち着け! 落ち着けって! トールが治してくれるからっ!!」
叫びつづけるシャイヤンをスニーオに任せ、落ちた腕を拾う。腕はウェルフにかじられて所々肉が抉れ、骨が覗いていた。うえぇ、グロい。でも今は気にしてる場合じゃない。
スニーオの言葉で多少は冷静になれたのか、大人しくなったシャイヤンの傷口に腕を押し当て、回復薬を渡す。
「ほれシャイヤン! さっさと飲め! もういつ襲ってくるかわからん!」
「ぐうぅ! すまねえトール、すまねえ!」
回復薬を飲み干したシャイヤンの腕はすぐに繋がった。抉れた腕が再生していく様はあまり見ていたくない。なんかピンク色のお肉がぼこぼこしてた。
ふぇぇ……気持ち悪いよう……。
腕が元に戻ったシャイヤンは剣を抜き、俺たちを守るようにウェルフの前に立ちはだかった。
「ありがとうなトール。ちょっとまだ違和感はあるが……。戦闘に支障は無さそうだ! すまねえ、手間をかけたな!」
「よし、なら反撃だ! といっても見た感じ10匹以上いるんだけど、勝算はあるか?」
「俺とトールで背後を庇いあう。スニーオは俺達の間からトールの援護だ。確実に数を減らしていくぞ!」
「了解。僕のところまでウェルフが来ないように頼むよ!」
「全く自信は無いけど……。まあやるしかないか。なんとか耐えるから、オフェンスは頼むよ」
シャイヤンと二人、互いに背を向けて一歩ずつ前に出る。野生の魔物に俺の攻撃が通じるとは思えない。ウイルさんの結界を信じて囮に徹しよう。
あとはスニーオとシャイヤンの火力に期待だ。
腰から相棒を抜き、中段に構える。
すると武器を持ったことで警戒したのか、じりじりと包囲を狭めていた動きが止まった。唸り声をあげながらこちらを、睨み付けてくる。
超怖い。泣きそう。
やがて痺れを切らした一匹が、俺に向かって飛びかかってきた。
俺はそいつを空中で迎撃しようとして……。
見事に空振った。
空振りで隙ができた俺の左腕に、飛びかかってきたウェルフが噛みついてくる。
ガチンという音。
腕に衝撃を感じるが、それだけだった。
シャイアンの腕を一瞬で切断した、剣のように鋭いウェルフの牙は、ウィルさんのかけてくれた結界を越えることはできなかった。
よし、いける!
心のなかで確信する。
相手の攻撃が効かないというのなら、恐れることは何もない。こちらの攻撃も当たらないけど、そこはスニーオに任せればいい。
俺の役目は、こいつらを後ろに通さないこと。
俺が噛まれた瞬間を見た、スニーオの驚いたような気配を感じるが、今は構うまい。
言い訳なんて後から考えればいい。死んでしまえばそれもできないのだから。
「フリーズバイト!!」
スニーオの魔法が発動し、俺に噛みついたウェルフを絶命させる。
これでこっちの残りは4匹。
シャイヤンの方がどうなっているか気になるが、流石に振り返るほどの余裕はない。
金属の打ち合うような音は継続して聞こえてくるから、まだ生きていることは間違いないだろう。
「っしゃあ! かかってこいや!!」
剣を構え直して叫ぶ。その言葉に怯えたか、警戒していたウェルフ達が怯む。
そこに向かって斬りかかろうと一歩踏み出したそのとき……。
なんとなく、空気が変わったような気がした。
嫌な予感。以前に一度経験したこの感触。
あれは半年前だ。前にエティと一緒に外に出た時。
いや、正確には外に出て家に帰ったあとだ。
ウィルさんからかけてもらった防御結界が消失した瞬間だ。あの時にふと感じた無力感と同じだった。
結界魔法には時間制限がある。それはわかっていたことだ。
しかし、まさかこのタイミングで?もうそんなに時間がたったのか?それとも噛まれた事も関係あるのか?
やばい。頭がパニックになる。一歩踏み出したままの姿勢で体が動かない。
汗が止まらない。体は硬直しているのに脚だけが震えている。
ちくしょう。なんで今なんだよ。なんであと一時間早く襲いに来なかったんだ。
どうしてこうなった? 二人を助けたからか?
あの時、見捨てて逃げるのが正解だったのか?
