4. 願い。さりとて、それ災い
翌日。
コウは早朝から宿を出て、周囲の市や店を散策した。
市は、前世の曜日市や週末市などとさして品揃えは変わらず、古着、陶器、はたまたアクセサリー類と、どちらかと言えば前世より多彩な品ぞろえを誇っていた。
まぁ、規模も段違いなため、単純な比較にはならないのだが。
コウは、一通り散策を終えると朝食を摂った。
実のところ、昨日も一度宿を出て食事を摂りにいったのだった。
それは無論、ここ一か月半で摂れていない栄養素を確保するため。
野菜や果物、幸いにも魚介類を出す店もあって、コウはレストランの一角で食事を摂ったのだった。
その際、久し振りのまともな食事とあって、……金額は一万ガルは軽々と超えてしまったのだが、まぁ、人里に足を踏み入れた記念に、そういった日があってもいいだろう、と財布の減量に目を瞑ったのだった。
さて、朝食は軽めに済ませ、コウは宿に戻る。
市を周った収穫は、残念ながらこれと言ってない。
コウとしては、少しばかり陶器に興味があったのだが、見ても、違いや“味”、深みと言ったものは理解できず、それに加え、材料としても自ら合成したセラミックス(≒陶器)に遠く及ばない事も分かり、購入などはしなかった。
コウは、自室のベッドに寝転び、今日はどうしたものか、と唸る。
それから、ふと、部屋に掛けてある“とある衣服”を眺め、思うのだった。
(体の元の持ち主についても、少しばかり考えなくちゃな)
そう。それは、あの川縁で寝ていた時に来ていた衣服。
当時の『流れ着いた』とでも言うべき状況を、あたかも納得させる様に、衣服には川底で擦ったであろう無数の傷が刻まれていた。
だが、素材そのものは非常に上質なものであり、その上から羽織っていた肩までの上着も、典型的な――“貴族”を示している様でならない。
つまり、この体は元々上級階級に人間のもので、川に落ちた・落とされたかは不明だが、何かやんごとなき理由に巻き込まれていた可能性も捨てきれないのだ。
ところが、聡い脳でそれらを考えついたというのに、ことコウの中でそれ以上の考察は無い。
死んだ筈の人間が生きている。例えば『貴様っ……死んだ筈では』なんていう面倒な状況に置かれては困るは、当然コウだ。
だが、既にコウの中ではその予防策も、解決策も確定していて、それらは実に単純な事だった。
――予防策:なし。
――解決策:邪魔な者は、実力で排除する。
……そう、単純な事だ。
それ以上考える事も無くなったコウは、おもむろにポケットを漁り、そこにあった“ギルドカード”を手に取る。
そこには、偽造もとい作製したプロフィールが刻まれていて、最後尾の記述には、こう書いてあった。
――『ランク:H』と。
それは、当然のことながら高いランクではない。
むしろ、冒険者ギルドのランクを下から数えると、『H~A、AA、AAA、S、SS、SSS』となっていくことから、つまりコウは最低ランクなのだ。
まぁ、新会員としての立場を考えれば当然のことだろう。
もしかしたら飛び級制度もあるのかもしれないが、それはギルドの方から通知が来るだろうし、こちらから願うべきものでもない。
コウは、それをしばし眺めると、ベッドから降り部屋を出る。
今日は、やる事がない。ならば仕事をして、同時に覚える時間は沢山ある。
そう、“流石は”大賢者様と言うべきか、彼の知識には地面を這い擦る冒険者のものは含まれていなかった。だから、仕事は下積みも下積み。超初心から始める他無い。
そんな事を思いつつ、コウは宿を出る。
やはり人の好さそうな主人に見送られ、ギルドへと向かうのだった。
○●○ ○●○ ○●○
その日。
ギルドはいつもと違い、明確な活気に包まれていた。
それは先日、かの冒険者パーティー<剛腕の右腕>が壊滅したからに他ならない。
粗暴の悪い彼等が昼間にギルドの酒場にいない事から、他の一般冒険者は昼からそこを利用できるようになったのだ。
ともあれ、彼等は別に酒を飲みに来るわけ訳では無い。
まぁ、今日は祝杯ムードもあって酒場スペースは賑やかだが、それでも大半は掲示板から依頼書を取って、受付へと向かうのだった。
「エイミー。この書類、室長の欄ってサインだっけ? 代行サインで良かったっけ?」
「え? えぇと、たぶん代行で良い筈よっ」
一方、和やかなムードとは反対に、ギルド職員は慌てる雰囲気にあった。
それは当然、いつもなら閑散としているギルドが、この時間帯に冒険者で溢れ返っている事が要因。
しかも今日はそれ加え、室長が急な会議参加を命じられてしまったため、いつもと勝手が違う業務+アルファ、といった具合に、彼女達は大慌てだったのだ。
(でも、皆どこか嬉しそう)
