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苔下に梔子  作者: 遠野
第2章:柄西紡
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×のおわり






「そんなの!!ぜってー履かねぇからな!!!!」


門扉を蹴破るように飛び出したういちゃんが玄関に向かって怒鳴った。

開け放たれた戸口では、薄桃色のワンピースを手にしたお手伝いさんが困り果てた顔で立ちすくんでいる。


夏休み終盤、虫捕りの誘いに来たぼく達はどうやらとんでもない修羅場に来てしまったらしい。ういちゃんはそんなぼく達の横を全速力で走り抜けた。



「おい!待てよハジメ!」

「まーちゃん、ういちゃん!置いてかないでよぉ」


 走り去る背中を追いながら、耳に届くのはジリジリとした蝉の声と、かすかな鈴虫の鳴き始め。


 入道雲はもうなく、空には細かな鱗雲が浮かびはじめていた。夏がゆっくりと終わりに近づいている。






■◻︎■◻︎■◻︎





「母ちゃんがまたヒラヒラの服買ってきたんだよ。おれ、何度もいやだって言ってんのに!」



秘密基地でういちゃんは川に石を投げながら不貞腐れた声をあげた。どうやらあの大声の原因は買ってもらった服にあったらしい。


「歩くたびにふわっとするし、スースーするし!あんなもん、一生はくもん、か!!!」



投げられた石が水面を五度ほど跳ね、やがて沈んでいく。


ぼく達の中で誰よりも強くてカッコイイのはういちゃんだ。逆上がりも出来るし、木登りだって簡単に登りきれる。そんなういちゃんがスカートなんて履いて……それこそ同級生の女子みたいになってしまったら、逆にちょっと怖いかもしれない。


カナカナと夏の終わりを告げる虫の声がクスノキから聞こえてくる。虫取り網で川をかき回しながら、ういちゃんは言った。


「そーいや、ウチんとこまた宗教団体の行事で忙しいんだって。真弓と紡んとこも参加すんだろ」


天蓋祭(テンガイサイ)。毎年秋くらいにやる、しらかわのお祭りだ。さとるくんの家が取り仕切っている、特別なお祭りのこと。


大きな祭壇に、赤い花を飾って。会えない人にまた会えるようお祈りを捧げるやつ。


ぼくのところも、毎年死んだお母さんに会えるよう───去年は、おじいちゃんにも会えるよう、おばあちゃんと参加していた───、けど。



「俺んとこは母さんが嫌がってたけど、爺ちゃんが地元に居るなら出といたほうがいーって。それでなんか喧嘩してるっぽくて────」


まーちゃんの言葉が川風にさらわれていく。

 ぼくは、その声をどこか遠くで聞いている気がして、ただぼんやりとしていることしかできなかった。



だって、最近の家には“におい”が満ちているから。

 生ゴミを日に晒したような酸っぱいにおい。喉の奥を掴まれるみたいな匂いが、台所からいつも漂っていた。



■◻︎■◻︎■◻︎




「おかえりぃ。どこ行ってたん? ご飯出来とるで、食べなぁ」


「おばあちゃん……」



 食卓に並んだ味噌汁はよく分からない膜が張っていて、酸っぱい。焼き魚はボロボロで赤い肉から生臭い汁がこぼれている。


それだけ異様な風景なのに、おばあちゃんは変わらず微笑み食卓で手招いていた。



おばあちゃんの様子がおかしくなったのは、ここ最近の事だった。突然口調が厳しくなる時もあれば、穏やかでいつもの優しいおばあちゃんに戻る時もある。


日によってコロコロ変わるおばあちゃんはまるで別の人が乗り移っているかのようだった。


「……アンタ好き言うて作ったのに、なんで残した!? 折角拵えたのに何我儘言って!! あーあーごめんさいね!私が悪うござんした!!!」


ガシャンと水っぽい米が盛られた茶碗がなぎ払われ、卓袱台に液体を撒き散らし畳に転がり落ちる。投げ捨てられた箸を拾うと、おばあちゃんは「アンタそうやって、当て付けか!」と叫んで、ぼくは顔を食卓に押し付けられる。鼻にこびりつく酸っぱい匂い。


