第35話 判断が詰まる日
異変は、
どこにも報告されなかった。
正確には――
報告する理由が、見つからなかった。
外縁部の一つの集落。
その日、
森の様子が少しだけおかしかった。
獣の姿が見えない。
風の流れが、
いつもより重い。
だが、
確証はない。
違和感、と呼ぶには弱すぎる。
「……判断、
どうします?」
見回り役が、
隣の者に小声で聞いた。
「中央に、
上げるほどじゃないな」
即答ではない。
だが、
否定でもない。
かつてなら、
この時点で
小さな報告が上がっていた。
結論を出さない報告。
ただの違和感。
だが今は違う。
「《アルト式判断》では、
確証が必要だったはずだ」
誰かが、そう言った。
誰の悪意でもない。
ただ、
空気として共有されている認識だ。
中央判断室では、
いつも通りの業務が進んでいた。
報告は整理され、
優先度が付けられる。
「……この時間帯、
外縁部からの新規報告は?」
「ありません」
官僚が頷く。
「では、
問題なしですね」
その判断は、
手順通りだ。
夕刻。
集落の外れで、
魔物が一体だけ現れた。
数は少ない。
被害も小さい。
だが――
家畜が一頭、失われた。
「……防げた、よな」
誰かが、そう呟いた。
声に、
悔しさはあった。
だが、
怒りはなかった。
誰を責めればいいか、
分からないからだ。
遅れて上がった報告書には、
こう書かれていた。
兆候はあったが、
判断基準に該当せず、
報告を控えた。
正しい文章だ。
手順違反は、
一切ない。
中央では、
その報告を淡々と処理した。
「被害は軽微。
想定内です」
「再発防止策は?」
「基準の再確認を」
誰も間違っていない。
それが、
一番きつい。
俺は、
その報告書を読んで、
しばらく黙っていた。
数字では、
失敗と呼べない。
だが――
第2部なら、
確実に防げた。
「……判断が、
詰まっていますね」
官僚の一人が、
苦しそうに言った。
「誰も、
間違っていないのに」
俺は、
小さく息を吐いた。
「だから、
詰まるんです」
判断は、
遅れたわけじゃない。
誤ったわけでもない。
誰も、
判断しなかっただけだ。
それが、
今日起きたことの全てだ。
俺は、
静かに言った。
「この失敗は、
制度のせいじゃない」
官僚が、顔を上げる。
「……では?」
「空気です」
誰かが、
息を呑んだ。
名前が付いた判断。
集められた判断。
それは、
人を慎重にする。
慎重さが、
判断を奪う。
この日を境に、
数字は大きく変わらない。
だが――
現場の表情が、
少しだけ硬くなった。
それが、
何よりの兆候だった。
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