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少年のお茶

お題「少年のお茶」 時間:2時間

 その日、彼はお仕事で留守にしていて、私はいつものように留守番をしていた。

 掃除と洗濯を終えて、日が傾いて来た頃。

 玄関の呼び鈴が鳴って、私はいそいそと玄関へ向かった。


「はい、どちらさまですか?」


 いつも相手が誰なのかを確認してからドアを開けるようにと彼に言われているので、私はドアの向こうの人に呼び掛ける。


「……俺だけど」


 素っ気ない返事はそれだけだった。

 それだけでも私には誰なのかがわかったので、ドアを開ける。


「こんにちは」

「よぉ」


 そこに立っていたのは、学生服を着たお兄さん。

 お隣の家の息子さんだ。

 お隣さんは旦那さんと奥さん、息子さんの3人家族。

 3人とも彼だけでなく、私にまで気を配ってくれる、とてもいい人たちだ。

 学生さんはいつも素っ気なくてぶっきらぼうな言い方をする。

 初めは何かに怒っているのかと少し怖かったのだが、今ではだいぶ慣れてしまった。


「回覧板ですか?」

「いや。これ、お袋から」


 そう言って学生さんがその場にしゃがんで紙袋を私に差し出した。

 背が高い学生さんは、よくこうして私の背丈に合わせるようにしゃがんでくれる。見上げていると首が痛くなってしまうので、ありがたい。


「なんですか?」

「紅茶。なんか、いい茶葉があったからおすそ分けだって」


 紙袋の中身をゴソゴソと探ってみれば、綺麗なパッケージの四角い缶が入っていた。


「じゃ、ちゃんと渡したから」


 そう言って学生さんは立ち上がり、踵を返そうとする。

 私は学生服の裾を掴んでそれを引き留めた。

 簡単に振り払えるはずなのに、学生さんは律儀に足を止めて私を振り返ってくれる。


「どうした?」

「あの、お茶、よかったら……」


 そう言って見上げると、学生さんは私に向き直ってまたしゃがみ込んだ。

 軽く首を傾げて、私の言葉を待つように何も言わないで待っている。


「せっかくなので、お茶淹れます。よかったら、飲んでいってください」

「どうせなら、先生に淹れてやれば?」


 学生さんは彼のことを先生と呼ぶ。病院の看護師さんたちにもそう呼ばれているのを聞いた。

 私も時々真似をしてそう呼んでみたりする。

 すると、彼はなぜか恥ずかしそうにはにかむのだ。呼ばれ慣れているはずなのに、どうしてだろう。


「あの……お礼を」

「お礼?」

「……私が風邪を引いた時」


 そう言うと、学生さんはあぁ、と納得したように呟いた。

 以前、私が風邪を引いて倒れた時、回覧板を持ってきたのが学生さんで、彼に連絡を入れ、彼が戻って来るまで私を看ていてくれたそうだ。


「別にお礼されるようなことじゃないし」

「私が、何かしたいんです。迷惑じゃなければ――」


 学生さんは私の頭を撫でてその先を遮った。

 慣れていないせいか恐る恐るといった手つきはぎこちないが、学生さんの優しさが伝わってくるようで、私は嫌いじゃない。


「迷惑じゃない。じゃあ、ごちそうになる」

「はい!」


 私が中へと促せば、学生さんはお邪魔します、と言って中に入ってくれた。

 私はいそいそと台所へ行って薬缶を火にかけた。

 カップを出して来て、もらった紅茶の缶を手に取る。

 缶の蓋を取るのに手間取っていると、いつの間にか学生さんが隣にいて私の手から缶を取ってあっさり蓋を開けてしまった。

 蓋を流し台に置いて、缶だけを手渡してもらい、私はおじぎをする。


「あ、ありがとうございます」

「何か手伝うか?」

「いえ! 座っててください」


 学生さんは少し渋ってから居間へと戻っていく。その背中を見送って、私は開けてもらった紅茶の缶を覗き込む。

 こげ茶色の葉がたくさん入っていた。そっと鼻を近づけて、その匂いを吸い込む。

 いつも彼と飲む緑茶とは違う香りに、思わず口元が緩んだ。

 そういえば、とミルクと砂糖を出してきてカップと一緒にお盆の上に置く。

 しばらくして薬缶が音を立てたので火を消し、ポットとカップにお湯を注いで温めた。

 ポットに茶葉を入れてお湯を注ぎ、蓋をして蒸らす。

 茶葉によって蒸らす時間は違うらしい。私にはまだその違いがわからない。

 ポットもお盆に載せて居間へと運ぶ。落とさないように慎重に。

 縁側にいた学生さんが、居間にやってきた私に気づいて歩み寄って来た。


「持つか?」

「大、丈夫です」


 話しかけられると落としてしまいそうで、ぎこちなく返事をする。

 学生さんは何も言わずにそっと私から離れて座った。

 座卓の上にそっとお盆を置いて、ポットを持ち上げる。カップに茶こしを添えて、紅茶を注いだ。

