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白い霧の向こう ― 茶馬道の小さな殺意 ―  作者: 鬼丸 千


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第25話 灰色の嘘

 大通りからひとつ入った路地に、手頃な茶店があった。

 地元の常連客で、にぎわっている。

 咬み煙草をくゆらせている老婆の隣で、猫が喉を鳴らしていた。


 芳寧ファンニンの隣では、克己クジが赤くなった手首をこれ見よがしに眺めたり、首をさすったりしている。その向かいには、気まずそうな表情の陸峰ルフォンが腰を下ろしていた。


「まったく、ひどい目にあった」

 克己クジがそう言うのは、三度目だ。


「そんな恰好をしているからよ」

 芳寧ファンニンの台詞も、二度目になる。


 三人の前には、雨前茶の入った茶杯が並んでいた。春の雨を待つ前に摘んだ茶は、香りが軽やかで甘みが強く、庶民にも人気がある。


「書生のふりなんかして、ジャン家に潜り込むなんて」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな」


 慌てて、克己クジが店内を見回す。


ヤン二公子に同行しただけだぞ。忍び込んだわけでも、悪意があったわけでもない。ちゃんと正門をくぐった」


「どうして、彼に同行するのよ」


 芳寧ファンニンは、丸い小鼻をふくらませる。


「お断りしたんでしょ?」

「もちろん、お前のためだ」


 克己クジが喋るたびに、つけ髭がそよぐ。


「茶坊に脅迫状が届いたんだぞ。気が気じゃない。指定された場所に行く途中で、ヤン二公子と彼に会った」


 克己クジが、顎で陸峰ルフォンを指す。


「そうだよな?」

「はい」


 克己クジが、茶を喉に流し込む。


ヤン二公子が、お前を探すようにと彼に命じたんだ。それで、百花バイファ茶館で待っていたら──見つかったと知らせが届いた」


 芳寧ファンニン陸峰ルフォンは、顔を見合わせた。


「誰から?」

「彼から」


 克己クジが、陸峰ルフォンを茶杯で指す。


「公子に知らせたの?」

 

 芳寧ファンニンに聞かれ、陸峰ルフォンは首を振る。


「知らせてないそうよ」


ヤン公子が、そう言ったんだよ」


 克己クジは、茶杯を指で叩きながら続けた。


乃柯里ノカリ村の北門で、彼が誘拐犯の手がかりをつかんだ。馬で追跡したところ、無法者どもに追いついた。で、無事にお前を助けた」


 そこまでは、ほぼ事実と同じだ。


「お前に怪我はなかったが、拉致された恐怖でぐったりしている。追いついた場所は巍山ウェイシャンまで二里もない。だったら村に戻すより、巍山ウェイシャンで休ませた方がいいと──」


「だから、ヤン公子に同行したの?」


「そうだ。彼が――きみの名前は?」


陸峰ルフォンです」


「この陸峰ルフォンが、巍山ウェイシャンまで迎えに来てほしいと言ったと聞いた」


 どうにも辻褄が合わない。


「山小屋で、あなたは『明日、巍山ウェイシャンに向かう』と言ったわ」


 焚火を囲んでの会話を思い出し、芳寧ファンニンは聞いた。


ヤン公子が、私と父さんを巍山ウェイシャンで再会させたがっているからって……。どっちが本当なの?」


 陸峰ルフォンは、目の前の茶杯に手を伸ばした。

 話してよいことなのか迷いがある。


 あくまで推測に過ぎない。

 疑念の点と点が、一本の線を描き始めているだけだ。


巍山ウェイシャンへ向かってくれ』


 揚易棠ヤン・イタンは、そう言った。

 芳寧ファンニンの父親は、茶師として巍山ウェイシャンへ同行してくれることになっているからと。


 だが、克己クジは事前に同行を断っているという。

 そうであれば間違いない。

 揚易棠ヤン・イタンは、克己クジを茶師として雇うために芳寧ファンニン()()()()()のだ。


 脅迫状を出し、北門の途中にある百花バイファ茶館の前で克己クジを待ち、俺を使って芳寧ファンニンをこの巍山ウェイシャンまで連れてきた。


 なぜ、彼はそんな極端な行動をとった?


 ──もしや。


 陸峰ルフォンに、新たな疑念が浮かぶ。


 揚易棠ヤン・イタンが執着している相手は、父親の克己クジではなく、娘の芳寧ファンニンなのでは?

 いや、考えすぎだろう。

 しかし、点と点がつながる。

 

 乃柯里ノカリ村に入った最初の夜。

 茶商の子息と会う約束があるからと、揚易棠ヤン・イタンに同行を求められた。花祭りのにぎわいの中、急に姿が見えなくなった彼を探して路地に入ると、彼が死体を前に立っていた。


「つまらぬ事で言い争いになり、襲われた。もみ合っているうちに佐山の公子が倒れ、頭を強打してしまった」


 彼はそう言った。

 そこに運悪く現れたのが、芳寧ファンニンだった。


 俺は、彼女の目が見えないことを知っていた。

 だから、彼に目配せし、手を出すなと合図した。

 だが、彼は信じていなかったようだ。


 翌日、ならず者の馬夫を雇い、彼女に「何を見た」と確認させた。


 さらに、彼女に天能ティエンノン茶問屋の工房まで案内させ、俺に命じた。「気づいた事があれば、報告を」 ……偵察のために。

 

 ──いや、偵察だろうか。


 揚易棠ヤン・イタンは、彼女に嘘をついてはいるが、彼女を痛めつけるような行動は避けているように見える。

 

 ならず者たちに「何を見た」と因縁をつけさせたのは、彼女を救う自作自演の芝居だったかもしれない。


 茶試会が延期になったと嘘をつき、俺を峠へ行かせたのは、芳寧ファンニンと二人で百花バイファ茶館へ出かける口実だったのかもしれない。


「責任をもって彼女を送り届けろ。気づいた事があれば、必ず報告を」

 そう言ったのは、彼女が大切な存在であるからでは?

 

 そうだ。

 芳寧ファンニンを救出した時の違和感。

 あの馬夫たちは反撃もせず、早々に退散した。

 もし()()()()()()()()()()()と、彼が命じていたとしたら?


「おい、若者よ」


 克己クジに頭をつつかれ、我に返った。


「大丈夫か? 目の焦点がずれてたぞ」


 芳寧ファンニンの白い瞳が、陸峰ルフォンを見つめている。

 整理のつかないことばかりだ。

 一気に茶を飲み干し、思わずむせた。


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