0 プロローグ
「おはよう。気分はどお?」
「あれ・・・・?」
声をかけてきたのは琥珀色肌の見知らぬ女性。誰だろうか?でも、相手は僕を知ってるようだけど、こんな美人さんは知り合いにいないはず。そもそもここはどこだろう?頭の中に疑問符が次々わいてくる。
「う~ん。まだ意識がはっきりしないかな?」
女性は右手の人差し指をあごにあて、美の女神と言われも納得してしまうような美貌をコテッと右に傾けてたずねてきた。伸ばした黒くツヤのある髪がまっすぐに腰まで流れ、頭の動きに従いシャラリとゆれる。深い知性を感じる黒い瞳と、わずかな悪戯心をたたえた口元に浮かぶ微笑のカケラの対比、小首をかしげる仕草に大人の女性と幼い少女の同居する様を見たようでドキリとする。
そんなことを思いつつ、ぼーっとながめていたからか、女性は腰を少しかがめながら顔をぐっと近付けてのぞきこむようにして、両手で僕の頬を包み「大丈夫?」と言葉を重ねた。
「えぇ!?あ・・・・は、はい!だだ、大丈夫・・・・です」
急に近付いた美しい顔と、意識してしまった女性からのやわらかに匂う花の香りに慌てて、何を答えているのかよくわからない。頭の中の疑問符も一気にかき消えてしまった。
「そう。良かったわ」
女性はにこりと微笑むと、僕の頬から手を離した。
「あなたのこと色々お話するから、ついてきてちょうだい」
そう言うと、ダークレッドのロングドレスの裾をフワリとひるがえし背を向けて、ドアに歩いて行く。
混乱する頭でなんとか考え、ここに一人置いて行かれるのはまずそうだと判断して、急いで起き上がり女性の後に続く。ついでのように、自分が今までベッドに腰掛けていたのだと気付いた。
応接室だろうか。絵画などのインテリアは無くとも、品の良いソファーとテーブル、毛足の長い赤の絨毯と高級感漂う室内の調度に少し気後れする。柔らかい光源はランプだろうか?それにしてはしっかり明るい。
「かけてちょうだい」
そう勧められて、女性の向いのソファーに座る。
「まず、挨拶からね。私の名前はアユフレード。あなたにわかりやすくいうと、そうね・・・・神様って呼ばれる存在ね」
「・・・・」
首筋がゾワリとする。美人さんだと思って油断してたら、危ない人だった。何だこれ?誘拐?拉致監禁?洗脳?・・・・危険な単語が脳内を駆け巡る。膝が震えそうになるのをぐっとこらえて、視線をアユフレードと名乗った女性から外さないようにしつつ室内の様子を思いだす。
窓は無かった・・・・地下室かな?ドアは・・・・最初の部屋と今居る部屋をつなぐドア以外見当たらなかった?出口はどこ?
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。だってあなた、もう亡くなってるのだから、あれこれ心配してもしかたないもの。魂の輪廻の中でだんだん記憶が浄化されていくから覚えていないかもしれないけど・・・・」
口元を手で隠しクスクスと笑いながら、とんでもないことを言い出すアユフレード。
魂とか輪廻とか、これ以上はおかしな妄想に付き合ってはいられない。一刻も早く、このおかしな人と二人きりの状況から逃げ出したい。でも、逃げるにしても出口も不明だし、ここがどこかもわからない。危ない宗教団体なら、アユフレードの他にも仲間がいるかもしれない。今は丁寧に応対されているが、うっかり怒らせたら何をされることか・・・・
「う~ん、信じられない?じゃあ、自分の名前や家族のこと、思い出せる?」
「そんな話、はいそうですかって、信じる、わ・・・・け・・・・え?」
ホントに思い出せない。名前も家族のことも、生年月日も友人のことも。男の一人暮らしってイメージや、何か仕事に就ていたような気はするけど、何をしていたのかはぼんやりしていて具体的に思いだせない。
なんだこれは。訳がわからない。
「ね、思い出せなかったでしょう?あなたは地震で建物が崩れたせいで亡くなったの。本当はそのまま、何もかも忘れて真っ白な魂になってから、次の輪廻に向かうのだけど、今回はチョットお願いがあってこっちにきてもらったのよ」
何も思い出せず茫然とする僕に気遣うように柳眉をひそめて言葉を続ける。
“そんなはずがない”という単語を中心にして、思考がグルグルと同じ場所で回っていて、全然まとまらない。耳から入ってきた言葉の中で何とか意味を認識できたものを、つい繰り返すようにつぶやいていた。
「・・・・お願い?」
「そう。次の人生を地球とは別の、わたし達が管理する世界ガルド・デューで過ごして欲しいのよ」
「はぁ・・・・」
完全に理解が追いつかず、僕はぼんやりと返事らしきものを返すのが精一杯だった。
「そうね。時間はあるし、少し落ち着くまで待ってから続けましょうか」
アユフレードはそう言って右手を左の肘辺りにもっていき、手のひらをひるがえしながら軽く右に振ると、テーブルの上にティーセットが現れた。
「!!」
あまりにも非常識なできごとに思わず腰が浮き上がるけど、足に力が入らずにソファでバタバタしてしまう。
「私のお気に入りの紅茶だけれど、お口に合うかしら」
アユフレードは混乱する僕にかまわず、スッとナプキンを膝に掛け湯気をたてるカップに角砂糖を一つ落とすと、ティースプーンを音もなくふた巡りさせてからソーサーに戻す。
こんなにキレイな所作を自然にできる人っているんだ。って、そうじゃなくて、
なんだなんだなんだ~~~!?
