夢の果て
「止まれ、そこの男!」
ヒュンという風切り音とともに、門番の槍が門をくぐろうとしていた男に突き付けられた。
「……っ」
「フードを取って顔を見せろ。怪しいやつを街に入れるわけにはいかないからな」
槍を男に向けたまま、門番が続ける。それに彼がフードを取ると、白銀の髪の毛が揺れた。17、8歳だろうか、若々しく、そこそこ整った鼻梁……けれど何よりも、その深い金色の目が、門番の目には印象的に映った。
「見かけない顔だな。名前と目的は?」
「……レイル。目的は……悪いけど、言えない」
目を伏せながら返した彼――レイルに、門番は目を細めて、少し声を低くした。
「言えないって……疑ってくださいって言っているようなものだろ」
彼は何も答えずに、唇をかむ。門番はとりあえず槍を戻すと、煮え切らないレイルにため息をついた。
「言わないとわかりっこないだろ」
けれど、彼はなにも答えず――
「――ほら、門番さん」
不意に、門番の肩を誰かが後ろからたたいた。彼が振り向くと、そこには栗色の髪を後ろで束ねた、少し大きい荷物を抱えた少女がいた。
「えっと、武器屋のところの……」
「ミーナです。その人困ってるじゃないですか、解放してあげてくださいよ」
訴えるような言葉に、門番は顔をしかめる。
「しかし、素性の知れない奴を町の中に入れるのはな……」
「じゃあ」
言いながら、彼女は足元に荷物を置くと、門番の横を通り過ぎて、レイルに寄った。
「わたしがこの人の行動に責任を持ちます。それでいいですよね?」
「いや、あんたそいつの知り合いじゃないだろう?」
「ごめん、知らない人に迷惑をかけるわけには……」
「わたしがいいって言ったらいいんです!」
両手をぐっと握りながら、二人の反論をはねのけるように宣言した彼女に、門番はあきれたようにため息をもらした。
「はいはい、わかったよ。ただしレイルとやら、絶対に問題は起こすなよ?」
「……わかった。約束する。絶対に誰にも迷惑はかけないし、することが終わったらすぐに出る」
妙に長い返答に、門番は少々首をかしげながらもうなずいた。
「それじゃあミーナさん、荷物」
「ありがとうございます」
門番が持ちあげたその包みを、彼女は少し重そうに受け取ると、レイルに「行きますよ!」と言って歩き出す。
それをレイルは門番に礼をしてから追いかけた。
「うわあ……」
感嘆に、レイルの口から声がもれる。
「どうしました?」
「久しぶりに来たから。昔とは違うな、と思って……」
本当に珍しそうに、彼はきょろきょろとあたりを見回す。道の両端に建ちならぶしっくい造りの家々は、一般的なものだというのに……
「昔とはって……ここら辺は50年前、外壁が建て直されてからほとんど変わってないって聞きますけど」
「あ……」
不思議そうな顔をした彼女に、彼は気まずそうに目をそむけた。
「いや、別に大きなところは変わってないけど、細かいところがなあ、って」
「……まあいいです。よいしょっと」
腑に落ちないような顔をしながら、彼女は抱えた荷物を持ち直す。
「で、どこに行くんですか?」
「……お墓、かな」
「お墓?」
立ち止まって首を傾げた彼女に、彼はその金色の瞳を悲しそうに細めた。
「……ごめん。あんまり話したくないんだ」
「あ、いや、別にいいですけど」
「じゃあ、この辺で別れようか」
突然切り出した彼に、彼女は心なしか目を見開いた。
「別れる気でいたんですか?」
「いや、迷惑をかけるわけには……」
「えっと、レイルさん、でしたよね」
言いかけたレイルの声をさえぎって彼女が尋ねると、彼はゆっくりと小さくうなずいた。
「久しぶりに来たなら、たぶん迷いますよ? 最近道が複雑になってますし」
「……自分で何とかするよ」
「だいたい、どっちにお墓があるかとかわかります?」
しばしの沈黙。それから、おずおずとレイルが向かって左前方を指差した。
「あっち、かな……?」
「そっちは住宅街で、お墓どころか石碑さえ見当たりませんよ」
苦笑いした彼に、ジトっとした視線をミーナが送る。
「やっぱり駄目じゃないですか」
「みたいだね、はは……」
彼女はもう一度荷物を抱え直すと、早足で歩き出す。
「じゃあ、これを置いてきたら案内しますから、ちょっとついてきてください!」
「あ、それなら僕が持つよ」
彼女を追いかけるようにして並んだ彼が、口の中で小さく何かの言葉をつぶやく。同時に彼の右手が淡い緑色にぽうっと光って――すぐに消えた。
