審査一次《First Trial》
朝、仮バッジを指でなぞる。銀糸の「仮」は軽い。
(重さは、自分で乗せる)
耳栓の袋を内ポケットに入れ、鏡の中の“最弱”に見える顔へうなずく。立つだけだ。
食堂。
「ツバサ、いよいよ審査会・一次!」
ヒナタがトーストを高く掲げる。
「午前が筆記、午後が模擬。評価は『戦技/整備/通信/救護/統制』の総合」
クロノが腕時計を弾いた。
「非常停止キーワード『凪』、本日も有効。監督は霧谷、真壁、神楽坂。監査は東堂。保健は桑原」
「私は緩衝の“微”だけ。数値化は任せて」
アオイは眠たげな目で笑う。
「音、通す。必要分だけ」
ユウナが短く言う。
リクトは端末を傾けた。
「掲示板、統制部門は“地味”って言ってる奴らがいるけど……“地味”が勝ち筋になる日、見せよ」
(見せるためじゃない。壊さないためだ)
◆
講堂の前方、長机が並び、白紙と鉛筆が整然と置かれている。
氷川教頭が黒板に書く。
『筆記:規律/通信/救護/統制』
「選択だけではない。記述で“順番”を問う。迷うなら校則に戻れ」
配られた設問。
第一問:非常時における“見る→呼ぶ→触る”の適用範囲と例外。
第二問:通信の構造“状況→制約→行動→引き継ぎ先”を用い、三十字以内で三例。
第三問:導線交差時の統制手段を列挙し、優先順位の理由を簡記。
第四問:異能の“微弱出力”で許容される補助と越境の線引き。
(順番。面。預け先)
鉛筆が紙を走る。
――“見る→呼ぶ→触る”。まず危険確認、次に通報、最後に接触。例外は監督の明示がある時のみ。
――『北廊下・人だまり・右側通行維持・門番→B』/『南階段・転倒一・固定要・救護→保健』/
『西渡廊・通信不調・拍で維持・連絡→生徒会』
――交差は一列化→門番交替《Gate Shift》→片側優先。理由は戻り道の確保。
――“微弱”は揺れを丸める/音を通す等。敵対行為は禁止。
最後に、余白へ一行だけ書く。
――預ける=合図を残す。
回収ののち、教頭が視線だけで教室を掃く。
(見られている、というより量られている)
息を一つ、細く吐く。
◆
昼のブリーフィング。
壁面スクリーンに簡易図面。交差導線と分流が色分けされている。
神楽坂先生が指先で二度、空をなぞる。
「午後の模擬は二本。“交差導線”と“片側規制”。合図は声・手信号に加えて、視覚ビーコンも使う」
真壁が短く付け足した。
「門番交替《Gate Shift》は三拍。遅れは詰まりになる」
東堂がクリップボードを掲げる。
「“預け”は宣言して残す。『門番→B』『救護→保健』のように。感想は削る」
目が合う。
(渡すで終わらない。預けて合図を残す)
扉際で、制服の気配が空気を張る。
皇城カイが視線だけで壇上の図面を射抜く。
「審査は秩序に拠る。勝利はその後だ」
誰も返さない。返す言葉が不要な種類の重さ。
◆
模擬①:交差導線。
場所は北渡り廊下の十字。A流とB流が交差し、門番二枚で流量を調整する想定。
先導=ヒナタ、門番(A側)=俺、門番(B側)=影山、通信=クロノ、
後衛=ユウナ、救護=アオイ、記録=リクト。
非常灯がわずかに明るさを落とし、揺れが増えやすい環境に調整される。
「A流、右半分で細め」
ヒナタの指が一を切る。
「B流、二拍遅れで通す」
クロノの拍が足元へ落ちる。
俺は面を作り、胸で押さずに受ける。
(塞ぐ/通す。最小で)
B側の影山が顎を引いた。
「交代のタイミング、合わせろよ」
「預ける」
言い切って、三拍。
一拍――注目。
二拍――右。
三拍――交替。
視覚ビーコンが天井で細く瞬く。雷標信号《Bolt Beacon》の縮約版、光だけの合図。
「受けた」
影山が半歩前、俺が半歩下がる。**門番交替《Gate Shift》**完了、三拍以内。
「A流、細く維持。B流、広げ」
クロノの声が短く落ち、列のリズムが揺れずに入れ替わる。
