白濁の空に、梔子
初投稿です。
拙文ですが何卒よろしくお願いします!
白く濁った空だった。
鉛色の雲が低く垂れ込め、遠くの山々の輪郭はぼやけている。方方を山に囲まれたここ、天蓋しらかわ市。巡回バスの車内で浜屋真弓は流れる風景に視線を投げながら、左耳につけたイヤーカフを弄っていた。
バス内にいるのは自分と同じ学生が数名。先程、車内割合を多く占めていた老人は4つ前のてんがい病院前で一勢に降りたばかりだ。
車窓から見えるのは古びた団地。潰れかけた商店。畑に放置された農具に小綺麗な雑貨店。どれもが色褪せているようで……自身の記憶と本で読んだ“田舎”のイメージが一致しそうで、しない。
「……っぱ、懐かしいって感じじゃねぇな」
ぽつりと呟いた声は、車内放送に遮られ自分にしか聞こえなかった。
俺には、記憶がない。
正確には、この町で過ごしていたはずの小学五年生までの記憶がだ。
身内に聞けば確かに“ここに住んでいた”らしい。が、自分の中にあるのは中学からのあやふやな記憶のみ。その前は切り取られたように空白だけしか思い浮かばない。
──空白。
その言葉に右目をさすった。
この傷は、どうやらその曖昧な記憶が関係する事件で付けられたらしい。傷つけられた右目は視界を奪い、とうとう白く濁ったまま治らなかった。
こんな傷を負ったなら、普通二度と関わりたくもない土地になるだろう。
それでも、俺は戻ってきた。
両親の海外赴任を理由に勝手に転入先を決め、祖父母の家に居候することにした。
住み慣れた日本を離れる気がないと両親には伝えてある。それと持病もあるし、言語の通じない土地でやっていけないとも。
けど、本当の理由は他にあった。
自分の中に渦巻く、うまく言葉にできない“違和感”。
郷愁…とも言い難いこの気持ち。
絶妙にかけ間違えたボタンがあって、それを放っておくことへのモヤモヤと言うか…。ともかく、年々増していくそのモヤモヤを解消するにはこうするしか無かったのだ。
『しらかわ高等学園前ェ〜。しらかわ高等学園前到着でェ、ございます』
車内放送に気が付き、バックを背負い直して運転席へと向かった。浜屋の前にも幾人かの学生が居る。
乗車時に受け取った切符を運転士に手渡す姿を見て、それに習う。目的地までの運賃を支払いバスの外へ出る。
「ここが新しい学校か……」
停留所のすぐ側にある校門。その向こうにはバスの中で見た制服を着ている、しらかわ高等学園の生徒たちがいる。
校門をくぐる前に、軽く息を整える。
初日。
都心からきた高校2年生。
中途半端な時期からの転入生。
派手な金髪と、曇った右目。
発注が間に合わず、前の学校の制服を着ている自分。
きっとまた、最初は「ヤンキー」だと思われるに違いない。
(けど、まぁどーにでもなる!)
適当に笑い軽く息を吐いた。口角を持ち上げると口元からちらりと八重歯が覗く。
ふと、鼻腔に何かの匂いが止まる。
この町の空気には何かがこびりついていた。それは雨でも土でもない。もっと深く、喉の奥に絡みつくような……そうだ、梔子の匂いだ。
祖父母の庭にも咲いていたその花は、校庭の至る所にも咲いている。
きっと、この街の名華なんだろう。
そう思い、浜屋は職員室へと足を運んだ。
───ここからすべてを始めよう。
心の奥に渦巻く違和感を暴くために。
そして、新しくやり直すために。
■◻︎■◻︎■◻︎
「転校生だって」
「金髪……」
「不良じゃん、こわ」
教室が僅かにザワついている。当たり前か。いきなり現れたのが金髪イヤーカフ男だもんな。オマケに目まで変な感じだし。
(けど、これもいつもの事だ)
当たり前を受け入れ、浜屋はいつも通り──真面目に、元気よく挨拶をする。
「ちーっす!今日からお世話になります、浜屋真弓っす!あ……マユミって名前だけど、れっきとした男なんで!そこんとこ安心してくださーい!」
ニカ!と八重歯を見せ軽口を飛ばす。
あっけらかんとした明るさに教室の空気が一瞬止まった。
「あ、俺昔はここに住んでたらしっす!けど、ちょ〜っと色々あったモンで記憶がぶっ飛んでて覚えてません!! なんで、俺の事知ってる人も知らない人もみーんな初めましてってことになるから、そこんとこヨロ!」
重たいようで、軽い挨拶に静まり返るが、あまりの場違いすぎる明るい空気に誰かが噴き出し、次々と伝染していくように笑い声が溢れていく。
(掴みは上々!これならすぐ馴染めそうだ)
隣にいる担任も明るい教室内にホッとした様子を見せ、浜屋の背中を軽く叩く。
「よし、浜屋の席は……お、山田の隣が空いてるな」
担任の指す位置に視線を移す。山田……真ん中の席かぁ、と少しがっかりしたのもわずか。ふと教室の奥、窓際の1番後ろの席に座る人物が目に止まった。
濃紺髪の、背が高く……少し神経質そうな男がジッとコチラを見つめている。その視線が投げかけるのは、転校生が来たからという物珍しいものではなく、──なんとなく、寒気を感じるものだった。
(なんだ…あいつ、どっかで会った事あるとか?)
