第1話 五里霧中
「ロン、これで終わりですね。ラストだよ」
俺は手牌を倒してメンバーに軽く微笑んだ。
「はい優勝は森田さんでしたぁーありがとうございます」店のメンバーが大きな声を出してカウンターに伝えると俺からゲーム代を徴収していった。
「なんだい、また勝ち逃げかい!森ちゃん」70絡みの白髪頭のオヤジがいつも通り俺に対して口を尖らせ、ムッとしている。表情はムッとしているが、内心は怒っちゃいない。俺が帰るのがつまらないのである。店の常連の鉄さんはいつも口さがない。
ここは横浜にある麻雀荘ムー。横浜でも1、2の規模を争う店だ。学生さんが4人で来て仲間うちで打つ事もあれば、1人で来て他の1人打ちの客と宅を囲む場合もある。これをフリー打ちと言うがこれが圧倒的に多いのが雀荘ムーだった。鉄さんも俺もフリーでしか打たないが、鉄さんは日曜以外はほぼ毎日の超常連、俺も最低週2回は来る常連なんだ。
「ごめんね鉄さん。おれ昼メシ抜きだから、腹ペコでさ」もう時間は夜の8時になろうとしていた。たまたま昼飯食う暇が無かった俺の腹の虫はもう限界に来ていた。
「今日は仕事ないんだろ。なら出前でも取ってさ……」鉄さんは仕事がない俺をなんとか引き止めようとするが、俺は手を振ると話を遮った。
「鉄さん、俺がサイドテーブルに飲み物は置いても喰い物は絶対置かないってのは良く解ってるじゃん」俺は麻雀を打っている最中は絶対にものは食べない。第一集中力が削がれる事この上ない。この決め事を作ってから俺はこの店ではトータル黒字を続けている。
えっ俺は麻雀打ちだってかい?いやいや俺の名は森田了。しがない勤め人だ。
「わかったよ。で、次はいつだい?」鉄さんは次の対戦を心待ちにするように俺に念押しをしてきた。
「あさって、あさって」俺は若干はにかむように鉄さんに言うと、預けた荷物を取りにカウンターに向かった。ちなみに鉄さんの本名は葉山鉄五郎と言い、ん十年前はこの辺のおあにいさんだったそうだ。おあにいさんって何かって?別の言葉で言ったらヤのつく商売のナンバー2のことだ。
でも今はただの隠居だよって笑っていたっけ。でもこの前たまたま一緒に飯食べに行ったら、取巻き連中5,6人連れた現役ナンバー2と道端で出くわしちゃって、「叔父貴、お疲れ様です!!!」って集団で頭下げられた時の鉄さんは貫禄あったなぁ。たけどそのときの鉄さんって言ったら急に怒り出しちゃって、「馬鹿野郎!!!堅気の人の前でそんな挨拶するんじゃねぇ」って言って若い衆の頭2、3発叩いてたっけ。
でもそんな鉄さんもここでは俺のよき好敵手で、よき飲み友達なんだ。
だから麻雀の腕も玄人はだし、俺も打っていて面白いんだ。でも手積みじゃ絶対打たないよ鉄さんの裏芸にだけはかなわないからね。このあたりで鉄さんと手積みで打つ奴は鉄さんに金を貢ぐようなもんだからね。
まぁ鉄さんとの思い出はまた後で語るとして、俺の腹の虫は治まりのつかないところまでせまっていた。
「あぁ腹減った。何かしこたま詰め込まないとだめだ。店長荷物取って!帰るからさ」といって店長の小野さんを急かしていた。
「了ちゃん、まってまって。先月の勝率第1位だったから、改めて表彰です。森田さん7月度月間勝率第1位おめでとうこざいます」手の空いていたメンバーが拍手をもって祝福してくれる。小野さんから手渡された封筒には日本で一番モテる男、諭吉さんが2枚入っている。ムーでは月間勝利数と月間勝率のそれぞれ1位に表彰があり、諭吉さんを2枚頂ける。
「いやぁ、ありがとう。これで今晩はちょっと良い物食えるなぁ」と言いながらも、俺は内心これで何回目だろうと考えていた。12ヶ月のうち半分は俺がかっさらっていく計算だった。
