暮れなずむ
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「綺麗だよね。ここから見える景色って」
窓際から射し込む陽に目を細め、小さな影がそう呟く。幾分か低い身長と幼い顔つきも相まって小学生かと勘違いしそうになるが、目線を下げて見た制服には俺と違う色のネクタイが締められている。
(二年が赤で、一年は…深緑? なら、青ってことは)
「……もしかして、先輩?」
不躾な質問に推定先輩は眦を細める。
「うん、そうだよ。驚いた?」
「え、いや、まあその。驚いたっつーかぶっちゃけ妖怪かと思……じゃなくて!ええと、サーセン!」
ぽろりと零れた失言に慌てて謝罪するが目の前の先輩はさも気にせんとばかりに窓の外に視線を向ける。
「よく言われるよ。だから大丈夫」
「そ、なんすか」
気まずい沈黙に居たたまれずに視線を彷徨わせる。何巡かした後、先輩の方に視線を戻せば変わらず穏やかな笑顔で校庭を見つめていた。
小学生と見間違えるかのような低身長に、野暮ったそうな太い眉。整えられた髪だが、くせっ毛なのか一部分だけぴょこんと髪が跳ねている。
「君は転入生の浜屋だよね。制服、まだ届きそうにない?」
「え、あっ はい。てかなんで名前」
「狭い所だからね。越してきた人なら誰でも知ってるよ。僕は加護山。一応これでも先輩だから学内の事は把握してるつもり。もし困ったことがあったら相談してね」
「はぁ、……っす」
なんとなく、耳に残る声に曖昧に返事を返す。いつの間にか、窓の外から鳥の声がして先程までの空虚さが嘘のように消えていた。
「ほんとはね。君のこと、少し気になってたんだ」
「俺のこと……すか?いや寧ろ俺より先輩の方が気になるっつか、不思議というか……ほんとに人間ッスよね?」
「ふふ、面白いこと言うね」
言ってから、しまったと思うが加護山は眉ひとつ動かさず相変わらずの笑顔で──寧ろこの時間を楽しんでいるようにも見えた。
「ええと、すんません。さっきから俺、失礼な事ばっか言って」
「気にしないで。それよりどう、学校には慣れた?」
「あ、はい。周りの奴等が皆いいヤツばっかで、声掛けてくれたりと色々世話焼いてくれるんで、なんとか」
「そっか。良かった。都会から越してきたと聞いたから色々と心配だったけど、皆が便宜を図ってくれたんだね。」
「べん、……?」
「もし此処で困った事があれば周りに言うんだよ。きっと力になってくれるから」
人好きのする笑顔を向けながらじっと浜屋の顔を覗き込んだ。
瞬間、穏やかなその視線に── 何故だろうか。逃げ出したいような……縋りつきたいような、不思議な感覚が込み上げてくる。
(いや、出会ったばかりの人になんて事考えてんだよ……)
その感覚を断ち切るよう首を左右に振り断りを入れた。
「ありがとうございます。でも、ぶっちゃけそこまでして貰う必要ないっつーかァ……」
「気にしなくていい。君はこの町の住人なんだから。当然の権利だよ。それに君は此処で暮らしていくのだから。なら、より過ごしやすい環境にするべきだ。君にとって快適に。合理的に。そして心から此処にありたいと望めるよう、本質を得るべきなんだ───例えば、そう。"君が本当に知りたいモノを知る機会を得る"とかね」
「え……あ」
言葉尻は丁寧なのになんだか芯を食われているような会話だと思う。言ってることがめちゃくちゃで、目が回りそう。
けど、不思議と──"この人がそういうならそうであるべきだ" という柔らかさが、じんわりと湧いてくる。
俺の知りたい、もの。
知ってどうする?
