10話 愛しの死地へ
「大丈夫で――意識がない。それに傷だらけじゃないか」
羽織っている茶色のローブは所々血で赤く染まり、彼女自身も同じだった。
ポーションがあれば良かったけど、そんなものはないし、とりあえず止血からだ。
「すみません、ローブ脱がします……酷い怪我だ」
裂傷や火傷が多いが、一番ヤバいのは脇腹の傷。傷口はあまり大きくないけれど、多分貫通してる。
この小さな身体で一体何と戦い、何から逃げてきたんだろう。
いや、そんな事は後回し。とにかく止血しないと!
僕は自分の袖を切り取り彼女に巻こうとして、さっきアスピオ草を摘んだのを思い出した。
あの時の自分を褒めてあげたい。こんな直ぐに役に立つとは。
でもあれ単体にそこまでの回復力はない。せいぜい応急処置がいい所か。それでも、ないよりはずっといい。
すぐにアスピオ草を手ですり潰し、その液体を脇腹の傷にかける。が、どくどくと流れる血液は未だ止まらず、ほんの少し遅くなった程度。
「くそ、駄目だ。ええい、全部使っちゃえ」
一度に大量にアスピオ草を使うのは実はあまり良くない。中毒症状を引き起こす可能性があるからだ。
でも今は、そんな事気にしてる時じゃない。
残り全てのアスピオ草を使って、ようやく血が止まってきた。
「ふぅ、とりあえず失血死は防げたかな」
「う……痛っ」
「あ、目が覚めたんで」
「――逃げて!」
彼女は突然僕の肩を掴み、必死の形相で叫ぶ。
何を、と言いかけてようやく気が付いた。五層へと続く通路から、モンスターが迫っている事に。
「あ……あぁ、駄目……あなただけでも逃げて……」
ホブゴブリンと同じようなサイズではあるが、生物としての格が違う。
肥大した筋肉を覆う血のように赤い皮膚、口から覗く鋭牙、そして額に伸びる双角。
本で見たのと全く同じだ。間違いない、あれは――
「――オーガ」
なんでオーガが四層なんかに。だってあれは中層のモンスターじゃないか!
まともにやり合えるような相手じゃない。逃げないと。でも、彼女を見捨てる事になる。
この子を抱えて? いや無理。絶対に追い付かれる。
寧ろこの子と共闘……駄目だ、まだ戦えるような状態じゃない。それに、オーガから逃げてきたって事はそういう事だ。
まずい。まずいまずいまずい。
「グオオオオオオオオ――!」
「くっ!」
叫んだだけなのに、鼓膜が破れそうだ。ビリビリと肌を刺す重圧。
圧倒的格上だという事を、嫌でも思い知らされる。
「逃げて……私が少しでも時間を――きゃっ!」
「何言ってるんですか、一緒に逃げるんですよ!」
僕の前に立つ彼女の腕を引き走り出す。
傷だらけの癖に時間なんて稼げる訳ない。それに、それは僕に見殺しにしろと言っているのと同じだ。
名前も知らない、話したこともない。それでも誰かを見殺しにする程、僕は落ちぶれてない。
「何を! あなたを巻き込む訳にはいきません!」
もう十分巻き込まれてる。今はくだらない事を言ってる場合じゃないんだ。
考えろ、考えるんだ。思考を止めるな。今現状、何が最善か。
ああくそ、駄目だ。やっぱりどんどん距離が詰められてる。僕が遅いんじゃない。この子がまだ万全じゃないんだ。
少しでいい、考える時間が欲しい。
「ちょっと失礼しますよ」
「え、ちょっ! ひゃっ」
僕はオーラを纏わせ、彼女を無理矢理だき抱える。
オーラを使えば人一人抱えてもそれなりの速度は出るはず。
なんか喚いてる気がするけれど、一旦無視だ。
でも多分、迷宮の外まではオーラがもたない。しかし、これでようやく同じくらいの速さだ。
逃げ切る事は無理にしても、多少考える時間が出来た。
このまま脱出を試みたとて、オーラが切れで追いつかれるのが関の山。
それに最短ルートを頭に叩き込んでる訳じゃない。どこかで道を間違えれば、イコール詰み。
他の冒険者を頼ろうにも会えるかどうか。僕が入る時に冥府の使者の出現情報があったから、まともな上級冒険者は迷宮に来ないはず。
僕のような下級冒険者がいたとしても、被害が増えるだけだ。
どこかに隠れるのもダメ、見つかれば終わり。そもそもまともに身を隠せるような場所を探す時間が無駄だ。
となりと、やっぱりオーガとの戦闘は避けられない。
「どうしたら……」
待てよ? 今この子を抱えてる状態で同じ速さなら、少なくとも速度は僕に分がある。
勝てはしなくても、時間を稼ぐ事は出来るんじゃないか?
