7話 迷宮病
迷宮病。本で見た事がある。
発病のメカニズムは不明だが、迷宮病に罹ると迷宮に行きたいと言う強い衝動に駆られる。
酷い人は、何時どこで、何をしていても迷宮が頭から離れなくなり、幻聴や幻覚をみたりするらしい。やがてその衝動を抑えきれなくなり、迷宮に向かう。
これだけならまだ救いようがあるが、本当の問題は中に入ってからだ。
発病した人間のほとんどは戦闘に愉悦を感じ、自身の限界を超える事しか考えず、無茶な行動に出る。いつも冷静な人でもそれは同じ。
症状が進むと、戦いの中でしか生きられず、より強い刺激を求め深くまで潜り始める。
そうして、身の丈に合わない階層に到達し、死ぬ。
自分を見失う、そういう病気だったはず。
でもまさか、たった数日で迷宮病にかかるなんて思わなかった。
「クロっち、君はいま強い衝動に駆られているね?」
「は、はい。その通りです……」
「うん、正直でよろしい。迷宮病は本当にタチが悪い病なんだ。決して、軽く考えないでほしい」
アリシャさんは真剣な表情で強く念を押した。
冒険者歴が長いからこそ、迷宮病で多くの人が亡くなっているのを知っているのだろう。
そして多分、その経験も。
「いいかい? これから三日は絶対に一人でいちゃいけない。というか私が一緒にいる。初期症状なら三日耐えれば、ほとんど緩和されるはずだよ」
「三日……」
そんなに待っていられない。僕がのんびり過ごしている間にも、ラインハルト君は強くなってるんだ。
僕は少しでも早く――
……ああ、これが迷宮病か。気を抜くと本当にその事しか頭になくなる。困ったな。
確かに、昨日の僕は異常だった。たまたまオーラが覚醒して生き残れたけど、覚醒していなかったら、多分死んでいた。
「迷宮病に薬はないの。でも、安心してねクロっち。私が君を死なせない。だからほら、そんな顔しないでおくれよ」
困ったように笑うアリシャさん。
きっと今僕は、それほど酷い顔をしているんだ。
「すみません、気を使わせちゃって……」
「可愛い後輩の為だ、お姉さんはいくらでも協力するさ! はい、じゃあ辛気臭い話はおしまい! クロっち、この後予定ある?」
パン、と手を叩きアリシャさんはニヤリと笑う。
迷宮に行きたいなんて思ってた僕に、その他の予定がない事は分かりきっている。
事実上、僕は「あります」とは言えない形を作られた。
僕が口を開こうとすると、アリシャさんはその整った顔をグイと接近させ、耳元で囁く。
「それじゃ、お姉さんと楽しい事しよっか?」
「ご、ごくりッ!!!!」
「ふふ、こっちおいで」
これはもしかすると、もしかするかもしれない。
期待にナニを膨らませ、僕は言われるがままにアリシャさんについて行った。
◆
気が付けば太陽は既に沈み切り、月が辺りを照らす時間になっていた。
あれからずっと僕とアリシャさんは、一緒に楽しい時間とやらを過ごしている。
数時間ずっと動きっぱなしだと、流石に筋肉が悲鳴を上げ軋み始める。
まるで体重が急激に増えたかのように、身体を思い通りに動かせない。
それでも身体の火照りは止まない。僕に触れるアリシャさんの体温も同じくらいに高い。
「はぁ、はぁ……も、もう出せませんよアリシャさん」
呼吸するのもやっとな程、僕の心臓と肺は限界に近い。
鉛のように重い身体をなんとか動かし、その場から逃げようとするが、
「逃がさないよクロっち、最後にもう一回、ね?」
ニヒルな笑みを浮かべそう言って、彼女は僕に絡み付き、それを阻止した。
ベテラン冒険者の体力は段違いだ。それでもアリシャさんもかなりお疲れの様子。
「僕は、初めてなのに……はぁ、はぁ……激し、過ぎるんですよ」
喋るだけでも一苦労。本当にもう何もかも空っぽな気がする。
思わず大の字に寝転ぶ僕を、アリシャさんは見下ろし、
「ふふ、初めてにして中々上手いよ、君は。だからほらもう一回――」