知らない方が、楽かもしれない。
けど、
おれは
「真弓。君は──どうしたい」
「俺は……」
加護山がゆっくりと掌をこちらに向けてくる。縋りたくなるような、優しいその掌に吸い込まれるように手を伸ばし、
「浜屋!!!」
「どわッ…ぁ? え、柄西?」
「……っあんた、何の用で浜屋に近づいたんですか!余計な事コイツに吹き込んだとか、してないですよね!?」
唐突に肩を掴まれたことに驚く。
生徒会の仕事は、とかどうしてここに居るんだ?とか聞く隙もなく目の前の先輩に食ってかかる。
「相変わらず手厳しいな。紡は」
加護山はまるでじゃれつく猫を見ているような目で柄西を見て、ふっと笑った。
いつの間にか陽は落ちて校舎内は暗くなり、ジジ、と電灯が弾ける音が鳴る。
「少し話をしていただけ。そうでしょう?」
「ァ、そう、……ごめん柄西。俺教室で……って、お前!顔色すげーことなってんじゃん!? 大丈夫か!」
土気色の表情に驚き腕を掴む。よく見るとワイシャツも汗まみれだ。俺が教室に居なかったから捜してたのだろうか……普段から寝不足気味だと言ってるのに、無茶をさせてしまった。
大丈夫、と我慢しているように柄西の目がぎゅっと細められる。その様子に加護山は俺の方へと視線を戻して、やわらかな声で言った。
「あまり長いしたらいけないね。君達も帰りは気をつけて」
「あ、はい!先輩も、また!」
そう返す間に、加護山はくるりと背を向けて振り向きもせず歩いていった。その間、柄西はじっと加護山の背中を睨みつけたまま、ピクリとも動かなかった。
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「ごめ……走ったり、大声出したらなんか、貧血起こしたっぽい……」
加護山が去った後、とりあえず近くの教室へ行き、柄西を適当な席に座らせた。土気色だった顔は少し赤みを取り戻しつつある。
「いや、こっちこそ悪ィ。待ってるって言ったのにさ」
手持ち無沙汰に制服の袖をいじりながら、どう言葉を繋げるべきか測りかねていた。目の前の柄西は、まるで何かから逃れるように視線を落として、ぎゅっと拳を握っている。
教室の窓からは見える景色は紫色に染まり夜の帳を下ろそうとしている。
「……変なとこ見せたな、俺」
柄西が、不意に呟いた。その声はかすかに震えていた。
「けど、浜屋はまだあの人と関わらない方がいい。出来れば二人にならないように、気をつけて欲しい」
「……それって理由聞いていい系?」
「……ごめん、それは、まだ……」
どう言えば正解なのか、返事をしようとして口を開いたが、声が出てこなかった。
返す言葉が見つからないわけじゃない。ただ、柄西の顔を見て何かを背負い込んでいることだけははっきりとわかってしまって── 安易な言葉を口にするのが、ただただ、怖かった。
「……先生が見回りに来る前に帰ろう。怒られたら、面倒だし」
柄西がそう言って歩き出した。
それに続けて足を動かし、二人並んで校舎を後にした。教室で荷物を取り、昇降口を抜けると外はすっかり夜に変わっていた。近くの田畑で蛙がうるさく鳴いている。
バス停の前で足を止めると、柄西は「またな」とだけ言い自転車を押しながら去っていった。
浜屋はしばらくその背中を見送ってから、バス停にある時刻表を確認する。先ほど出たばかりで、次に着くのは40分後らしい。これなら待つより歩いた方が早いな、と浜屋はゆっくりと歩き出した。
ひんやりとした風が肌を撫でる。空を見上げれば、暗闇の中僅かな光が滲んで見えた。
(……あの加護山って先輩、なんか不思議な人だったな)
初めて会ったはずなのに、何故か全てを委ねたくなってしまうようなあの感覚を思い出す。底知れない、沼の中に沈んでいくようなあの雰囲気。こちらを見透かしたような、柔らかなあの笑顔を思い出し、背筋が少しだけ寒くなる。
(……わかんねぇけど、柄西の言う通りあんまり関わんない方がいいかもな)
ぼんやりと考えながら、暗くなりかけた道を歩いて帰った。