「……あれ?」
「え、今のって……魔法、ですか?」
目を大きく開いて、ミーナがレイルに詰め寄ると、彼は逆に驚いたような顔をしていた。
「えっと、その包みは……鉄、ってことだよね」
「あ、はい。鉄鉱石ですけど……というか、魔法使いなんて見るの、旅芸人さん以外では初めてですよ。だいぶ昔に鉄器の文化になって、魔法は廃れて、真面目に使う人なんてほとんどいないのに……」
「まあ……鉄っていう、魔力を異常に吸収してしまう金属が出てきたせいで、魔法使いはすごく減ったけど……中には魔法を使いたい人もいるんじゃないかな。僕もそんな感じだし」
苦笑いしながら彼は言って、彼女の手から荷物を受け取る。
「じゃあ、ずるはしないで運ぶよ。これは案内代ってことでいいかな?」
「別にいらなかったんですけど……まあ、もらえるならありがたく受け取っておきますね!」
まばゆい笑顔を見せた彼女に、彼は小さく微笑んだ。
けれど彼はその微笑みをふっと消して、小さな、誰にも聞こえないような声でつぶやいた。
「……今日だけ、この子だけだ」
レイルの表情を見たミーナは、首を傾げて尋ねた。
「どうしました?」
「いや、なんにも」
荷物を抱え直した彼に、ミーナは怪訝そうな表情をした。
「まあいいですけど……そういえばレイルさんって、不思議な目と髪の色してますよね。どこの出身なんですか?」
「……ごめん」
「秘密、ですか。でも、それ目立ちますね」
言いながら、彼女はレイルの背後に回って、さっき外したフードをかぶせた。
「あ、ありがとう」
「いえいえ。というか、いい服ですね」
「だいぶ着古してるけどね」
黒いフードつきのコートに黒いズボン、さらに黒い襟付きのシャツと、完全に黒ずくめの彼の服の裾を、ミーナが引っ張る。
「なんだか高級そう……でも全身真っ黒で、なんだかもったいないです。白とか似合いそうなのに」
「……今日は黒って決めてたんだ。行き場所、言ったでしょ?」
「あ……」
思い出したように声をもらして、それから彼女は目を伏せた。
「すいません、思いつかなくって」
「別にいいよ。気持ちの問題だとは思うしね」
言って、彼はミーナから視線を外した。
「普段は着るよ、白。って言っても、あんまり外出しないけど」
「普段は何してるんですか?」
「……秘密、かな」
また秘密なんだ、と苦笑いした彼女には、彼の表情は見えなかった。
「ここなんです」
人波を抜けて、路地裏に入ってすぐのところで、ミーナが足を止めた。その横でレイルも足を止める。
「僕は隠れてた方がいいかな……」
「なんでですか?」
「いや、あんまり人と」
話したくないとか、会いたくないとかと言おうとしただろうか、それはわからないが、その続きを聞くこともなく、彼女はドアを開けた。
「ただいま、おじさん!」
「おう、お帰りミーナ……その人は?」
「あ、どうも……」
ドアを開けてすぐの、作業場のようなところで工具を磨いていた壮年の男性が、少し困惑したような目で見てきたので、レイルは居心地が悪そうに頭を振ってフードを取った。
それを見たミーナが、紹介するように手振りを加えて話しだす。
「この人、レイルさんっていうの。街に来るのがすごい久しぶりらしくて、道もわからないみたいだから、案内してあげてもいいかな?」
「まあ待て、その前に……」
言いながら、レイルに彼は目を向ける。何か詮索されるかもしれないと身構えたレイルに、彼はすまなそうに続けた。
「荷物まで持ってもらって……すまないね、レイルさん、ミーナが迷惑をかけたみたいで。荷物はそこに置いておいてくれていいから」
「い、いえ! 逆にこちらこそ申し訳なくて、案内していただくのに何もしないのは悪いと思いまして、これは運ばしてもらいました」
ほっとしたのか、早口に言って荷物を置き、一礼したレイルと、その横で「迷惑なんてかけてないよ」と頬を膨らませるミーナを交互に見たあと、彼は小さく笑って言った。
「わかった。気をつけて行ってきな」
「うん、ありがとうおじさん!」
行こう、レイルさん! と、ミーナが自由になったレイルの腕を引く。バランスを崩しながら、レイルはもう一度だけ頭を下げた。
「すみません、ありがとうございました!」
「あんたも気をつけてな、レイルさん!」
小さく手を振る彼を背後に、ミーナはドアを開け放ったままでレイルの腕を引いて歩いていく。曲がり角を曲がったあたりで、レイルは半ば強引にミーナの手を振り払った。
