王者前夜《Eve of the King》
鉄の手摺りが夜気で湿っていた。
屋外二号リングの周りでは、風見のリボンが斜めに張りつき、照明の傘が小さく鳴る。
俺は指先で手摺りの温度を拾い、風の向きと拍を数えた。
「ツバサ、本戦プロトコルの最終確認」
クロノがタブレットを示す。
「抑制環境・安全結界二重。越境出力は『凪』。
挑戦者:影山リク(黒刃)、相手:皇城カイ(王者)。
統制指揮:白羽ツバサ。運用型は門番交替《Gate Shift》と即時収束《Quick Merge》。
合図=雷標信号《Bolt Beacon》」
「観客導線は楕円二重。風で声が流れるから、手信号を多めに」
リクトが図面を回す。
「掲示は反射帯で補助する」
「救護は出番が無いのが満点。見る→呼ぶ→触るは崩さない」
アオイが救護帯を整える。
ユウナが空を見上げる。
「音、渦になる。――必要分だけ通す」
「白羽」
東堂シノが近づき、クリップボード越しに短く言う。
「観客の“風”も負荷。右半維持、三拍で預け。感想は削る」
霧谷カズマ教官がリングの結界柱を一つ叩く。
「戦技は秩序の上だ。――騒ぎにしないを、人前で続けろ」
「線は短く、拍は確かに」
如月レイナが指で弧を描く。
「夜は光が逃げる。**双拍信号《Twin Beat》**を足して。一拍強→二拍明、三拍は交替で」
「雷標+双拍、了解。――拍で縫う」
◇
アナウンスが風に乗る。
『これより上位挑戦・本戦――影山リク(黒刃) 対 皇城カイ(王者)。統制指揮:白羽ツバサ』
観客のざわめきが広がり、布看板が揺れた。
「A流、右半分で細く。――今」
ヒナタの指が一を切る。
「即時収束《Quick Merge》――双拍信号併用」
俺は雷標を短い線で、続けて双拍を落とす。
一拍強:注目/二拍明:右/三拍:交替。
「受けた」
ユウナが前へ滑り、列が一列に吸い込まれる。揺れなし。
◇
王の足音
リング中央に、皇城カイが立った。ただ立っただけで、夜が整列する。
影山が肩を回し、静かに笑う。
「黒刃、受けの速さで前に出る」
皇城は返さない。視線だけで距離を消す。
主審の旗が下りる。
「――始め」
皇城の足が半歩。
覇断一閃《Sovereign Cut》。
無音で形だけが空間から削り取られ、影山の前腕で火花が散った。
「っ……重い」
影山は剛柔一体《Steel & Flow》で芯を外し、受けの沈みで力を殺す。
皇城の刃が一度止まり、次の形がもうそこにある。
「通信、『北回廊・ざわ増・右半維持・門番→ユウナ』」
俺が打つ。点。
レイナが通路で双拍を示し、二拍明で右半に視線を揃える。
二撃目――王盾不侵《Imperial Aegis》。
斬りでも受けでもない領域の押しが、影山の懐を畳む。
「“盾”で攻めるのかよ……!」
「速さの底を見ろ」
皇城の声は低く短い。
影山が迅影連突《Shadow Flurry》で死角を縫う。
肘、肩、踵――三点が連なり、覇断の余白へ差し込まれる。
皇城は肩の角度を一だけ変え、王盾で全ての線を鈍角に折った。
音が消え、結界の空気だけが撓む。
「門番交替《Gate Shift》、三拍で」
俺は雷標+双拍。
一拍強,二拍明,三拍交替。
影山の背後――外周の面を受けが引き取り、観客の膨らみが退く。
「救護、待機。――見る→呼ぶ→触るの順」
アオイが短く確認。
「通信、『西縁・旗弛み・流維持・証拠保存→監査』」
リクトの報告に重ねて送信。
ユキナが薄氷で現状保存、東堂が運営へ差替を一拍で通す。
(騒ぎにしない。預けを四つ重ねる)
