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夜の訪問者  《⒈侵入者》

作者: 野脇幸菜

病院に運ばれてきた10日後に目が覚めた。


頭はボォッとしていたが妻が花を花瓶に生けているのが見えた。


白い花なのはわかったが、輪郭がはっきりわからず何の花なのかはわからなかった。


妻はふとこちらを向いて、涙ぐみながら近づいてきて倒れてから10日も意識がなかったことを教えてくれた。


そして、お医者さんに知らさねばと病室から出ていった。


心配かけて悪かったねと妻に声をかけようと思ったのだが口が開くだけで声がでなかった。


10日も眠っていたので声の発し方を一瞬忘れたのかもしれない。


あっと声を発しても息をする変な音が流れるだけで声は出なかった。


それに何だか体も動かそうとしても動かない。


接着剤でベッドにくっつけられているような感覚だ。


10日も眠り込んでいたら体は何かをする感覚を忘れてしまうのだろうか。


何しろ今まで10日も眠り込んだことがないので、何が現象として起こるのか私にはわからないのだ。


10日眠り込んでもこれなのだから眠り姫という女はなんて素早く目覚めてあぁ王子様なんて言えたのだろう。


若さのせいだろうか。


それから五日が経った。


妻は毎日やってきて昼ご飯から夜ご飯が出てくるまでいてくれる。


妻は顔にどっと疲れがでていて申し訳ない。


五日前に目を覚ました時はいつ目が覚めるのかわからない状態で不安を抱え、今は首から上しか動かず 一生寝たきりと恐らく医者から宣告された夫との将来の生活を考え目を覚ましても妻の顔から疲れがとれることはなかった。


声も発せられない寝たきりの夫になりどうするのだろう。


妻には迷惑をかけ通しだ。


私は定年になり再雇用制度は使わずに妻と定年後の生活を送っていた。


今まで支えてくれた妻に恩返しをしようと料理や掃除を妻に教わりながら老後は家事をほとんど自分でやろうと思っていた。


妻に毎日怒られた。


あなたがやると時間が何倍もかかるからイライラするわと何度も言われながらやっとこさコツをつかんだ

ばかりだったのに、結局は自分にとっても妻にとっても無駄に終わってしまったようだ。


妻にはサラリーマン時代よりもさらに負担をかけることになった。


妻はリハビリをすれば歩けるようになるからと明るく言っているが恐らくそういうことはないと医者からは言われているだろう。


妻は一生分の疲れを既に顔に出していたから。


それでも妻は一生懸命に自分の心を保ち、普段の自分を演じていた。


すまないと一言だけでも声をかけてやりたかったが、がんばろうという答えにうなずくことしか今の自分にはできなかった。


妻は昼食の時に病院にやってきて、夕食の後に帰って行った。食事の介護や身の回りのことや話をしていってくれた。


幸いともいえるのは、息子が既に独立して結婚した後だったことしかない。


幸いとまでいえる条件には満たない気はするが。


私はこれが永遠に続いていくのかと思うと就寝時に涙を流すようになった。


一日中ベッドで過ごしているといつ寝るべきなのかわからなくなり、続けて何時間も寝ることはできなくなっていた。


就寝時に電気を消されてもパッチリと目が開いているのだ。


こうなると考えることしか私にはできない。


手を動かせないので本を読むことも、テレビやラジオをつけることもできないのだ。


そうなると、天井を眺めながら考えることしかできないのだ。


自然と気持ちは沈んでくる。


いや、もう明るい光が当たっている昼間さえも悲しくて情けなくて仕方がない。


でも、せめて昼間だけは妻の明るさに同じようにお互い演技をして、たまにニコッとうなずいてやる必要があるのだ。


それが、妻に対して今自分が唯一できることだから。


朝になると無残な中年男の涙の跡が顔にくっきりと残っていた。


しかし、自分ではそれを拭いて隠そうとすることさえできないのだ。


でも、止めることも今の自分にはできなかった。


朝になると看護師がやってきて、顔を濡れタオルで拭いてくれた。


気づいても気づかない振りをして自然に拭いてくれる者、奥さんに見られたらどうするのと軽い説教のように言うもの様々いた。


そんな恥をかいても止めることはできなかった。


目を覚ましてから1ヵ月で自分がいったい何なのかわからなくなった。


そして、その日はとうとう妻が帰った後に涙がポロポロ流れ始めた。


もう妻の前で演じることさえもできないかもしれない。


そう思うとさらに涙はました。


その時、ドアが横にスライドする音が聞こえた。


しまった妻が忘れ物でもして戻ってきたのだ。


見られてしまう。


何て夫なんだ!妻をさらに追い込める気か?止めるんだ涙を!