普段なら、否、今までの日常では、一般の冒険者達は深夜、<剛腕の右腕>がいない時を見計らって、……まるで隠れる様に依頼を取りに来ていた。
しかも、少しばかりランクが上がると、彼等から露骨な嫌がらせに遭うため、強くなる冒険者というものは、すぐに他の街に行ってしまうのだった。
それに、彼等は腐ってもBランクパーティー。今まで幾度となくこの街の危機を救ってきた……悪性の英雄達でもある。
よって、ギルドも彼等を糾弾する事もままならず、そのままズルズルと、嫌が応な関係を続けてきたのだった。
だが、そんな時代も終わりを告げた。
一風変わった服装をし、ギルドに訪れた青年。
恐らく、エイミーより少し年下の彼は、一瞬の内に、彼等<剛腕の右腕>を壊滅させてしまったのだ。
一方。――その行為そのものは、目に見えて残虐なもの。
だからこそ、当初ギルドの職員達は、喜び2:恐怖7:戸惑い1、といった感情に苛まれたのだった。
しかしながら、昨今の圧政ともいうべき環境が終わりを告げた事も、紛れも無い事実。
よって、これからは高ランクを目指す若者達も、この街を離れていかなくて済むかも知れない。
そしてそれは、エイミーも、またギルド職員全員が期待する事でもあった。
「――はいっ。次の方……っ!」
列の待ち人を次々と捌き、順調に受付業務を進めていたエイミー。
ところが次の瞬間には、仕事の手が止まる事になる。この数時間止まらなかった手を、だ。
なにしろ、目の前にいたからだ。――かの解放者が、目の前に。
「この依頼に判をくれ」
そう、受付に来たのは、あの青年だった。
昨日と同じく、変わった服装をしている青年は、昨日の出来事が嘘の様に飄々と、その依頼書を提出した。
それは、ランクH『ゴブリン・ノーマルの討伐依頼』だった。
「あ、あの……」
突然の事態。エイミーは、たちまち声が出なくなってしまった。
昨日の事はどうだったとか、または感謝と告げる、とか。
そういった事が頭の中にいっぺんに湧いてしまい、それでいて、どれもが違和感を覚えてしまう。
だから、それは恐怖とも、戸惑いとも違うものなのだろう。
加え、頬が熱くなる訳でもなく、彼女は本当に今の感情を理解できないでいたのだ。
「早くしてくれ」
「え、は、はいっ」
だが、それを全く気にしない青年――コウは、早く判をくれ、と催促する。
昨日は……何かあった気がするが、別に悪い事も良い事もしていない。
だから、何一つ謂われは無い筈で、特に告知が無いのなら素直に判子が欲しい。そう思っていた。
「どうぞ……」
「ども」
受け取ったコウは、足早にギルドの玄関口へと向かう。
現在は、そこそこの金銭を持っているとは言え、食い扶持を稼がなくては、それも容易く尽きてしまう。
よって仕事は、必要枠の上位に位置づけられていて、早く行うに越した事はないのだ。
「――ちょっと、そこの少年。待って欲しい」
……ところが、それは掛けられた言葉に遮られる。
しかも、声を発した者の周りには、あからさまな護衛が四人控えていて、彼等は一人一人が違う武器を持ち、澱み無く、油断なくコウを見ていた。
「僕の事でしょうか」
「はい。少しだけ、上でお話を聞きたくて」
コウは、努めて子供っぽさを出したつもりだったが、彼等の警戒は解けず、それどころか構えがキツなる始末。
ともあれ、ここで一悶着あっては一般人に迷惑を掛けかねないと思い、同時に、大衆に対して悪目立ちしたくは無い、という思いも己に同居させて、……結果、彼等の言葉に従う事にしたのだった。
「わざわざ御足労感謝します。私はイーガル。この街の市長を務めております」
ギルド二階、会議室。そこで面談となったコウに対し、男は始めにそう言った。
男は、見た目で三〇代前半といったところで、あの宿の主人には負けるが、こちらも人の好さそうな顔を張り付けていた。
しかしながら、どこか筋肉質を匂わせ、ガッシリとした肩を不動にする男――イーガル。
実際のところ、只者という訳ではないのだろう。
この世界の政治体制や官僚制度は不明だが、若くしてこの巨大な都市の市長となるには、相当の才能を以って努力をしたに違いない。
コウは、そんな感慨も程々に、彼の自己紹介に応える。
「私の名はコウ。土魔法が得意な魔法使いだ」
先程『僕』と言っていたコウだったが、この御仁に誤魔化しは効かないだろう、と早々にいつものものに戻す。
対してイーガルは、その簡素な紹介に浅く頷くのだった。
「さて、私が貴方をここへお連れした理由は、ご存じですよね」
「むぅ。まぁ、心当りが無い訳でもない」
それは、誤魔化しでも無く率直な声だった。
確か、昨日このギルドで何かをした気がする。だが、やはり悪い事では無く、どちらかと言えば討伐に近い行為だったとも思うのだ。
だから、コウは特に構えも無く、次の言葉を待った。