 綺麗な飴色の紅茶がポットに注がれる。ふわりといい香りが鼻をくすぐった。

 2つのカップに紅茶を注ぎ終えて、片方を学生さんの前に差し出した。


「どうぞ」

「どうも」


 一緒に砂糖とミルクを差し出せば、学生さんは首を横に振った。私は砂糖をスプーンで2杯、ミルクも入れる。


「淹れるの、練習したのか?」


 紅茶を飲んだ学生さんが尋ねてくる。

 私は思わず身を乗り出して、学生さんの顔を見つめた。


「前よりうまくなったな」

「ほ、本当ですか?」

「うん、うまい」


 学生さんは砂糖をスプーン1杯、ミルクも入れて再び口をつけた。

 私は嬉しいやら照れ臭いやらで俯き、紅茶に息を吹きかけて口をつける。

 初めてお隣の奥さんから紅茶をもらった時、奥さんに淹れ方を教わっていた。

 それでも、初めは茶葉の量を間違ったり、蒸らし過ぎたり足りなかったりでなかなかうまく淹れることができなかったのだ。

 それでも、彼は笑顔でおいしいと言ってくれたのだが、お世辞だということはわかっていた。

 私が飲んでもおいしくないと思ったから。

 最近は初めの頃よりもうまくできるようになったと思っていたし、学生さんはお世辞を言ったりしない人だ、少し自信がついたような気がする。


「でも、まだ奥さんのように上手に淹れられません」

「お袋は本職だから、しょうがねぇよ」


 お隣の奥さんは、喫茶店で働いているのだそうだ。

 お店で仕入れた紅茶を個人的にも購入して、時々こうしておすそ分けしてくれる。

 淹れ方を教わった時に淹れてもらった紅茶をいただいたが、私が淹れた物とは比べ物にならない程おいしかった。

 どうしたらあんなにおいしい紅茶を淹れることができるようになるのだろう、とぼんやり考えながら紅茶を飲む。


「たくさん練習したら、おいしくできるでしょうか?」

「そりゃ、練習すればなるだろ。現になってる」

「……はい」

「あまり頑張り過ぎるなよ」

「え?」


 カップに落としていた視線を上げると、学生さんはまっすぐ私を見つめていた。


「また倒れたら、先生が心配するだろ」

「……はい」


 彼だけでなく学生さんにまで心配をかけてしまっているのだ。

 申し訳なくて、学生さんの顔を見られない。

 その時、玄関のドアが開く音が耳に入って顔を上げた。


「先生か」

「たぶん、そうです」


 私は学生さんに待っててくださいと言って玄関へ向かった。

 玄関ではちょうど彼が靴を脱いでいるところで、その背中に声をかける。


「おかえりなさい」

「あぁ、ただいま」

「お隣の、学生さんが来ています」

「靴があったからわかったよ。何してたんだい?」


 靴を脱いで立ち上がった彼は笑顔で振り返る。

 今日も眼鏡の奥の瞳には疲れが見えた。


「奥さんがまた紅茶をおすそ分けしてくれたので、一緒にお茶をしていました」

「そうかい、いつも悪いなぁ」


 へらりと笑って頭を掻きながら、彼と一緒に居間へと向かう。

 居間の学生さんは、先生の姿を見て頭を下げた。


「やぁ、いらっしゃい」

「おじゃましてます」

「いつも悪いね」

「とんでもないっす」


 彼はすんと鼻をならす。


「良い匂いだ。さすが、お隣の奥さんはいいお茶を選ぶね」

「まぁ、本職っすから」

「そうだ。その後の怪我の調子はどうだい?」

「もう全然痛くないんで、部活にも出てます」

「それはよかった。でも、何か変だと思ったらまたおいで」

「はい」


 学生さんは学校で部活動というものをしているらしい。

 以前、怪我をして彼の病院で診てもらったのだそうだ。


「じゃあ、俺、そろそろ帰ります」

「もっとゆっくりしていくといいよ。どうせなら、夕食でも一緒にどうだい?」

「や、今日はお袋が飯作って待ってるんで」

「そうかい。残念だ、またおいで」

「はい」


 学生さんはカップに残っていた紅茶を飲み干して、立ち上がった。


「ごちそうさま」

「はい」

「練習したら、また飲まして」

「……はい!」


 また、と言われて嬉しくなり笑顔で頷くと、学生さんは私の頭を撫でて、彼に会釈をして去っていった。


「頂いたお茶はどうだった?」


 食器を片づけているところに彼がやって来てそう尋ねてきた。


「とてもいい匂いのするお茶でした。食後に淹れます」

「それは楽しみだ」


 彼は笑って私の頭を撫でてくれる。


「私、もっと上手にお茶を淹れられるようになります」

「今でも十分おいしいよ」

「もっともっとです。でも、無理はしません」


 意気込んで言い返せば、彼はキョトンと目を瞬いて、嬉しそうにへらりと笑った。

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