しかし、ダメだった。


この状態では誤魔化すことさえもできない。


終わりだ…。


「なぁに泣いてんの?オッサンの涙ほど世の中で見たくない物はないのに。いきなりそれを見せるなんて最悪よ!」


首を横にしてその方向を見てみても、声を聞いた時と同じで全く知らない人物だった。


誰だろうと考えても思い浮かばなかった。


仕事終わりの看護婦でもない。


昔の部署にいたかなと思い巡らせても知らない。


二十代前半といったとこだろうが、服は限りなく子育て中の主婦のような動きやすく地味なものだった。


しかも限りなく地味だった。


娘はいないし、姪っ子とはしばらくあっていないとはいえ、目の大きさが明らかに違っていた。


こちらの女の子の方が目がでかい。


「何?ひょっとして忘れちゃった?ひどいー。せっかくお見舞いにきてあげたのに。田辺さんたら。」


思わず首を振った。


違うという意思表示だ。


恐らく誰かの部屋と間違えているのだろう。


驚いた振りをして首を振り続けた。


「何?あっもしかして間違えてるんじゃないかって言いたいの?」


私はゆっくりと頷いた。


「残念。私はちゃーんと田辺清彦さんに会いに来たんだよ。ねぇ早く誰か思い出してみてよ。それまでそ

の汚い顔拭いてあげないからね。」


そう言われたので何度も何度も思い返してみたがわからなかった。


果ては同級生だった人の娘かなどとまで考えてみたが、当てはまる人物はいなかった。


私はお手上げだと言うような気持ちで首を大きくゆっくりと横に振った。


「仕方ないなぁ。今日は勘弁してあげる。」


そう言うと彼女はティッシュを一枚取って拭いてくれた。

「ほとんど乾いちゃってるよ。耳の穴くらいしかもう濡れてるとこないよ。しょうがないなぁ。」


そう言うと彼女は備えつけの洗面台にティッシュを濡らしにいき軽く顔を拭いてくれた。


その直後またドアがスライドする音が聞こえた。


妻がこのわけのわからない状況を助けるために戻ってきたのかもしれない。


よかったぁ。


しかし、入ってきたのは看護婦だった。消灯時間ですと中年の看護婦がやってきたのだ。


「あら娘さんですか?」


「いいえ。私たちは…。」


そう言うといきなりその若い女性は泣き始めた。


「あの看護婦さん私達は奥様に秘密の関係なんです。でも彼に会いたくて…。」


私はあっけにとられた。何を言っているんだこの娘は。


「だから私これから消灯前の時間に来ようと思ってるんです。少しでも彼のそばにいたくて。」


「わかりました。こういったケースは他にもありますので私たち看護婦は秘密を守ることも仕事です。奥様には余計なことは何も言いませんから。大丈夫ですよ。」


私は一生懸命首を振ったが、看護婦は笑みの軽蔑を私に向けただけだった。


「ありがとうございます。感謝いたします。」


嘘つきはそう言った。


「消灯時間なのでそろそろお帰りください。電気は消していってくださいね。」


「わかりましたありがとうございました。」


看護婦はそれを聞くと考えるように部屋を出ていった。


フフフフッ。アハハハッ。


彼女の目からは涙はもう出ていなかった。


「あの看護婦これからどうこのネタを捌くかでもう頭がいっぱいになってたね。一瞬で人への見下しが始まるから人間ってろくなもねじゃないわ。」


私は彼女を睨みつけていた。この大嘘つきやろう!


「そういうことだから。じゃぁねぇ。」


そう言うと彼女は電気を消して出ていった。

続きはいつになることやら。

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