「マイペースすぎ……」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい」
歯を見せてにっと笑う彼女に、レイルは小さくため息をつく。
「おじさんはあんなにいい人なのに……」
「もう、なんですかそれ。まるでわたしが悪い人みたいじゃないですか」
「いや、そういうわけじゃ……あるかも」
むー、と唇を尖らせた彼女に、レイルは顔の前で手を振った。
「ごめん、冗談。というか、おじさんって言ってたけど、お父さんは――」
ミーナの笑顔が凍ったのを見て、声が途中で止まる。
「……ごめん」
「いいんです。お墓って旧墓地ですか、新墓地ですか?」
「……たぶん旧墓地だと思う」
返したレイルに、彼女はうなずいて歩きだす。それを何も言わずに追いかける彼は、その肩に手を伸ばしかけて、中途半端な空をつかんだ。しばらく二人の間に沈黙が流れていく。
「……お父さん、雇われ兵だったんです」
先に口を開いたのは、ミーナのほうだった。
「今からちょうど5年くらい前になるのかな。私のお母さんは私を生んだときに死んじゃったから、お父さんが仕事で遠くに行くときは、わたしはお父さんのお兄さん……おじさんのところに預けられてたんです。おじさんには奥さんはいなかったけど、近所の人もみんな優しくって、たまに帰ってくるお父さんも大好きでした。けど、ある日、知らない男の人が、お父さんの剣だけを持ってきて……」
そこまで言って、彼女は唇をかんだ。
「ミーナ……」
「……あーあ、暗くなっちゃった」
ため息をつくように言った後、彼女はパン! と両手を叩いた。
「はい、この話はおしまい! さっさと行きましょうか、レイルさん!」
振り返らないままに言った彼女に、レイルは小さくうなずいて、すたすたと歩く彼女の後ろをついていく。
と、少ししてから彼女が足を止めて振り返ったかと思うと、眉をひそめて人差し指で彼の頬を突っついた。
「なんですか、その辛気臭い顔」
「あ、いや、その……ごめん」
バツが悪そうに目をそらした彼に、短く息を吐いた彼女がにっこりと笑って言った。
「じゃあ、次はレイルさんの番で!」
「……はあ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げたレイルに、ミーナは声を上げて笑った。
「冗談ですよ。でも、わたしもレイルさんのこと知りたいな、って思っただけです」
行きましょう、とミーナがまた先導して歩きだし――その腕をレイルが強く掴んで止めた。
「うわっ、レイルさん、なにを」
「出てこい。いるのはわかってる」
さっきまでよりも格段に響く、低めた声でレイルが言い放つ。
そこに返されたのは、曲がり角を曲がってくる足音だった。前に二人、後ろに一人。
「よく見破ったな、若造」
「あれだけ殺気をむき出しにしていれば嫌でもわかる」
言いながら、レイルは周囲を見回した。
道の左右は家……つまり壁。逃げ込めそうな場所はない。人が3人並ぶのがギリギリくらいの道で、なおかつ向こうの腰には武器――
「……レイルさん」
震える声で言いながら、ミーナがレイルに寄って、左腕をつかむ。
それに少し微笑みかけてから、彼は前方の精悍な顔立ちの男を一瞥した。
「目的は何だ? 金なら置いていく」
「金は要らない。俺たちが欲しいのはその小娘の命だけだ」
帰ってきた予想外の答えに、レイルが眉をひそめた。
「……少し説明してもらおうか」
「目星をつけて追いかけてきたんだが、お前と話していたときに、小娘が父親がどうだ、って言っただろう? 俺たちはその父親に恨みがあるのさ」
「話を聞いていたんじゃないのか? この子の父親はもう――」
「だから代わりにその小娘だ」
レイルの声をさえぎった男が、仲間らしき横の男に目で合図すると、そいつは手に持った鉄槌を構えた。
「ど、どうして……」
「俺はあいつに裏切られた。仲間だった俺たちに剣を向けた。この手で仕返ししないと気が済まないんだよ」
言葉に応えるように、背後の男も動く。
その手に握られた鉄の棒が、ミーナに向かって振り払われる――瞬間、男の体が宙を舞った。
「――かはっ」
地面にたたきつけられた男が、衝撃にうめく。
「……なにしやがる」
「そっちの事情は半分くらいわかったけど、この子を殺すまでのこと?」