こちらを射抜くような、鋭い三白眼気味に居心地悪さを感じ、逃れるように山田の隣へと座った。
■◻︎■◻︎■◻︎
昼休みになれば、空気は一変していた。
「浜屋の前の学校ってどのへんなの?」
「髪自分で染めてんの!? やべー!」
「右目白いってカラコン? え、怪我!?」
興味津々のクラスメイトに囲まれて、浜屋は笑いながら受け答えしていた。
幸いにも隣の席の山田は気さくなやつで、時間が経つにつれどんどんと仲良くなり、山田の笑い声に釣られて人が集まってきたのだ。
(初日からラッキーだったな)
異物として排除されず、上手く溶け込めそうだと安堵する。ここに越すにあたり1番危惧していた事態は回避できそうだ。初日から何人かで机をくっつけて昼飯をとることが出来たならもう大丈夫だろう。
菓子パンを頬張りながら、男子特有の尽きない話題にゲラゲラと声を上げて笑いあった──その光景を教室の隅で黙って見ていたのは人物がいたのを、敢えて気にしないように。ゲラゲラと。
■◻︎■◻︎■◻︎
「はーまやぁ!!今日さ、このあとゲーセン寄ってかね?」
「駅前のカラオケ、転校祝いにさー!」
放課後、何人かのクラスメイトに腕を引かれるように誘われた。早速の誘いだが、浜屋は申し訳なさそうに手を合わせる。
「悪ぃ!初日だし、ちょっと職員室で話あるっぽいんだわ。だからまた今度で!」
「あ〜、そっかー。ならしゃーねえな、また今度な
!」
「おう、またな!」
そう言って手を振ると、クラスメイト達は軽やかに帰っていった。この受け答えならきっと悪い印象にはならないだろう。
浜屋はバッグを背負い直し、ひとり職員室に向かった。中では担任が待っていて軽く進路や生活指導の確認をされる。
金髪についても、イヤーカフについても、担任は特に咎める事はなかった。寧ろこちらの体調を気にかけているようにも見える。
「……あまり無理はするなよ。もしここでの生活がしんどくなったら、すぐに相談しに来なさい」
こちらを伺うような態度にあの両親の影が重なり、身をすくめる。決して悪気がある訳では無い優しさにどう反応していいか分からず、ただ短く、どもっすと答えて頭を下げた。
■◻︎■◻︎■◻︎
職員室を出ると、夕焼けが校舎を染めはじめていた。廊下に反射する橙の光が磨かれた床に長い影を落としている。少し幻想的なその廊下を、浜屋はゆっくりと歩いた。
先程の先生の態度を思い返す。
同情、いや、憐憫…だろうか。
きっと自分が忘れてしまったであろう境遇について色々と便宜を測ろうとしてくれている。
『忘れているなんて可哀想』
『貴方の為なの…!そんな事言わないで』
『どうしてそんな風に捉えるの』
1歩、歩く事に嫌な言葉が掘り起こされていく。ああ、疲れるなぁ。
別に可哀想だなんて思っていない。
記憶なんて、忘れたところでなんの支障も無いし傷だってそんな、気にする程痛くもない。
腫れ物を扱うようなその態度がしんどくなって、イヤーカフにそっと触れる。冷たい金属の感触がグラグラと揺れた気持ちを少しだけ整えてくれる。
(……あまり深く考えるのはよそう。いつもの事だ。別に、何も気にしなけりゃ良い)
そう思い、俯いてた顔を上げる。
「……浜屋」
「あ……」
廊下の向こう、西日が射し橙と黒のコントラストが交互に伸びている。丁度、その橙が途切れる黒い陰の中、そいつは苦しそうな顔で俺のことを見ていた。
(確か、自己紹介の時に俺のことをジッと見ていた奴……だよな)
少し距離はあったものの、近づくとやはり幾分か相手の方が背が高く、やや見上げるかたちになる。濃紺の髪、三白眼に…目の下にくっきりと残る隈。学年毎に違うネクタイの色からして、少なくとも同学年なのは間違いない。
しかし、表情は翳りを帯びていてなんだか見ているこちらまで苦しくなってきそうだった。
「浜屋、お前本当に、帰ってきたんだな」
「えっと……ごめん。確か同じクラスのヤツ……であってる?」
その言葉に男は足を止めると、どこか戸惑ったような表情を浮かべこちらを見ていた。
「覚え、ないのか?……なんで、なんで覚えてないんだよ!俺は、お前の幼馴染だっただろ!!なのに……なんで……っ」
激昂したと思ったら急速に言葉尻をすぼめ、聞こえなくなっていく。気持ちに比例してなのか、大きい背はぐんと縮まり、猫背が加速して行った。
(あー……やっぱ知り合いだったか……)
そのいたたまれない様子に浜屋は小さく咳払いをし、こめかみのあたりを指先でトントンと軽く叩き言った。
「えっとさ。俺、昔ここに居た時に……なんっつーか事故……っていうか、事件に巻き込まれたらしいんだよね。そン時に昔の記憶、ぶっ飛んじゃってんだわ」
「事件……」
「身内はあんまり詳しく教えてくれないけどね。だから小学校の記憶とか、まじでまるっと無くてさ〜。だから、えーと……ごめんな?もしかして、いろいろ迷惑かけてたりする?」
軽い調子で笑って言ったつもりだったが、男の顔がわずかに引き攣ったのがわかった。動揺、させてしまったのだろうか?
