epilogue
タクトにかけられた操りの術を解いてから数日が経った。ある日、アヤは一人でお気に入りの小さな丘へ来ていた。
丘から街の方を眺めていると、背後から聞き慣れた声がした。
「呑気なものだな」
その声は、タクトを助ける前まで会うことが多かった、クリスのものだった。
「クリス」
「まだアクマが街をうろついてるってのに、お前はまだここに来るんだな」
「別にいいじゃん」
「上級アクマが来ても逃げない学生なんて、お前だけだぞ」
クリスが呆れた口調で話す。
「だって、声をかかられる前からクリスだって判ってたからね」
「俺が何もしない保証なんてないだろ」
「何もしないよ」
平然と確信を持った声で答える。
「特に今日はね」
「どうしてそう思う?」
アヤの後ろに立っていたクリスは、横に移動して尋ねる。
「その質問、肯定してるのと同じだよ」
苦笑が混じった言い方をされたクリスは、不満そうに表情を歪めた。
「私を襲うつもりなら、一人で来ないでしょう? それに、タクトのことがあってから数日しか経ってないもん」
「間違ってはいないが、タクトのことは関係ないだろ」
「関係あるよ」
不満そうなクリスに、アヤはあっさりとその言葉を否定する。
「クリスは真面目だからね。タクトのことで何か言いに来ると思ってたから」
横に立つクリスを「そうでしょう?」と視線で問いかけるように見ると、クリスは溜め息を吐いた。
「お見通しってか。そうだよ」
クリスは気まずそうに片手でガシガシと頭を掻きながら答える。そして、間を置いてから真剣な声で言葉を紡いだ。
「タクトの件は助かった。ありがとな」
何か言葉を返す前に、クリスが悔しそうに続きを話す。
「あの時の俺には、どうすることもできなかったから、本当に感謝してる」
「うん。でも、タクトを助けたかったのは私だから、お礼はいいよ。それに、クリスだって手伝ってくれたじゃん」
「何もしてねーよ」
「とぼけちゃって。いつも一緒に行動してたのに、あの日に限って街に行ったのは私の邪魔をしないためだって、判ってるんだから」
あの場に自分がいれば、アクマとしてタクトの手助けをしなければいけない。そうなったら、タクトにかけられた術を解くのがますます難しくなる。アヤの邪魔をするわけにはいかないと思ったクリスは、自らタクトと別行動をとった。
アヤはタクトの言葉からクリスが気を利かしてくれていたことを察していた。それを指摘すると、クリスが諦めたような口調で肯定をする。
「気付いてたんだな」
「タクトの言葉でね。ありがとね」
「ああ。でも、お前にタクトを救ってほしいと頼んでたんだ。出来ることをしただけだ」
「そっか」
「本当にありがとな」
敵であるはずのクリスからの、心からの感謝の言葉に一瞬だけ驚く。
「珍しいね」
「そうかもな」
クリスは、詳しいことを語らずただ頷いただけだった。
タクトのことを普通の仲間以上に気にするクリスに、何か理由があるのだろうと思う。しかし、尋ねたところで答えてもらえないと判っていたアヤは、それ以上深く尋ねようとしなかった。
会話が落ちつき、街の方へ視線を戻す。すると、丘にやってくる少年の姿が目に入った。
「アヤ」
名前を呼びながら小走りでやってきたのは、つい数日前に操りの術を解いたアクマ、タクトだった。
「タクト」
アヤが名前を呼ぶや否や、タクトは口を開く。そして、少し怒ったような口調で小言を口にする。
「もう、何でこんなところに来てるの。まだ本調子じゃないのに一人でこんな遠いところまできて……。街にアクマだって出ることがあるっていうのに……」
「ごめんね」
困ったような顔で笑いながら謝る。
「どうしても来たかったんだもん」
「それなら一言くらい声かけてよ。城にいないから、心配したんだよ?」
「だって、言ったらついて来たでしょう?」
言外に一人でこの小さな丘に来たかったのだと伝える。タクトは、溜め息を一つ吐いただけで何も言わなかった。
「お前さ、アクマの俺が言うことじゃねぇけど、もう少し慎重に行動しろよ」
クリスが呆れた口調で言う。
「クリスも心配してくれるんだ」
笑いながら言うと、不満そうな声が返ってくる。
「からかうんじゃねぇよ」
「からかってないよ。前にも言ったじゃん。優しいアクマなんだねって。それに、気をつけてるからここに来たんだよ」
「お前はそういう奴だよ。どうせここに来るまではアクマの気配読んでたんだろ」
「あたり前じゃん。でも、お迎え来ちゃったし、そろそろ帰るね」
タクトの方を見て言い、立ち上がる。
「じゃあ、またね」
「お前なぁ。次会う時は敵同士だ」
「クリスのことだから、時と場合によって変えてくれるでしょ?」
そう言うと、クリスは呆れきった溜め息を零した。
「アヤ、行くよ。クリスも、ありがとな」
「ああ」
クリスが頷きを返すと、二人は丘を下っていった。
二人を見送りながら、クリスは心の中でタクトの幸せを願った。
小さな丘に春の暖かな風が吹き抜ける。それと同時に、クリスも丘の上から姿をくらませた。
――fin.