答えたのはレイルだった。彼は背後の男の伸ばされた腕をつかみ、そのまま投げたのだ。
「あいつは俺たちがいることをわかっていながら、相手国に雇われたんだぞ」
「自分の利益のために国を変えるのが傭兵だろう? その人には家族もいたわけだし、お金も必要だった。そっちのしてることはただの逆恨みだよ」
しゃべりながら彼は、ミーナをかばうように立つ。
「逃げて、ミーナ」
「で、でも、レイルさんが!」
「大丈夫」
レイルは微笑みを返してから、目の前の男二人を睨みつけた。
「さっきから好き勝手言いやがって……先に痛めつけてやるよ、小僧がっ!」
言い放った鉄槌を持った男が、レイルに向かってその得物を振り下ろす。
しかしそれをレイルはすり抜けるように半身になってよけ、男の体を殴りつけた。
「ぐっ」
うめく男を続けて殴りつけようとした彼の耳に、不吉な風切り音がした。
それに即座に反応して、足を止めて、振り下ろされた長剣をかわす。
彼はそのまま長剣を抜いた男の襟元をつかみ――
「もらった!」
その横で、鉄槌を振り上げる男。
避けられない、と衝撃を覚悟したレイルの目の前で、飛んできた鉄の棒が槌にぶつかった。
鋭い音を立てて、槌が弾き飛ばされる。
「レイルさん!」
「――馬鹿、どうしてっ!」
叫んだレイルをあざ笑うかのように、彼がつかんでいた男が手を振り払うと、鉄の棒を投げたミーナに向かって走り出した。
それを追いかけようとしたレイルの目の前に、槌を弾き飛ばされた男が立ちはだかる。
「通すかよ!」
言い放った男にレイルが突き出した拳は、交差した腕に防がれる。
けれどほとんど呼吸を置かず、レイルの左足が目にもとまらぬ速さで旋回する。それを男は腕で防いだが、衝撃によろけた。
レイルの視線の先で、ミーナが斬撃をギリギリでよける。けれど、背後の壁に気づかないまま下がったせいで、よろめいて倒れてしまう。
「ひゃっ」
「――死ね、小娘」
振りあげられた長剣が、まっすぐにミーナの首筋に振り下ろされ――
剣が肉を断ち、骨を断ちきる鈍い音。それから、剣が地面にぶつかる音。
少し遅れて、ゴトッという、何かが地面に落ちる音。
「――いやああああっ!」
響き渡るミーナの叫び声と、その目の前で噴き出す血の赤。
微かに舞う黒い服の袖だったものが地面に落ちる前に、剣を振り下ろした男が吹き飛んだ。いや、蹴り飛ばされたのだ。
左手首から先を、切り落とされたレイルに。
「……無事なら、今すぐ逃げて」
「でも、レイルさんがっ」
「いいから早く!」
差し迫った声音で叫んでから、レイルは先ほど蹴り飛ばした男を一瞥すると、地面を蹴った。
壁にたたきつけられ手動けない男の眉間に、握りかためられた右手が突き刺さる。
その襟首をつかみ、みぞおちに右ひざを入れたレイルの背後で、何かがぶつかった大きな音――瞬間、レイルは男の体を捨て、反転して走りだした。
視線に入ったのは、壁にたたきつけられて動かなくなるミーナ。
槌を持っていた男は動いていない。むしろ左手があった場所から血を飛び散らせながら走るレイルを見て、動けないでいるのだろう。
それに、その男の動きはレイルも警戒していたから、ミーナに近づけたはずがない。
動いていたのは、一番最初に投げ飛ばした男だった。
「さっきはよくも――」
拳を握りしめながらレイルのほうを振り向いたその男が、その腕と血を見て、驚愕に顔をゆがませる。
同時に、彼の残っている右手が強い緑色に輝いた。――魔法だ。
「吹き飛べっ!」
叫びながら突き出した手から、猛烈な突風が生じる。
耐えられずに吹き飛び、壁にたたきつけられた男が動く前に、レイルの拳がみぞおちに突き刺さった。
その顔面を、彼は高く振り上げた足でなぎ払う。
地面に転がった男を確認することもせず、レイルは鉄槌の男を睨みつけた。
「……化け物かよ」
「ああ。僕は化け物だ」
立ち止まった彼の足もとに、赤い水たまりができる。
と、その背後から何者かの足音が聞こえた。誰かが騒ぎに気づいたのだ。
「去れ。二度とこの子の前に現れるな」
「くそが……お前は絶対に許さねえ、小僧」
吐き捨てるように言って、男は彼に背を向けて走りだす。
そのさらに後ろから走ってきた足音の主は、ミーナの叔父だった。
おそらくはミーナの叫び声に気づいたのだろう。彼はレイルを見て、驚きに目を見開いた。
「レイルさん、あんた」
「ミーナの手当て、お願いします。たぶん蹴り飛ばされたから」