(まぁ、帰ってきた幼馴染(仮)がいきなり事故に巻き込まれて記憶飛びました〜とかなったらそうなるわな)
それより幼馴染なのに事件の内容を知らないのだろうか。正直田舎なのも含めそれなりに噂になっていると覚悟して来たのだが拍子抜けな部分もある。
浜屋も浜屋で悩んでいると、男はそうか。そうだったのかと、納得したかのようにブツブツと呟き始めた。
「え、なに? ええと、なんかまじショック受けた系─」
「浜屋っ」
「お、おう」
突然の大声に驚き、後退りをする浜屋の肩を力強く掴み男は顔を上げた。先程のような、何かを堪えているような、苦しげな表情はもう浮かべていない。寧ろ何かを決意したかのような、力強い目で浜屋の事をじっと見据えていた。
「協力してくれないか」
「へ?」
「お前に協力してほしいんだ。……昔みたいに戻りたい。幼馴染として、ちゃんとした普通の関係に戻りたいんだ!けど、もう、俺だけじゃ、無理なんだ……だから頼む、力を貸してくれ」
「…………えぇ?」
あまりにも流石に唐突すぎて、思わず素で声を漏らした。
「いやいやいや、協力って……ってか俺、お前のことも全然知らんのだけど?えーと……幼馴染だっけ?いやマジで記憶ないからさ、うん。ガチの他人感覚なんだわ。だからきっと何の役にも立たないっていうか」
「それでもいい。頼む。お前じゃないと、無理なんだ」
真剣な眼差しに沈黙が走る。
目をそらさず、こちらを覗く姿は必死すぎて逆に引くにも引けない様子だ。正直こういうのは苦手だ。
はぁ〜と深く息を吐くと、浜屋は後頭部を掻いた。仕方ないよな、こんなん。
「真面目な顔で頼まれんのは、ズルいな」
「……!」
「けど、協力って言われても何すりゃいいか分かんないからそっちに任せる。出来るか分からんけど……とりあえず、やれるだけしてみるよ、うん!」
軽く拳を握って親指を立てると男はほんの僅か、目を丸くしてから──小さく、安堵したように目を細めた。
「……ありがとう、浜屋」
『ありがとう、××ちゃん』
その顔を見て、ふと何かの姿が過ぎる。
「……その顔。なんか見たことある気がすっかも」
「え?」
「うん、ホントにうっすらだけど。泣き顔ってか、堪えてるような下手くそな笑い方ってゆーか!なんか、こー……覚えてる!みたいな!」
冗談めかして言いながらも、胸の奥がふっと熱くなる。思い出せないけど、確かに“何か”を知ってるような、不思議な感覚だ。
その変な身振り手振りに目の前の男が堪えられず、と笑い声を上げる。
「笑うなよ!こっちは真面目に言ってんだからさ。つか、いい加減名前教えてくれない? じゃないと思い出せるもんも思い出せないし」
「ごめん、悪かった。──柄西紡。お前の幼馴染で、昔、良く一緒に遊んでた」
三白眼を細め、こちらに笑いかける姿は不気味にしかというか、寝不足でぶっ倒れる寸前の姿にしか見えなくて。それが案外面白くて今度は浜屋の方が声を上げて笑った。
楽しそうに笑う浜屋と柄西。
夕焼けは校舎を橙に染め、どこか懐かしさを感じさせる静かな時間が流れていた。
そして、向かいの校舎。
三階の廊下から、幼い少年がじっと二人を見つめていた。緑色のふわりとした髪、笑顔のまま動かぬ口元。不自然に切り取ったかのような、その立ち姿。
その視線は窓越しに映る二人へと向けられていた。夕陽に照らされたその双眸はどこか冷たい光を帯びていた。
「──おかえり、真弓」
嬉しそうに弧を描く眦と同じように、柔らかな声が誰もいない廊下に静かに反響していた。