3. ありきたりで、実に都合の良い相手
冒険者ギルド。
そこに足を踏み入れた青年は、何も迷わず受付カウンターへと向かった。
見渡せば、数個の窓口からなるカウンターを左方に、中央は無数の紙が貼られた掲示板、そして右方には酒場と思しきスペースがあり、……極めて粗暴が悪そうな顔ブレが十数人、揃いも揃って、昼から酒をカッ喰らっていたのだった。
しかし、青年はそれに見向きもせず受付の一つへ向かう。
外の活気が嘘の様に、誰一人として並んでいない受付は、当然すぐに青年の番となった。
「……どういった、ご用件でしょう」
「新規で冒険者登録をしたい」
どこか怯えた受付嬢に、青年は澱み無く言う。
ギルドに登録して冒険者として稼ぎ、豪勢に暮らす。それは、異世界に来てやりたい事の一つだ。
だから、間髪入れずにそれを言い放った青年。だが、……予想通りと言ったら良いか、それは起るのだった。
「ぅお゛いっ、てめぇ。挨拶もな゛しに何様だぁ゛」
それは、酒場から聞こえた声だった。
一方で、青年は聞こえた言葉を“翻訳”する事に苦慮する。――恐らく、『おい、そこのおまえ。オレタチにあいさつも無いとは、どういう了見だ』と言っている筈だが。
ともあれ、……そこからギャンギャンと、その手下風のヤンキー達が何かを叫んでいるが、ヤンキー言葉に精通していない青年にとって、それは難解である事は変わらず、結局のところ無視が安定であると結論付けた。
「で、登録したいんだが、手続きをしてくれないか?」
「え? あ、え、えぇ……。かしこまりました」
良かった。どうやら、手続きに入ってくれる様だ。
気合が入っているのか、突風の様にその場を辞した受付嬢を見送り、青年はカウンター近くのベンチに腰掛ける。
ぞろぞろと、わざわざ大きな足音を立てて近づく男達に対して……。
手は懐に。そして、その光を悟られない様に。
○●○ ○●○ ○●○
「室長っ、室長。どうしましょうっ。拙いですよぉっ」
冒険者ギルド・エィルンハイト支部。そこで働く受付嬢エイミーは、直近の上司にそう訴える。
ところが、上司の男は良い反応をしない。
しかも、周りの同僚達も見て見ぬフリを貫き、彼女は人知れず奥歯を噛み締めるのだった。
――この支部を縄張りにする冒険者パーティー<剛腕の右腕>。
元々は気位が高く、このエィルンハイトの守護隊の中核を担っていた彼等だったが、先代のリーダーを失ってから状況は一変。今や、一人歩きする過去の栄光と、無意味に振り下ろされる暴力に怯えた周囲から、忌避を以って避けられる存在になっていた。
その所為か、彼等が酒場にいる時間帯は、ギルドに入ってくる者などおらず、この時間は、ただ彼等の機嫌を取る事だけが、ここにいる職員達の仕事になっていた。
……だが、当然のこと。稀に例外もいるのだ。
この都市に初めて来たために、その事を知らず無防備にもギルドに入ってくる者が。
そう。先程、応対した青年は、その典型的な例。しかも、新規登録を望むところから、その最たるものと言って良いだろう。
「……室長っ」
「エイミー。気持ちは分かるが……」
無論、過去には支部内に彼等を追い出す動きもあった。
だが、ここ最近続く魔物による都市一斉襲撃を防げるのが彼等しかしない事も、また事実。
恐ろしい事に、それを人質にして一度防衛を放棄された事もあり、その時は緊急で雇い入れた冒険者によって、辛くも防衛に成功したのだった。
だが、人的・金銭的に大打撃を受けた事は確かであり、その後、当時の支部長が彼等に戻ってくるよう嘆願した事もあって、――今や、彼等<剛腕の右腕>を追い出す動きはおろか、声すら無い。
「ですが……」
当然、エイミーもその事は分かっている。それに、初めての事でもないのだ。
だから、今日も無残な姿となった冒険者を、内々に……そう、内々に“処理する”仕事が待っている事も、重々理解している。
「すまないな」
「いえ。私こそ、すみませんでした……」
肩を落とす彼女に、上司の男は首を振る。気にする事は無い、これは仕方の無い事なんだ、と。
エイミーは、窓口には戻らず、自らのデスクに着き深々と溜息をつく。
食い縛った顎が少し痛む。同時に、これからもこんな事が続くのか、と表情に影を落とすのだった。
『――――あのー。もぉし?』
「!?」
その声に、エイミーは椅子から跳んだ。それは、受付の方から聞こえたものだった。