「何言ってるんだ、そんなひどい怪我――」
言いかけた彼の目の前で、切り落とされたレイルの手が淡い緑色に光って消え、同時にだらりと下がったその左腕の先で変化が起こった。
淡い緑色の粒子が形をなしていく。それは骨を、血を、肉を――
「……ああ」
微かにレイルの口の端から息が漏れる。
「あんた……一体」
「『化け物』ですよ」
完全に形を取り戻した左手を、腕は下げたままで握って、開いて、握る。
「ミーナに言っておいてください。今日はありがとう、って」
――さよなら。
それだけ呟いて、彼は振り向かずに走りだした。
走り続けていた彼が、息を切らしながら足を止めた。
目の前に広がるのは墓地だった。
「なんか、不思議だな。やっぱり、ここに来るんだ」
ひとりごちた彼は、首を横に振る。息を整えながら、彼は目的にしていた場所を、目的のものを探して歩く。
探していたその石は、前来た時と同じ場所――墓の並ぶ場所から少し離れた、公園のような場所にあった。
古ぼけたその石は、けれど誰かが掃除してくれていたらしく、そこまで汚れてはいなかった。
名前も何も刻まれていない石の前で、彼は膝をつく。
「ごめんね。ちょっといろいろあって、血のにおいはするし、服は破れてるし、申し訳ないんだけど」
寂しげに笑ってから、彼は目を閉じた。
「……やっぱり駄目だったよ」
人影のない墓地に、彼の言葉に答えるように風が吹いた。
「やっぱり、僕は人と関わっちゃいけなかったんだ。あの時決めたはずだったのに、忘れてたみたいだ」
墓石はなにも答えない。けれど、彼は言葉を続けた。
「時間が経ちすぎたよ。もう、僕にはなにもないんだ……」
しばらく沈黙が流れる。彼はそよ風に銀の髪を揺らしながら、ただ目を閉じていた。
不意に駆け足で近づいてくる足音が聞こえて、彼は目を開けた。
「レイル、さん」
「……ほら。一人でも着けたよ」
彼は立ちあがって振り向く。その視線の先には、全力で走ってきたのだろう、肩で息をするミーナがいた。
「左手も治ったし、心配なんていらないよ」
彼が少し持ち上げた左手に、ミーナは目を見開いた。
「……魔法、ですか?」
「いや。魔法は万能じゃない。腕を切り落とされたらそれを接ぐのはまず無理だろうね」
首をゆるゆると振って、彼は目を伏せた。
「これは呪いだよ」
また風が吹いて、2人の髪の毛が揺れた。
「お墓って……」
レイルの背後の石を見たミーナに、レイルは小さく肩をすくめた。
「そうは見えないでしょ? その人が望んだんだ。誰にもわからないようにしてくれ、って」
「じゃあ、誰のかは秘密ですか」
ミーナの冷たい声に、レイルは小さくうなずいた。
「……どうして、そんなに秘密なんですか?」
その言葉に、彼は何かを返そうとして、けれど何も言わずに口を閉ざす。
それを見たミーナは、唇をきゅっと結んで、訴えるように話し始めた。
「レイルさんはすごい強いし、優しい人です。ちょっと一緒にいただけでもわかりました。レイルさんがなにを秘密にしてるかは知りませんけど、わたしはその秘密がどんなものだって――」
「わかった、話すよ」
さえぎるように言ったレイルは、伏せていた顔を上げて、ミーナに視線を向けた。
「だけど、僕が君の思っているような人じゃないってことをわかってもらうために」
「それはわたしが決めます」
その返答に、レイルは微笑んだ。
けれどその笑みは、どこまでも深い――深い悲しみを宿す金色の瞳が、憂いで塗りつぶしていた。
「……じゃあ。今から200年前、この国は統一されていなかったっていうのは知ってる?」
「はい。東西に2つの国があって、200年前の戦争で統一されたって……」
「じゃあ、その英雄の名前も知ってるかな」
「聖騎士シャルハですよね。当時の王女で、絶対的なカリスマと魔法の腕を持つ、エルフ族の将軍――」
「――そして、戦争終結間近で死んだ、悲劇の英雄」
言葉を受け取ったレイルに、ミーナは頷く。それに彼は聞き返した。
「じゃあ、その周囲の人のことは? 戦争のときの王女の部下とか、戦いの様子とか」
「いろいろあったと思いますけど……王女に従う強大な竜の話とか。けど、そんなに詳しくは」
「その話でいいや。どんな感じか、話してくれないかな?」
「……レイルさんだって知ってるんじゃないですか?」
いぶかしげに聞き返したミーナに、レイルは首を横に振った。
「知らない。そういうことにして」