滴る汗を拭き、息を荒くし、もう一度と甘い声でせがむ。
諦めの悪い彼女に、僕は息を整え、
「だからもう無理ですってば。もうオーラなんてこれっぽっちも出ませんよ。無理無理」
そう、もうオーラを出す体力も、気力も残っていない。あれからずっと、初心者がオーラの修行と言ってあれこれやってたら誰でもこうなるに違いない。
楽しい時間? 最初だけね、うん。途中からシンプルに地獄かと思うくらい過酷だったさ。
逃げようにも身体能力の差がありすぎて、直ぐに捕まる。
でも、その度に背中に天国を感じる事が出来たから、そういう意味ではやっぱり楽しい時間だったかもしれない。
途中からもうそれを狙って逃げようとしてた、なんて口が裂けても言えないね。
「ふーん、本当に限界だったんだ? でも大丈夫、クロっちならまだ出来るよ!」
「な、何を根拠に言ってるんですか一体」
「えー? だってまだ意識あるじゃん、君」
わざとらしく口元に指をあて、可愛らしい仕草をしているのに、言っていることが恐ろしすぎる。
この人、こんなにスパルタだったのか。
「……」
開いた口が塞がらない。呆れを通り越して逆に褒めたくなってくるほど脳筋思考。
ヴォルフガングさん率いる破剣ギルドの冒険者達は、皆こういう思考に変わっていくのかな。
ふと、数年後の自分を想像してみる。筋骨隆々でパワーこそ力な自分を。
駄目だ。悪い体調が余計悪くなる。
「ほら、立って立って! ちゃんと意味があってやってるんだからね」
そう言って僕の手を引き、無理矢理身体を起こす。
「それは僕の意識を刈り取るって意味ですか?」
「違うわ! はぁ……いい? 自分の限界値って奴を知る事は凄く大切なの。それも知らなかったら、戦闘中にガス欠なんて事になりかねないでしょ? 酒と一緒よ、酒と」
お酒と同じかは分からないけど、確かにアリシャさんの言う通りかもしれない。
オーラの総量を把握していれば、回避できる危機もある。
脳筋思考だとばかり思っていた。
「ふぅ、わかりました。試してみます」
残り僅かなオーラを掻き集めるため、目を瞑り集中。
「うんうん、いい弟子を持ったよ私は!」
オーラの知覚、うん。これは大丈夫。
「頑張れクロっち! いい感じ」
次にイメージだ。残り少ないこのオーラを右手に集めるイメージ。
「全部使うんだよ! クロっちはやればできる子だ!」
うるさいなこの人。
「お姉さん信じてるよクロっちなら――」
「あのさっきからうるさいですよ。ちょっと静かにして貰えません?」
そう言うとアリシャさんは、しょんぼりした顔でいじけ始めた。
僕はもう学習済みだ。ここで相手にすると一生終わらないと。
「全く……」
溜息をつき、再び目を閉じる。集中集中。
少しずつ右手に集まり始めた。でもこのままじゃダメだ。
これを更に圧縮、より強く、より濃密になるように。
「う……」
なんとか形にはなってきたけど、まずいな。急に眠気が襲ってきた。多分、正真正銘の限界なんだ。
まだもう少し、あと少し……よし、オーラが完全に集まった。
右手を温水が包むような感じ。今までで一番いい出来かもしれない。後はこれを――
目を開け、目の前にある大木に狙いを定める。
もう何度打ち込んだか分からない大木には、殴り付けた箇所が抉られている。
「えいっ」
そこに向かって右手を突き出す。
拳が触れた瞬間、ドン、と鈍い音が響く。その衝撃で木は揺れ、木の葉がヒラヒラと落ちてくる。
まだ薙ぎ倒すには全然足りないけど、それでも非力な僕が素手で木を削るなんて夢みたいだ。
オーラで包んだおかげで全力で殴り付けてもそんなに痛くない。
痛くは無いんだけど――
「あ……」
なんて、情けない声を上げた所で、ぷっつりと意識が途切れてしまった。
その際にアリシャさんが悪い顔で笑っているのが見えた気がする。幻覚である事を切に願う。