その間、この子が迷宮から出て、助けを呼んでくれればあるいは。
かなりハイリスクではあるけど、現状それくらいしか手がないか。
「あの、一人で動けそうですか?」
「はい、少しくらいなら時間を稼いでみせます。だからその隙に逃げて下さい」
諦めたような顔をして無理に笑ってるけど、そういう意味で聞いた訳じゃないんだけどな。
「そうですか、じゃあ逃げて下さい。そしてどこのギルドでもいいので出るだけ早く救援要請を頼みます」
「は、はあ!? ちょっとあなた、自分が何言ってるか分かってるの!?」
素が出てる素が出てる。さっきまで敬語でしおらしくしてたのに、随分な変わりようだ。二重人格?
「ええ、色々考えた結果、それが一番生存率が高いんです。あなたを庇いながらじゃなにも出来ませんし」
「違う! そうじゃなくて、これは私が招いた事で、あなたは巻き込まれただけでしょ。私に命を張る理由があっても、あなたにはないわ!」
「でも僕は、あなたに死んで欲しくないんです」
だって見殺しにすると寝覚めが悪いのもあるけど、オーガの親戚みたいなヴォルフガングさんに殺されそうだもん。
あと多分この子のギルドからもボロカス言われるし、取り調べとか書類の作成とか面倒くさそう。
「え……な、何よ急に。こ、こんな時に馬鹿な事言ってんじゃないわよ!」
顔を真っ赤にさせて茹でダコみたいだな。なんて言うとものすごい怒られそうだからやめとこう。
拗らせた告白みたいな言い方をした僕も悪かった。けど、この子の頭の中も結構お花畑なんじゃないかと思う。
「あの、本当に時間ないんでごちゃごちゃ言ってないで逃げてもらっていいですか?」
「〜ッ! あんたねえ!」
「うるさいなあ。早く逃げて助けを呼んできて下さいよ。抱えて走るのだって楽じゃないんですから。だってあなた結構重――ふぎゃ!」
傷の手当をして、抱えて逃げてやってるのに顔を殴るなんて……鬼畜の所業だ! 許せない!
「全く……わかったわ。次の分かれ道で降ろしてちょうだい」
「えっ、次の分かれ道まで走らなきゃダメですか?」
「もう!! なんなのよこいつ!!」
「あ、でも分かれ道見えました。そこで降ろしますから」
この子を降ろした後、注意を引きながら逆に逃げれば彼女は安心して迷宮を出れるはず。
「じゃ、出来るだけ早く救援頼みますよ。僕まだ死にたくないんで」
「ええ、わかったわ。その……ありがとう、助けてくれて。あなたの名前――」
「クロノです。 もう何でもいいから早く行って下さいよ……」
「私はアム、必ず助けを呼んでくるわ。だからそれまで、死んでも耐えるのよ」
そう言ってアムさんは左の道へと走って行った。あとは僕がこいつを足止めするだけ、か。
「グオオオオオオ!」
「もう追いついたの? もう少しこう、時間を置いてからにして欲しかったなあ」
迫るオーガを前に、一つ気付いた事がある。
柄にもないことはしない方がいいって事だ。いつぞやのエリックみたく、膝が分身しそうだもん。
アムさん置いて逃げればよかったな。なんて、呑気に冗談めいた事を考えるくらい冷静な自分がいる。
わかってる、僕はこのオーガが恐ろしい。太い腕も、鋭い牙も、押し潰されてしまいそうな重圧も、こいつの全てが恐ろしいんだ。恐くて恐くて仕方ない。
でも、どこか楽しみにしている自分もいる。またあの時のような、苛烈で甘美な戦闘が出来るって知ってるから。
「やばいよなぁ僕」
ほら、勝手に口角上がっちゃうんだもん。