◆◆◆
「わかってもらえたかしら」」
「はい。僕・・・私がもう死んでることと、あなたが世界の管理者で神様みたいなものということと、次は地球じゃない所で生きるんだっことは、なんとかわかりました」
さすがに目の前で僕のリクエストに応えて色々なお茶やお茶菓子をパッと出すような魔法(神の奇跡?)を実演されたうえで説明を聞いては、頭のおかしい人だなんて言えなくなってしまった。魔法はトリックじゃないかとか、記憶については薬物や脳への細工をされたのかもとか考えてはみたけれど、結局どれも納得できるものではなかった。思考停止ともいう。
今さらジタバタしても、すでに前回の人生は終わってしまっている。次にどんな生まれ変わりをするのかは知らないけれど、神様が決めたことに逆らっても仕方ない。反抗的で気に入らないからミジンコに転生ね!なんて展開にならないように言葉には気をつけよう。
状況を理解させられると、さっき言われた“お願い”が気になってくる。ただ別の世界で生きてもらうって、神様みたいな人がわざわざ他の世界から人を連れてきて、お願いすることってどんなことなのかな。聞くのが少し怖いけど、知らないのも不安だ。
「普通に生まれ変わるのと何が違うんでしょう。何かお願いがあるんですよね?」
「その前に、なぜあなたにお願いをしなくてはいけなくなったのか、その理由からお話しするわ。もともとガルド・デューと地球の世界は、それぞれ存在力のバランスが悪くって、そのままだと世界の維持に問題があるの」
突然スケールの大きなことを言いだしたよ。あ〜でも、世界の管理者が世界の維持のためってことは通常業務かぁ。神様視点だと当たり前なのかな。
「具体的には、ガルド・デューでは存在力が恒常的に過剰で、放置するとやがて世界がパンクしてしまうの。地球の世界は逆に存在力が希薄になっていて、そのままにしておくとゆっくり消滅してしまうのよ。あなたには、ガルド・デューで生きていく中で、魂の存在力を高めてもらいたいの。そうしたら、あなたが亡くなった後にその魂を地球の世界に戻すことで存在力のバランスを取らせてもらうわ」
魂の存在力なんて言われてもピンとこないけど、そもそも人を一人入れ替えるくらいでどうにかなるものなのかなぁ?
「存在力、ですか。高めてっていわれても、何か特別な修行みたいなことをしたらいいのでしょうか」
「う~ん。色々方法はあるけど、他の存在に自分のことを意識されるような生き方をするっていうのがわかりやすいかしら。名前が知れ渡っていて無視できない状態である程度の期間を過ごしてもらえればいいわ」
「名前が知れ渡るって、有名人になれってことですか?山奥で人知れずひっそり人生を送ってはダメ?」
「あなた、隠居生活がお望みなの?」
アユフレードはさもおかしそうにころころと笑う。
「そうね、もし仙人のような生き方を希望しているなら、残念だけど叶えてあげられないわね。でも、あなたが無理をして名前を広めなくても良いように計画したから安心して。私達も輪廻の流れを操作して、そのうえ世界をまたいで魂を移したのだし、きちんと考えてるから。」
「はぁ・・・」
「だからあなたは世界を滅亡させないために、がんばって一生を過ごしてね」
「いやいや。世界を滅亡から救ってとかいわれても、そんな救世主みたいなこと無理ですよ!」
自分で発した救世主という言葉の響きに恥ずかしくなりながらも、手を顔の前で振りそんな大役は引き受けられないと必死に訴えると、アユフレードは何がおかしいのかコロコロと笑ってこう言った。
「そんな心配しなくても大丈夫よ。だってあなたにやってもらうのは、救世主じゃなくて魔王だもの」
僕の、2つの世界を救うための魔王ライフはこうして始まった。