「またまた、了ちゃんこれで通算14回目だよ。当たり前のように受けとってもらわないと」小野さんは茶化してから俺の手提げ鞄と傘を渡してくれた。
「ありがとうございましたぁ」その声を背中に受けて、俺は階段を降り傘をさして駅と反対方向にある宝くじ売り場に向かう。
「おぉ、閉まっちゃう閉まっちゃう」これは俺のもう一つのゲン担ぎだった。毎回ロトくじを全く同じ数字で2口買う。当たるべくもないのは百も承知なんだが、これをやり出してからはあまり麻雀で負けない。毎回600円の出費で月20万近い副収入があるのだから、担ぐべきゲンには違いなかった。
「おばちゃぁ〜ん、いつもの数字で2口分」
と言いつつボロボロになりかけているマークシートを幸運の女神?に差し出す。
「あんたも毎回懲りないねぇ。今までの分は
きちんと確認してるのかい⁉︎あっ!このシートもう読み込めないよ。新しいの書いて頂戴ね」ずっと同じ数字だった為にマークシートを使いまわしていたのでボロボロになっていて使いもんにならない。
俺も懲りないなぁなんて呟きながら、おばちゃんに600円を貢いて退散することにする。
駅に向かう為にムーの前を通りかかると階段から1人の女性が降りてきた。
「よぉ!奈々。今日は上がりか?」さっきまで俺と同卓していたメンバーの倉田奈々が傘も持たずに降りてくる。倉田奈々は短大を出た後に、事もあろうに大好きな女性プロに憧れてプロ試験を受けて一発合格したへんてこりん、いやいや豪の者だ。短大でて素直にOLにでもなればよいものを、こういう物好きは1万人に1人くらいはいるものだ。
「あっ!森田さんお帰りですか?」
「奈々さんさぁ、俺さっき帰る際のやり取り全然聞いて無かっただろう。大方鉄さんと俺にけちょんけちょんにやられたんで、隅っこで考えてたんだろう。なんで負けたんだか」俺と鉄さんが同卓するとだいたい2人で1位2位を独占する。たまにどちらか調子が悪いと3着になったりするが、めったにないのでよっぽど性根が座った奴でない限り他の客が同卓する事はなく、小野さんはプロメンバーかプロ志望メンバーを入れてくる。
「だって葉山さんと森田さんが打っているとまるでコンビ打ちですよ。そして打つスピードが速いし、私ついていくので精一杯ですよ」奈々はそういうとちょっと拗ねた表情をみせる。
コンビ打ちとは組んでお互い有利になるように阿吽の呼吸で動く麻雀の打ち方なのだ。だが、別段鉄さんと俺は示し合わせて打っている訳ではなく互いの手の内を推し量って打っているだけなのだ。何か特別なサインを作ってズルをしている訳ではないのだし、相手の手の内や心理状態を読み合うのが勝負の妙であり勝負のアヤである。その妙やアヤを楽しんでいる上での勝負だから鉄さんと打つのやめられないのだ。
「まだ勝負のアヤなんてわからんから仕方ないなぁ。ただなんで今日同卓したんだ?」
「今日は店長にお願いしたんです。葉山さんと森田さんはうちの勝ち組でしょ、私どうしても新人戦で優勝したいんです。ところでアヤって森田さんの彼女ですか?」この娘は天然なんかと一瞬思いながら俺はその場でずっこけたが、すぐ体制をもどしてから思わず大笑いをしてしまった。
「はっはっは!俺にはそんなもんはいないよ。まぁ奈々も、もう少し日本語を勉強するん、んがっ」俺がそう言いかけると奈々は俺の腕を掴んで傘の陰に隠れるようにしがみついて来た。
「森田さん、早くこの場から離れてください」奈々がよく目立つ胸を俺に押し付けながら囁いてくるので、俺は訳も分からず駅のほうに歩き出した。