背後でユウナが**無音回廊《Silent Corridor》**を“微”。ざわめきの毛羽立ちが消える。
アオイは救護位置で“見る”の姿勢を保つ。
(預け先=人/場所/言葉/光。重ねるほど、列は壊れない)
十字の向こう、月城ユキナが腕を組んで秩序を見ている。
「交代、遅れなし。右半、維持」
声は薄いが、通る。
その時、案内矢印の一枚が左を指した。
(――向きが違う)
掲示すり替えの残りか、それともテストか。
俺は声を削って通信。
『北十字・矢印誤向・右半維持・証拠保存→監査』
東堂の点が灯る。
ユキナが素早く近づき、氷で矢印の現状保存。
「証跡確保」
流れは細くしたまま崩れない。
(騒ぎにしない。――預けて、面で受ける)
終了ベル。
呼吸を落とし、足裏で床を噛む。
1で止まる――揺れずに。
◆
模擬②:片側規制。
理科棟前の渡り廊下。片側を工事中想定にして、右側通行を維持する。
「右三、左二の比率で流す」
ヒナタが指を二度切る。
俺は右側の面を広げ、通す空間を薄く整える。
アオイが端で固定具を準備。
クロノが拍を刻む。
ユウナは後衛で、必要分だけ音を通す。
途中、天井スピーカーが一秒だけ沈黙し、通信端末が砂嵐を返す。
(ノイズ。――試験だ)
「凪?」
ヒナタの小声。
「不要。右半、維持」
俺は短文を打ち、声でも残す。
『理科前・通信不調・右側通行維持・連絡→生徒会』
東堂の点。
真壁が無線で短く応じ、神楽坂が天井を見上げる。すぐに回復。
(騒ぎにしない。預けて、続ける)
最後尾で一年が立ち止まり、列の末端がふくらむ。
(戻り道が消える)
「後衛→門番」
俺は後ろへ預けを宣言。
ユウナが滑るように前へ、肩で面を作る。
「一列」
声は小さいのに、列が細くなる。
**門番交替《Gate Shift》**が後方で完了。
(人に預ける。前にも後ろにも)
終了。
霧谷教官が短くうなずく。
「良し」
◆
控えスペース。
紙コップの水が喉を通っていく。
影山が壁にもたれ、口角だけで笑う。
「合図の三拍、早い。1.6を維持したな」
「受け取りが速いからだ」
「……言うじゃん。覚えとけ。勝つ速さは削りに寄る。整える速さは渡しに寄る」
「分けて考える」
「分けた上で、重ねろ」
影山はコップを捨て、手をひらひらと振った。
少し離れた場所で、レイナが神楽坂と短く話し、こちらへ目だけを寄こす。
指先が小さく弧を描く。
雷標信号《Bolt Beacon》――一拍:注目/二拍:右/三拍:交替。
(届いた。光は言葉の代わりになる)
◆
夕刻、講堂前。
掲示板に一次・暫定結果が貼り出される。
《統制・総合(整え)一次通過:白羽ツバサ(C) 他》
《通信:斎藤クロノ(C)一次通過》
《救護:美園アオイ(C)一次通過》
《先導補:白石ヒナタ(C)二次招集》
《門番補:矢代ユウナ(C)二次招集》
《近接制圧:影山リク(B)一次通過》
《雷撃制御・対多:如月レイナ(A)一次通過》
《戦技総合:皇城カイ(S)一次通過》
胸の奥で何かがひとつ、静かに着地する。
(地味でいい。壊さないのが、俺の仕事だ)
ヒナタが弾む声で背中を叩く。
「ツバサ、通過! みんなも通過! すごい!」
「数字、出てる」
クロノがタブレットを傾ける。
「交代タイム平均1.7/最大揺れ-21%/誤掲示対応=“騒ぎにしない”加点」
アオイが目を細める。
「“壊れない”って、点になるんだね」
ユウナが小さく頷く。
「面、きれいだった」
端で東堂がクリップボードを閉じ、こちらを見る。
「白羽。預け、よかった。合図も短い。――二次は、公開だ。騒ぎにしないを、人前でやりなさい」
「はい」
夜風が講堂の布を揺らす。
階段の影から、ユキナが静かに去る。秩序が歩いていく背中だ。
屋上。
雲の裏で雷が薄く鳴る。
(預ける。渡すで終わらず、合図を残す。“整える”は、目立たない光で十分だ)
明日も立つ。
明後日も立つ。
千度でも、万度でも。
立ち続ける。