「……わかりました。竜は人の身の丈の7,8倍の大きさはあって、一度吠えただけで敵はすべて戦意を喪失したといわれるほど強かったそうです」
「じゃあ、そいつがどうして従っていたかは?」
「竜は王女の部下の一人、側近のような人に使役されていて……その人は統一軍最強の魔法使いだった気がします。戦争が終わったあと、姿を消したそうですが」
そこまで話して、ミーナがレイルを睨みつけた。
「秘密を話すって言ったのに、いきなり昔話なんて――」
「――その魔法使いは王女の側近で、常に王女の傍らで彼女を守っていた。しかし彼は王女が死んだときに死ぬことはなかった。その場にいたのにだよ」
「王女よりもその魔法使いが強かったってことですか?」
「違う」
いらいらした様子で聞き返したミーナに、レイルはきっぱりと言って、首を横に振った。
「伝説に伝わっているよね、王女は最強だったって。だからたくさんの人が従った。その魔法使いも、王女に近づきたくて背伸びした人だった」
そこで一度彼は言葉を切って、ミーナに近づきながら再び話し始めた。
「その魔法使いは」
地面を蹴ったレイルが、ミーナの横を通り抜けて、左腕を胸の前にかざす。
「自分に決して死なない呪いをかけた」
きらりと銀色の何かが光った――と思った瞬間、レイルの腕から鮮血が飛び散った。
「痛みを消す呪い」
目を見開いたミーナの目の前で、レイルは左腕に刺さったナイフを引き抜く。
「傷を消す呪い」
ナイフの刺さっていたあとは一瞬で消えて、切り裂かれた服だけが、彼が刺されたことを伝える。
「そして、永遠に歳を取らない呪い」
振り払った右腕から、目で追えないほどの速度でナイフが飛んでいく。
それは振り上げられた剣に跳ね飛ばされたが、跳ね飛ばした本人は、驚きと怒りに顔を歪めていた。
「小僧……お前、左手……」
「またやる気なの? 僕が誰だかわかってる?」
レイルは無傷の左腕を体の前で構えて、男――先ほどミーナを殺そうとした男の、最後の一人に向かって、見下すような笑みを投げた。
「僕の名前はレイル・トーティス。200年前の伝説に謳われる最強の魔法使いその人だよ」
その言葉とともに、レイルの背後の景色が歪んで、強風が吹き荒れた。
「そんな大嘘、信じるわけないだろうがっ!」
叱声とともに、男が長剣を構えて突っ込んでくる。それに彼はミーナを横目でちらりと見てから数歩前に出た。
「魔法でも使えばわかってくれる?」
「魔法なんて、鉄の前では無力だ!」
男は剣を振り上げる。その動きは先ほどよりもかなり早く、男がレイルを殺そうとしていることは明確だった。
「――レイルさんっ!」
今まで動くことができないでいたミーナが、レイルの危機に叫ぶ。それにレイルは息を吐いた。
「切られようかとも思ったけど」
ギリギリまでひきつけて身をひねり、レイルは斬撃をよける。
「やっぱり、ミーナの目に毒だ」
返す剣に向かって、レイルは手をかざし、そこに宿る、強い緑色の光。
「だから魔法は無駄――!?」
男の声が途中で止まった。剣の重さが消失したのだ。
いや、消失したのは重さだけではない。その刀身が、緑色の粒子になって消えていた。
レイルが消し去ったのだと男が理解するまでにそう時間はかからなかったが、レイルは男が立ち直るまでの間に男を蹴り飛ばした。
「君は鉄を『魔力を消す金属』だと思っていたみたいだけど、違うよ。鉄は魔力許容量が他の物質より多いだけ」
レイルはうっすらと笑みを浮かべながら、柄だけになった剣を持った男に向かって続ける。
「鉄みたいな金属類は、魔力を注ぎ込んで許容量を超えさせてやれば壊れるんだよ。簡単でしょう?」
「んなこと……聞いたことねえぞ……」
「だから言ったでしょう? 僕は『化け物』だって」
言いながらレイルは右手を高く掲げ、虚空へと語りかけるようにして続けた。
「顔だけ見せてくれればいい。面倒だろうけど、たまには付き合ってよ」
その言葉に、レイルの背後の景色がさらに歪み、裂けた。
微かに聞こえた唸り声に、空気が凍る。
「……お、おい」
「君に証拠を見せてあげる。まずは転移魔術。これは命を削る魔術だけど、僕には関係ない。それと」
レイルが言葉を切るのと同時に、風が止んだ。
「魔法使いの使役したという竜……っていうけど、使役じゃないよ。こいつは僕の盟友」
伸ばしたレイルの手に触れるように、黒い鱗におおわれた巨大な手が裂けた空間の向こうから出てくる。
