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苔下に梔子  作者: 遠野
第2章:柄西紡
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夏の呪い




──── 蝉が鳴いている。

入道雲が青を突き破り、夏の匂いが縁側まで押し寄せていた。



 縁側で目を覚ますと、おばあちゃんが扇子でゆっくり仰いでくれていた。



「おまんま食べたら眠くなったかね。けんど、ここで寝たらお天道さんに焼かれて日照っちまうよ」


 扇子から漂う【びゃくだん】の香り。古い箪笥や仏間の、少し湿ったやさしい匂いだ。


 その匂いが好きだと前に言ったら、おばあちゃんは目を細めて笑った─── その笑みを思い出して、ぼくもつい口元がゆるむ。



「……さとるくんは?」

「まだ来てないよ。お水飲んできんさい」



 はぁい、と生返事をしてのろのろ起き上がる。

 台所の窓からは、真っ青な空にそびえる入道雲が見えた。夏休みが始まったと胸が高鳴る。


今年の夏休みはなにするんだろう。青空を見てふと思い出す。


去年はお父さんが県外の大きな遊園地に連れて行ってくれたっけ。

おばあちゃんと乗った観覧車は高くて怖かったけど、景色がきれいで楽しかった。


「でも、今年はいそがしくなるんだっけ……」



お父さんは最近【しょーしん】したらしい。帰りが遅いのはそのせいだとおばあちゃんが言っていた。


「お出かけはダメかな……でも、お父さんともちょっと遊びたかったな」


それでもちょっとしか寂しくないのは、もう夏休みの予定が沢山あるからだ。


ういちゃんが親戚の集まりで面白いボードゲームを貰ったと言っていた。それで遊ぶ約束もしている。


まーちゃんとも朝顔の観察日記を一緒にやろうと約束してる。昨日、学校が終わった後、ぼくんちの庭に朝顔を植えたばかりだ。これから毎日朝顔を見る約束をしている。



それに、夏休みはさとるくんを独り占め出来る。



(ツムグ)〜、悟さん来たけぇ。はよ、おいで〜」

「っ はぁい!」


飲みかけのコップを置き、飴みたいに滑らかな床板を踏み鳴らして玄関へ駆け出す。土間でおばあちゃんとさとるくんが楽しそうにお話をしている声が聞こえた。



さとるくんは一つ年上の幼馴染だ。少し歩いたところにある【しゅーきょーだんたい】のえらい人と聞いている。


むずかしい話はわからない。でも─── おばあちゃんが「悟さん」と呼び、頭を下げるその姿を見れば、すごい人だとわかる。



だって、その証拠にさとるくんはぼくにとっても優しい。


学校も一緒に行ってくれるし、困った時は手を引いてくれる。どうすればいいのか教えてくれる。


ぼくより少し高い視線のさとるくん。その横顔を見上げて歩くのが──ぼくは、大好きだった。



「つむ、走ってきたら危ないよ」

「だってさとるくんに早く会いたかったんだもん」



 ぼくがそう返すと、さとるくんは一瞬言葉を探し、仕方ないなと笑った。その顔を見ると、なんだか胸がポッとあたたかくなる。



「おばあちゃん、行ってきます!」

「気ぃつけて遊んでおいでぇな」



磨りガラスの引き戸を開けると、爽やかな風が頬を掠める。ぼくはさとるくんの手を握り、秘密基地へと歩き出した。




■◻︎■◻︎■◻︎




蝉の声を背に、田舎道を行く。

 近所の人たちはさとるくんに声をかけ、深く頭を下げた。ぼくには「紡ちゃん」と笑いかけるのに、彼には手を合わせるようにして──。


「後継様がご立派になられれば、しらかわも安泰ですな」

「有難い、有難い……」


 さとるくんは困ったように笑い、ぼくの手を強く握る。


「ごめんなさい。そろそろ行かなくちゃ」


秘密基地の待ち合わせに遅れちゃうからと、名残惜しそうな人達から離れると、さとるくんは寂しそうに呟いた。



「後継様には、なりたくないな」



その声は風に混ざって消えた。

悲しそうなさとるくん。

何も言えないぼくの代わりに大人から貰ったお菓子をそっと渡してくれた。


少し溶けたキャラメルは甘さが増していて、美味しいと伝えると「良かったね」とさとるくんは頭を撫でてくれた。



「初と真弓には内緒だよ」


そうこっそりと笑うさとるくんの笑顔が、ぼくはたまらなく好きだった。




■◻︎■◻︎■◻︎




秘密基地は古い高架橋の下。流れのゆるい平瀬が広がっている。

 川面は光をはね返し、夏の空気をきらきらと震わせていた。見通しの良い開けた場所は川遊びには持ってこいだ。



「お前らおせーぞ!!」



遅れてやってきたぼくたちを見て先に着いていた幼なじみ達が声を荒らげた。


ざぶざぶと川にはいって怒鳴っているのが『ういちゃん』だ。


ういちゃんは、ガキ大将ってやつで、ぼく達三年生より一個年下なのに、一番強くて元気な子。



「おい、ハジメ!お前動くならゆっくり進めよっ!魚がびっくりして逃げんだろー!」


その近くで魚を捕まえようとしてるのが『まーちゃん』


ぼくと同い年で、ういちゃんの親友だ。ういちゃんの事はなんでか、ハジメって呼んでいる。

正直なところ、ハチャメチャなういちゃんについていけてるのは、まーちゃんだけだと思っている。


「あ? お前がとろいのがいけねーんだろぉ!ココの魚なんて、カタツムリでも捕まえられるわ」


「は〜?! お前、そーやってこの前もカブトムシ捕まえる邪魔してんじゃん。少しは大人しさってのを覚えた方がいーんじゃねーの」


「「なにをー!?」」


「ふ、ふたりとも!川であばれたら危ないよぉ......」



 口げんかは取っ組み合いに変わり、水しぶきが上がる。激しい飛沫に慌てる横で、さとるくんがポン、と軽くぼくの頭を撫でた。


二人の喧嘩を止めてくれるかな、と思い期待に目を向けるとそのままぼくの頭をわしゃわしゃと撫でる。


「大丈夫だよ、つむ。どうせまたそのうち転ぶから」


「さ、さとるくぅん」

「いつもの流れだよ。全く、どうしようも無いよね。あの二人は」



──バシャーン!

と、予想通り二人は水しぶきを上げて尻もちをついた。遠目から見てもわかるように二人とも全身ずぶ濡れになっている。


「こうなると思った......つむはここで待っててね。二人のタオル取ってくるから」

「うん、」



やれやれとさとるくんが呆れたように言い、いつものように、二人の荷物からタオルを取り出す。



尻もちをついた二人はと言うと、ぼく達のことなんか知らずに楽しそうに笑っていた。




 さとるくんの後ろにひっついて歩きながら、ずぶ濡れになった2人を遠巻きに眺めていたことを、今でもはっきりと思い出せる。




 キラキラと光る川。夕暮れの入道雲。

汗だくの体、ずぶ濡れのズボン、破れた虫取り網。

紐の解けたスニーカーの横で、笑い声が絶え間なく響く。



誰かが笑って

みんなで過ごしていた、夏。



 あの頃のぼくは、みんながいれば、坂道で転んでも、蛙に驚いて田んぼに落ちても痛くなかった。





だから願ってしまった。

 この夏が終わらなければいいと。







……その願いが呪いだったのかどうかは、今もわからない。

 答えは、夏の終わりと共に訪れたのだから。





次回→9月始め


8/24 追記

体調不良の為、しばらく停滞します…。

申し訳ありません(´;ω;`)

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