違う。助けたのは俺の判断だ。そこに後悔はない。反省しても後悔せずが俺の信条だ。自分の行動を否定してはいけない。
考えろ。今助かる方法を考えろ。
ここを切り抜ける方法を。生きて帰る方法を。
目の前のウェルフは4匹。噛みついてくるところを迎え撃つのは駄目だ。さっき失敗したばかり。次成功するとは思えない。
なら当てるだけならどうだ。振り抜いて倒そうとするから失敗する。それなら飛びかかかってくる相手に合わせて剣を当てるだけだ。或いは剣に噛み付かせるだけでもいい。
これで行動不能にすることは不可能だろう。
だが怯むだけ怯ませれば、あとはスニーオがどうにかしてくれるはずだ。
呼吸が整わない。それでも、頭はある程度落ち着いてきた。
やれる。俺ならやれる。飛び込んできた犬に剣を当てるだけだ。難しいことはない。落ち着け。落ち着いてやれば問題はないはずだ。
ふぅっ! と短く息を吐き、構えを直す。
こちらから斬りかかるのはもう駄目だ。
相手から来るのを待つしかない。
「フリーズアロー!」
俺が睨みあっている間に完成した魔法が発動した。
空中に突如出現した3本の氷の矢が、ウェルフ達に向かって飛んでいく。
俺の陰から突然現れた氷の矢に対処できなかった2匹が、その身に風穴を開けて倒れる。
これで残るは2匹。
もういいだろう。逃げてくれよ。死ぬまで戦うとかやめてくれよ。お互い、良いことなんて無いじゃないか。
敵の数が減ったことで気が緩んだか、弱気なことを考えてしまう。
それがきっかけとなった。
犬は嗅覚に長けた生き物だ。匂いだけで相手の感情を読み取ることも可能だという。それは、こちらの世界の犬も同様だったらしい。
俺の弱気を察知したのか、残った2匹が時間差でかかってくる。
最初の一匹はどうにかできた。上手いこと剣を盾にして、俺に噛みつくことを防ぐ。
だが2匹目の対処をすることはできなかった。
「あっつ……!」
一匹目と格闘している間に、左腕が急に熱を持った。
「トール! くそっ! シャイヤン! トールがやられた!!」
スニーオの悲鳴が聞こえた。
やられたってなんだよ。そんな事を思いながら、焼けるように熱い左腕を見る。
いや、正確には、『左腕があった場所を見る』。
何も無かった。肘から先が無くなっていた。
指先を動かそうとしても何も反応しない。
痛みは感じない。ただ、そこにあったはずの物が無くなったという事実が怖い。
恐怖が身体を染め上げていく。
怖い怖い怖い怖い。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
こんなはずがない! そんな! こんな!
「あ……ああぁぁぁぁぁ!」
考えが纏まらなかった。口からはおかしな悲鳴しか出てこない。
俺の腕を切り取ったウェルフは、落ちている腕をくわえて走り去っていく。
待てよ……。俺の腕……、待てよぉぉ!
物凄いスピードで走り去るウェルフを、俺はただ見ているしかできない。
目の前には残りの一匹。
そいつが再び襲いかかってきた。
必死に押さえようとするが、片腕を失ったせいかバランスが取れない。
簡単に押し倒され、のし掛かられてしまう。
カアァァと息を吹き掛けてくる。押し寄せる血と獣の臭いに吐き気がする。
ウェルフは俺の両肩を前足で押さえつけ、喉笛を噛みきろうと顔を寄せてくる。
「ああぁぁぁ! やめっ! やめろっ! 助けっ! いや……いやだいやだいやだ! うあぁぁぁぁ!!」
必死にもがくも、まるで動く気配がない。
せめて自分が食べられる光景だけは見ないようにと目を閉じる。
痛みに耐えようと歯を食い縛るが、なかなかその瞬間は訪れなかった。
変わりに感じたのは、急に軽くなった体と、聞き慣れた声。
「トール様っ! ご無事ですか!? マスター! トール様が見つかりました! まだ生きていらっしゃいます!!」
あぁ……助かった……。
ほんの数時間前まで一緒にいたはずなのに、なんだかとても懐かしく感じる。
すっかり見慣れた、メイド服を着た赤髪の少女を目にした途端、全ての不安が吹き飛び、安心感に包まれた。