それに男は喘ぐように声を漏らした。
「おい、やめろ、やめてくれ」
「伝説に出てくる、人の身の丈の7倍だかの竜……」
レイルが両手でその鉤爪に触れてから、離す。
「よろしく、ソル」
現れたのは、レイルの言ったとおり竜だった。顔だけをのぞかせた竜の目が、男を睨みつける。
レイルが緑色に光る手を振ったかと思うと、動けない男の耳に、竜の咆哮が轟いた。
空気が震えるような感覚。けれど、レイルにもミーナにもその声は聞こえていない。
レイルが竜の声が男だけに届くよう魔法をかけたからだ。
「う……ああああああああああっ!」
男はむちゃくちゃに叫びながら、レイルに向かって走り出した。
「……頼む、リズ」
冷たく男に視線を送ったままのレイルの、つぶやくような呼びかけに、さっきまでなにもなかったはずの場所から、黒い影が飛び出した。
影の腕から伸びた何かが男と衝突して、男は跳ね飛ばされて尻餅をつく。
「ひっ……」
息をのんだ男を見下ろす影は、首のない人型の真っ黒な魔物だった。
右腕の先から横に長い刃が伸び、左腕は三本の触手のようになっている。
首から上はなく、胸にあたる部分の折れ曲がった棘の中から覗く光が、暗い赤に輝いた。
「もう一度だけ言う。二度とミーナの前に現れるな」
レイルの声に呼応するように、魔物はその棘だらけの足を進めて、男に刃を向けた。
「ば、化け物がっ……あああああああ!」
叫びながら逃げていく男をレイルはしばらく見ていたが、その姿が視界に入らなくなると、小さく息を吐きだした。
「ありがとう、ソル、リズ」
言いながら、レイルは竜のあごの下に触れる。それに低く唸った竜に、レイルは首を横に振った。
「無理なんてしていないさ。忙しいところありがとう」
竜に言葉を交わして手を離すと、竜は裂けた空間の向こうに戻り、その空間も元に戻る。
それを静かに見ていたレイルは、ミーナに背を向けたまま口を開いた。
「もう大丈夫。これできっと変な復讐をされることもない」
「レイル、さん」
なにも続けられずに唇をかんだミーナを見ることもなく、レイルは細く息を吐いた。
「……話の続きをするね。その墓は、聖騎士シャルハの墓なんだ」
近寄ってきた棘だらけの魔物に、彼は少しだけ笑う。
「帝都にある墓の下に、シャルハの遺体はない。シャルハが静かなところで眠らせてくれって言ってたから……聞けたのは僕だけだったから」
魔物の右腕の刃が、黒い塵になって消える。その手にレイルは軽く触れて、離した。
「シャルハはエルフだ。エルフは1000年の時を生きる。人間は……僕はシャルハと同じように生きられないと思った。だから、僕は『化け物』になった」
「……どうして」
「それ以外ないと思った。僕は結局全部失ったよ。僕を信じてくれた人も、シャルハを信じていた人も、シャルハも死んだ。僕が『化け物』だから死んだ」
「ねえ」
「僕が死んでいたなら、みんなさっさと逃げられたんだよ。僕は誰にも信じてもらっちゃいけない、僕は『化け物』なんだから――」
「――レイルっ!」
叱声とともに、パシン、と乾いた音が響いた。
ミーナがレイルの右頬を強く叩いた音が。
「……え?」
「どうして……!?」
目を見開いたレイルの前で、下を向いたまま肩を震わせていたミーナが顔を上げた。
「どうして、自分を化け物なんて言うの!?」
ミーナは、レイルを睨みつけたまま、両目から涙を流していた。
何も言えないレイルに体当たりするように抱きついたミーナに、彼は数歩下がる。
「レイルさんが化け物なわけない! こんなに優しくて、誰かのために悲しめる人が化け物なわけないよ!」
「違う、僕は――」
「じゃあ、どうして泣いてるの!?」
その言葉に驚いたように、レイルは自分の目元に触れた。
「……なんで」
そこから頬へ、指へと滑り落ちて、伝っていく、生ぬるい液体。
「誰かのために泣ける人が、化け物なわけないよ……!」
ミーナはレイルに抱きついたまま、その胸に顔をうずめる。
そのまま彼も、空を見上げて、しばらく動かなかった。
簡単なことだった。僕は進もうとしていなかったんだ。
やろうと思えばできることはいっぱいあったのに、何をすることもなく、ただ現実から目をそむけつづけた。
自分を傷つけて、「化け物」なんて呼んで、それで償おうとしていたんだ。
――そんなのは、全くの無意味だ。シャルハが喜ぶはずないって、ずっと心のどこかではわかっていた。