「おばあちゃ、やめて」


ぐちゃぐちゃのご飯に押し付けられながら、見上げたおばあちゃんの顔は笑っているようで、泣いているようでもあって、よくわからなかった。



ただ早くお父さんに帰ってきてほしかった。お父さんが出かけている時は、特にオカシくなるから。








「もう夏も終わりだな」


数日後、まーちゃんが朝顔を覗き込みながら呟いた。ぼくは眠くて、うんとしか返せなかった。



「……なんか、元気ねーよな」

「はなも、後ちょっとだもんね」



しおれかけた朝顔を眺めていると、まーちゃんの手がぼくの腕を掴んだ。


「───ほんとに大丈夫か?」


眠気の奥から浮かび上がったまーちゃんの顔。熱い手のひらが痛いくらいに伝わってきて、


掴まれた、まーちゃんの手が熱くて、なんかそれが辛くなって。


逃げるように視線を逸らした先で、色褪せた朝顔が茶色く萎れていた。



「……だいじょうぶ」


枯れた朝顔をみていたら、なんだか気持ちがぐちゃぐちゃになって。


よくわからなくなって、ぼくは短くそう、答えた。





その「だいじょうぶ」がどういう意味か自分でもわからなかった。




 本当は、「だいじょうぶ」じゃないうちに、早くお父さんに相談したかった。


でも、何から話せばいいのかわからない。帰宅するお父さんに会うことすら、つかれて出来ないから。



 さとるくん。さとるくんに聞いてもらえたらと思うけど、天蓋祭があるから、だめ。毎年さとるくんはそのお祭りで大事な役割があるから。





誰かに助けてもらいたい。

けど、誰にいえば助けてもらえるんだろう?





 それでも日々は過ぎ、気付けば夏はあっという間にぼくを置いていってしまった。








■◻︎■◻︎■◻︎



 病院でお医者さんがおばあちゃんの病気をお父さんに話している。お父さんの固く握りしめた拳が、ぶるぶると震えているのをぼくはじっと見つめていた。



「紡……おばあちゃんな、ちょっと大変みたいなんだ。だから……お父さんのかわりに、助けてやってくれないか?」



苦しい顔のおとうさんに、

ぼくは、何も言えなかった。



それから……ぼくは、おばあちゃんを助けることになった。



会話の途中でおばあちゃんが誰かの名前を間違える回数は増えていった。呼ばれるのは、お父さんとおじいちゃんの名前。


どうやら「紡」はもう、おばあちゃんのなかには居ないみたい。



それから、なんだかとても曖昧で。

ぼくって誰だろうとか思って。


つかれて、ねむくて。


それで、ええと、なんだっけ。



そう、それで、よくわからないまま、朝顔の観察日記は終わっちゃったんだ。

茶色く枯れた花。最後のページを閉じたとき、終わったんだなって思った。



思ったんだっけ? わからないや。



フラフラと家の中に入ると、台所から甘ったるい匂いが漂ってきた。おばあちゃんが鍋をかき回している。


覗くと、羽根のついたままの──が、煮込まれていて。



「おばあちゃん、これ」

「丸ごとの方がね、身体にええんよ。ほら、優也。ちょっと食べてみぃ?」



 鍋の隣に置いてある砂糖の袋が半分ほど減っていた。ぼくは、おばあちゃんに差し出された小皿を受け取るしか無かった。



 夜、お風呂に入るとお湯じゃなくてお水のままだった。湯沸かし器のスイッチは入れていたのに。

おばあちゃんがまた切ったらしい。忘れたことも忘れてしまって、怒ったおばあちゃんはぼくを叩いて言う。「湯も沸かせないなんて普通じゃない」って。



「マトモに出来んなんておかしいわ。なんでこんな事がわからんの?普通じゃないわ」



 口の端を引き攣らせケラケラと笑うその顔。お父さんが居るときには、絶対に見せない、その顔。



「湿気た顔せんでよ。ほら、笑って? 笑えって言うてるでしょうが!」




だから、無理に笑ってみせた。

けれど、笑うぼく達の声はやけに遠くて、心臓の音ばかりが耳の奥で大きく鳴り響いていた。





そして、なつが、おわっていった。






更新だいぶ遅れました。

今後は不定期になりますが、少しずつまた進めていけたらと思いますのでよろしくお願いします!

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