彼女は、ほんの一瞬、『またしても、次の被害者が来てしまった』と思ったが、その声はまさしく、あの青年のものだったのだ。
よってエイミーは、急ぎ受付へ走る。
ともあれ、そこに彼我の距離がある訳もなく、彼女はすぐに“その光景”に出会う事になるのだった。
「…………嘘」
事務室を抜けた先、彼女は見た。
全身の防具を無残にも破壊され、見える肌には、数えきれない程の痣、そして、顔には……目を背けたくなる大怪我を負った彼等……<剛腕の右腕>の姿を。
それから、今更に気付くのだ。先程応対した窓口でこちらに手を挙げる、あの青年の姿に。
「すみまっせーん。手続きの方は、如何で?」
エイミーは、強烈なコントラストを示す光景に一瞬呆けたものの、その殊更お道化た青年の下に向かい、努めて冷静に入会手続きを行った。
――そう。思えばそれは、この支部に訪れた、実に久しい新規会員の出迎えでもあった。
○●○ ○●○ ○●○
無事、冒険者ギルドへの入会を果たした青年。
彼は、渡されたギルドカードを見つつ、これからの生活に想いを馳せる。
――依頼を次々にこなし、確固たる地位を確立し、そして、あわよくば魔法や化学に類する知識人との渡りをつける。それによって、己が工学をこの世界に適した状態で昇華させていくのだ。
(ま、今日は拠点を確保するに止めよう)
一方で青年は、今日は宿取と簡単な散策に止めよう、と日程を定めていく。
まぁ、特段、疲れた訳ではないが、自覚できない疲労が予想も出来ない失敗を誘発する、と理解がある彼は、まずは体を休める事を優先するのだった。
(んぅ……にしても、これは安直すぎたか?)
青年は、ギルドカードに記された文字をなぞる。その先頭には――『氏名:コウ』と記されていた。
そう、こちらに来てからというもの、青年は自分の名前を定めていなかった。
あの大賢者と邂逅した空間で、既に自分のプロフィールは完全に消失していて、残っていたのは工学の知識と知見、前の世界の断片的な常識だけだった。
だから……と表現するのもおかしいが、結果として青年は、工学の“工”を取って、そのまま自らをコウと名乗る事にしたのだ。
(それにしても、何事も無くて良かったな)
青年――もとい、コウ。
彼は、氏名、年齢、武器、魔法をそれぞれ、コウ、十六歳、短剣、土魔法、とテキトーに記していって、最後にカード本体へ自分の魔力を登録し、入会手続きを完了した。
そう、ここへきて気付いた事だが、今の身体は十六歳という年齢が最適に思えた。
それは、初めて比較対象となる他人を見たからに他ならず、加え、基本的に興味を持った事と絶対に必要な事以外は気にしない彼にしてみれば、提出すべき書類があったから考えた、という程度の認識でしかない。
(あの娘が言ってた宿は……あの辺か?)
……と、ここまで、然も平和な雰囲気と醸し出すコウだったが、当然それは過去と非常にミスマッチで、もはや捏造そのものと言って良い。
当然だ。コウは、ギルドで手続きを待つ折、名も知らぬヤンキー集団(剛腕の右腕)に絡まれたため、嫌が応にも戦わなければならなかった筈だ。
だが既に彼の脳裏には、その記憶はほとんどと言って良い程……否、完全に無い。
人が聞けば、あれ程の事をしておいて実に恐ろしい話だと、言わざるを得ないだろう。
――コウは絡まれた直後、流石に殺しは拙いと思い、魔法による細工を始めた。
それは、弾薬の装薬を減らし、弾丸そのものも軽くする、といったものだ。
そして、拳銃のみを使い、その『衝撃弾』とでも呼ぶべき弾丸を躊躇無く、顔、腕、臑、と、取りあえず痛みを感じる部位へ執拗に撃ち込んでいった。
一方で、後方にいる者達。恐らくは、少しばかり階級(?)の高い者達の中には、それを武器で防御する者もいた。
『銃弾を“見て”防がれる』、つまり、それは驚愕すべき事だ。
だが、コウは至って冷静に対処した。
そういった者には、顔面に向けて容赦無く引き金を引き続け、防戦一方になったところを接近……『物質操作』を放って、着ていた防具の形状を変化させた。
結果、彼等の防具は一部が内側に向かって勢い良く“陥没”。つまり、彼等は自分の防具に激しく殴られたのだった。
結局、危険な場面も無く、それこそ強化外骨格の出番も無くして、そのまま全員をノックアウト。
頭を使い、一斉にかかれば、まだ勝機はあったかもしれないが、殊更舐め腐った彼等の攻撃は、一つたりともコウに届く事はなかった。