リングでは、影山の呼吸が速く、しかし乱れない。
「カイ、勝つ速さで来い。整える速さで食いつく」
「勝利は基礎の上にある。――壊すな」
皇城の足が、夜に拍を刻む。
三合目、影山は受けを一瞬捨て、切り返しを芯に置いた。
迅影連突が覇断の影を捉え、肘が王盾の縁を鳴らす。
観客の息が――揃う。
「……効かねぇ、わけじゃない」
「届かせてから言え」
皇城は一歩も退かない。受けと斬りが同時に成立している。
主審が旗を半上げ――危険域の手前。
東堂の声が飛ぶ。
「越境の兆し。――凪準備」
霧谷が一拍おいて首を振る。
「維持。秩序、保たれている」
皇城の視線が一度だけ外周を撫で、俺で止まる。
「鳴る前に届いている。――良し」
(線短く/拍確かに。届いた)
終盤。
覇断一閃の軌が低くなり、影山は沈みで流す――が、足が半歩、リングの外へ寄る。
「戻せ!」
俺は双拍を強く打ち、三拍交替で外周の面を厚くする。
観客の膨らみが引き、影山の戻り道が生きる。
「――戻る!」
影山が一で戻り、なおも前を見る。
皇城の目が細く笑った。
「王手だ」
覇王王手《Royal Mate》。
刃ではなく配石のような位置取りで、影山の退きと斬りの両方を詰む。
足裏がきゅと鳴り、影山は沈みでリング内に倒れず落ちる――
ベル。
主審の旗が交差し、判定。
『勝者:皇城カイ』
影山は息を吐き、笑った。
「勝つ速さの定義、更新したわ」
皇城はほんの少し頷く。
「受けが遅いのではない。私が速いだけだ。
――黒刃、よく壊さなかった」
◇
余熱と整え
観客が立ち上がる。風で一斉に旗が鳴り、通路が膨らむ。
「即時収束、双拍で――今」
一拍強/二拍明/三拍交替。
ヒナタの指、ユウナの薄い面、俺の雷標+双拍で、楕円が細く締まる。
「通信、『南回廊・混雑・右半維持・門番→影山』」
クロノが即送、点。
リクトが掲示テープを張り直し、アオイは救護帯を空で片付ける。
皇城がリングの外で足を止め、こちらを見る。
「整えは基礎だ。勝利はその上に立つ。
白羽――壊さなかった。拍で秩序を縫った。
次は“王の外”でも、鳴る前に届かせ」
「はい」
喉の奥の糸が一度だけ緩む。
影山が紙コップを差し出す。
「面、夜でも揺れねぇ。
……今日は俺の負けだ。だが、“整える速さ”は勝ってた」
「勝つ速さに接続できるように、短くする」
「やれ」
レイナが横目で笑う。
「双拍、昼より夜の方が効くね。
線はさらに短く、拍は静かに強く。――鳴らない雷、次は外で」
東堂がクリップボードを閉じる。
「本戦、運用適正。
記録――“王者戦:外周騒擾なし/整え連結成功率98%/越境兆候なし/『凪』未使用”。
白羽、正式に“整え統制”の上位補助枠に昇格**。次章(交流戦/外部派遣準備)でも指揮を続けなさい」
氷川教頭が風を一度だけ見た。
「風は見えなかった。――それでいい」
夜の出口で、掲示に小さく新しい札が貼られる。
《外部交流戦・事前視察受入/異能犯罪対策連絡会・見学》
ヒナタが目を丸くする。
「外が来る。次、学園外の流れ、増えるよ」
クロノが短く言う。
「整えの規格を外向けに落とす必要がある」
ユウナが、ほんの少しだけ声を上げる。
「音、変わる」
アオイは救護帯を抱え直して、にこりとした。
「見る→呼ぶ→触るは同じ。出番が無いのが満点」
(預ける。人/場所/言葉/合図――四つで壊さない)
俺は雷標の線をさらに短く想像し、双拍の拍を静かに強く刻む。
鳴る前に届かせる。
王の外でも、壊さない。
明日も立つ。
明後日も立つ。
千度でも、万度でも。
立ち続ける。