なら僕は、どうすればいいのだろう。
ゆっくりとミーナが離れて、少しうつむきながら口を開いた。
「あの」
「何も言わないで。君のおかげで目が覚めた……」
大きく息を吸ってから、レイルはミーナを見た。
「ありがと、ミーナ」
「……はい」
はにかんだ笑みを浮かべたミーナに、レイルも微笑んで、それから憂いを帯びた表情に戻った。
「化け物だなんだって、そんなのは関係ない。けど、僕はシャルハを死なせてしまって、シャルハは戻ってこない……それは変えられない事実だから」
「だとしてもきっと、シャルハさんはレイルさんのこと、恨んでなんかないと思います」
言い切ったミーナに、レイルは少しだけ目を閉じた。
「……だといいな」
微かに風が吹いて、木々がさざめく。
と、レイルの横からすっと黒い影がミーナに近づいてきた。
「……リズ、あんまり近づくとミーナが怖がるよ」
ピタッと動きを止めたリズと呼ばれた魔物に、ミーナは少し笑った。
「大丈夫ですよ。レイルさんの友達なんですよね」
「うん、まあ、統一戦争よりも前からの付き合いで、僕より年上……というかすごいな、ミーナ。怖くないの?」
「レイルさんの友達なら」
「よかったね、リズ」
リズの肩に触れて、レイルが胸の中心、棘に囲まれた赤い光を覗き込む。
「……リズが『ありがとう』だって。僕のことについて」
「どういたしまして」
笑って返したミーナに、赤い光が少し輝いた。
「さて、リズは帰る……え、なに?」
言いかけたレイルの目の前に、リズの左側から生えた触手のようなものが、レイルの顔の目の前に伸びた。
「……覚えてたんだ、今日のこと」
そこには一輪の、薄紫色の花。
「わかったよ。じゃあ、一緒に」
少し笑いながら言った後に、レイルはミーナのほうを見た。
「ミーナもお願いしていいかな。シャルハに少し、お祈りを」
彼女はそれに、小さくうなずいた。
「ねえ、ミーナ」
全員が転移魔法で呼び出した花を供え、最後にレイルが祈り終えて、墓の前でしゃがみこんだまま口を開いた。
「なんですか?」
「シャルハのために、今の僕に何ができるかな」
立ち上がって、レイルはミーナのほうを向く。
「僕はシャルハに何もしてあげられなかった。だから、今からでも何かしたいんだ」
「……それは、レイルさんが探すしかないと思います」
まっすぐに言い返したミーナに、思わずレイルは苦笑した。
「だよね、ごめん」
「でも、シャルハさんにできなくて、レイルさんにしかできないことをするべきだと思います」
「僕にしかできないこと、か……」
切りかえすミーナに、レイルは歩き出しながら微笑んだ。
「ありがと、ミーナ」
「いえ、そんな――」
――言いかけた語尾が止まる。
ミーナの目は、レイルの背後で止まっていた。
その視界の隅で、リズがすっと右腕を動かして、レイルの背後を指す。
立ち止まって、振り返ったレイルは、その目を見開いた。
「……シャルハ」
確かにそこに、シャルハがいた。
僕の記憶の中の姿、そっくりそのままで。
けれど、わかっていた。あれはきっと幽霊か何かだって。
風が吹いて、シャルハの髪の毛がなびく。
「――」
その口が動いて、何かを伝えたように見えて、微笑んで――次の瞬間、そこにシャルハの姿はなかった。
まるで初めから何もなかったかのように、風が流れる。
その風に乗って、声が聞こえた、気がした。
「……聞こえた?」
尋ねたレイルに、ミーナがうなずく。
「ありがとう、って……」
「じゃあ、今のは、僕だけが見た幻じゃないんだ」
レイルは空を見上げる。誰かの応えを期待するように。
「……決めたよ」
少しだけ時間をおいて、レイルが口を開いた。
「僕は世界を回る。今の世界がどうなっているのか……シャルハが描いた未来に近づいているのかが知りたいから」
それで、それに世界を近づけたいから……そう、レイルは続けた。
シャルハの見たかった世界を、この目で見るのだ、と。
「あのさ、全部が終わったら……」
そこでいったんレイルは言葉を止めて、ミーナを見た。
「そうしたら、ここに帰ってきてもいいかな?」
「……はい!」
弾けるようにミーナが笑う。
そよ風が2人を撫でて、空へと流れていった。
僕には何もない。
けれど僕は空っぽじゃなくて、この身一つでどこまでも行ける。
だから僕は、果てを見届けるんだ。
シャルハが描いた、誰もが笑って暮らせる未来の果てを。
僕らが必死になって掴み取った、夢の果てを――