……しかし、これで終わりでは無い。ここからが極まって恐ろしいのだ。
コウの聡い頭は、とある風景を想像した。
この後に起こり得る事――目覚めた彼等が、ギルド職員や罪も無い一般市民に対して、怒り任せに、鬱憤を晴らす為に暴力を振るう――といった風景だ。
だから……。そう、だから、彼等が絶対にそんな事が出来ない様に、“必要な措置”を行う事にしたのだった。
それは単純な三段階だった。
まずコウは、一人一人の足の腱を……装薬満タンの状態で撃ち抜いていった。
そして、気絶した彼等の顔には、二度と大通りを歩けなくなるまで、執拗に暴力を振るった
最後に、全員の両鎖骨を蹴って砕き、……満足してベンチに座り直したのだった。
――これにて終了。実に、単純だ。
ともあれそれは、状況がどうであろうと、人が人に行うには余りにも残酷な仕打ち。
ところが、だ。それはコウの中で、『もし自分がやらなければ、彼等は他人に同じ事をするだろう』という想像の基、“身勝手に免罪され”、既に彼の記憶には残っていない。
それからコウは、特にやる事も無く、中々受付嬢が帰ってこない事に違和感を覚え、しばし待った後、事務室に向かって声を掛けたのであった。
これにて顛末。“彼の記憶”と“現実の事実”とが如何に差異を持つか、それがよく分かるだろう。
「――お邪魔しませう」
「お客さんかい?」
さて、ギルドを出て十数分。コウは、とある宿に着いた。それは、手続きを行ってくれたギルドの受付嬢<エイミー>に勧められた宿だった。
「一人で一部屋借りたい」
「それなら、一晩三千ガルだよ」
宿の主人と思しき男性――実に人が好さそうな顔を張り付け、細い体と撫で肩が特徴――が言った料金に、ん? 意外とするな、と思うコウ。
前世では、片田舎のビジネスホテルで五千円。食事は無いが、バス・トイレ付と考えると、ワンルームベッドとデスクだけの宿にしては、些か高い様に感じる。まぁ、文明が全く違うため単純な比較はできないが。
しかしながら、この宿がある地域は近くにこの都市の支庁舎があるらしく、それ故警備の巡回ルートになっていて、治安が良いらしい。
それに、個室が清潔である事も一部には知られていて、ただ泊まるだけなら申し分無い宿だと聞いていた。
よってコウは、そもそもここ以外に良い所も知らず、今晩の料金を払って金属製の板鍵を受け取る。
少し休んだら市を見て回ろう。それを心中呟く様にして。
○●○ ○●○ ○●○
「――と、いった次第で御座います」
城塞都市エィルンハイト。
その中心部は、官公庁が立ち並ぶ地域になっており、その声は、さらに中心部から放たれたものだった。
「分かった。下がって良い」
その言葉に、報告に来た男は部屋を辞す。
ここは、エィルンハイト庁舎の最上階。この街の運営・管理を執り行う最高責任者――イーガルの執務室だ。
イーガルは特段、貴族の地位などは有していない。それに、年齢三十代前半と実に年若い事も一考だ。
だが、その類まれなる“指示の遂行能力”を買われ、とある大貴族からここに派遣された――そう、言うなれば“雇われ市長”なのだ。
(さて、困りましたね)
彼は高級感溢れる執務机に肘を立て、頭の抱えながら呟く。
先程の報告。それは、ここ最近頻発する魔物の大襲撃に対して、その戦力を著しく損なった、という非常に頭の痛い代物だった。
聞けば、粗暴が悪くとも防衛だけは一流だったパーティー<剛腕の右腕>が、たった数分にして壊滅。再起不能の状態に追い込まれたらしい。
しかも、これから一生、ろくに動けないまで痛めつけていった犯人は、単独で、しかも罪の意識を一切持たず、近場の宿に悠々と宿泊しているというではないか。
(むぅ。そうですねぇ)
他の冒険者に暴行を加えた事は、無論咎めるべきだ。
だが報告には、彼等の方が先に手を出した(……と思われる。もしくは、可能性大)、ともあり、イーガルは増々以って眉間の皺を濃くする。
しかしながら、流石は重要拠点の一つである城塞都市の為政者に抜擢されただけはある。
彼はすぐさま頭を切り替え、『如何にして、次の魔物による襲撃を迎え撃つか』その事に考えを巡らせ始めたのだった。
(ふむ。まぁ、まずは場を持たなければ、ですね)
彼は複数の代替防衛手段を考えついた後、その一つである“彼”に注視する。
そして、まずは会って、人となりを見ねばと、――手帳で明日の予定を確認するのだった。