「まぁ、いいでしょう。率直に申しまして、貴方のその力、我々にお貸頂きたい」
「と、言うと?」
「――Bランクパーティー<剛腕の右腕>を単独で倒した力を、我々人類の敵に対し、存分に振るって頂きたい」
○●○ ○●○ ○●○
ギルドから宿に戻ってきたコウは、ベッドの上で一息つく。
実家から持って来た水筒を仰いだコウは、ベッドの上に投げ出されたファイルから、一枚の紙を取り出すのだった。
(まぁまぁ、良い条件か)
それは、契約書だった。無論、あのイーガルという男から手渡されたもの。
内容は、――この都市<エィルンハイト>北部にある大森林より発生する魔物の軍勢から、この都市を守るといったものだ。
簡単に言えば、普段からそこへ出向いて魔物を減らす討伐隊に参加し、大量発生時には先陣を切って防衛隊の任を負う、という事でもある。
つまり、コウはこの都市の防人となったのだった。
ところで、肝心の報酬の件だが、それは基本的な金銭報酬の他に、追加でコウの要求が受け入れられた。
それは、すんなりとはいかなかったが、最終的にはイーガルが折れ、コウはそれを手にする事になった。
――その追加分とは、『鉱脈の地図』。
この一帯の鉱脈は、土魔法と魔力の感知が極めて優れている者によって、その分布が粗方目星を付けられている。それは会話の中で常識として語られた事だ。
一方で、当然そこには利権が絡んでくるわけで、おいそれとその情報を外に漏らす訳にはいかない。
それらは、大きな商会や大貴族が参加するオークションへ競売にかけられ、――聞こえは良いが――大規模に管理できる一部の者にのみに渡るのが、今の仕組みだった。
……ところが報酬の話に入ると、コウはすぐに、それを欲したのだ。
曰く――『個人で産出する量は、たかが知れている。だから、俺がリークしない事を条件に、この一帯のを全てを見せろ』と。
無論、そんな暴論がまかり通る筈がない。イーガルはすぐにそれを拒否した。
『へぇ……』
すると突然、コウは態度を豹変させたのだ。
イーガルに負けず劣らず、平和で柔和な表情を張り付けていたというのに、その相貌は一瞬の内に無表情と成り果てたのだった。
しかし裏を返せば、それはコウ本来の表情が現れたに過ぎない。それでも、その変わり様にイーガルの護衛達は一斉に構えた。
そう、構えた。……余りの恐怖に、武器を構えてしまったのだ。
その結果は次の瞬間には訪れた。四人の護衛は一斉に力を失い、その場に倒れ込んだのだった。
『これでも、渡さない方を選ぶか?』
視えず、聞こえず、触れえぬ、――未知の攻撃。
それは単なる脅迫とも、“これだけの力”に報酬の再考を願っている様にも聞こえた。
なにしろ、何をされたかすらイーガルには分からず仕舞いなのだ。
そう。自分を守る筈の護衛が一斉に気絶した事への恐怖。それが彼の頭を支配していた。
否、実際のところ、完全な支配では無かった。
何故なら、こう考える事もできるからだ。
――この力を味方にする為なら、リスクを冒す価値は充分にある、と。
万が一、気取られれば権力者達から何を言われるか分からないが、それでも、この様な強大な力なら、あるいは……。
それから数十分。会議は無言のままに進み、遂にイーガルは決断する。
『分かりました。貴方を信じます』
伝手をあたり、どのようなカタチでも鉱脈の分布を教える。
それを聞いたコウは満足して頷き、まるで、ホッとしたイーガルを急襲する様に、ガッシリと握手を交わしたのだっった。
(まぁ、少し強引だったか)
コウは、ベッドの上で一人呟く。
護衛達には、コートの中から衝撃弾を食らわしたのだったが、それにしても効き目があり過ぎたらしい。――魔法を存分に使い、弾丸はコートの小さな孔から放ったため、拳銃は見えない構図だった。
ともあれ、工学を扱う身として鉱脈の情報は、いの一番に知っておきたいものだ。
ここまで順調に装備を作ってきたとはいえ、それは大賢者級の魔力を使って無理矢理土壌から金属を抽出した結果でしかない。
それに、元素そのものを改変する事が出来ない今、半導体やセラミックスに使用する希土類元素の採取は、困難を極める。
そう、ごく微量。それすらも怪しい程にしか、集まっていないのだ。
コウは、それらを今一度頭の中で整理し、目を閉じる。
図らずも仕事は『大口から受注した』と表現できる程の大役を授かり、一悶着あったものの、イーガルの計らいで事無きを得た。
あとは、これからの事。
魔物が大量発生すると言う森。そこに入って戦果を挙げ、無事に戻ってくるための策が必要だ。
コウは、次に何を作製するか、どこを改良し、どんな能力を付加するのか――。そういった事を熟考し始め、昼食時まで、それを続けるのだった。