憂じ虫の独り言
今回から柄西紡の章です。
時系列として
【5話 暮れなずむ】の次の日です。
【6-9話 道草】の夕方辺り。
学校を休んだ柄西の視点から始まります。
「──......、」
目を閉じても、薄暗さは変わらなかった。
耳元で風も鳥も鳴いていない。カーテンすら閉め切った部屋の中で、柄西紡は毛布の中に身を潜めていた。
声を出すのも億劫で、時計を見ればきっと更に落ち込むと分かっているから、ただ目を閉じて、じっと息を殺していた。
部屋の中は夜と同じ位の闇。
暗闇とひとつ違うのは、橙の常夜灯がぽつりと灯っていること。
(─── 暗闇は、嫌いだ)
襖に描かれた柄、古い畳のささくれ、本棚に入り切らず積み上げた本の山。
全ての輪郭が、暗闇の中で静かにこちらを睨んでいるように見える。
『お前のせいだ。
お前が×××したせいで、』
照らされない闇がじっとりと俺を睨んでいる。そんな訳ないのに。無機物が睨むはずないのに。なのに、震えが止まらない。
─── ブー……ブー……
布団の脇でスマホが微かに振動する。その度に画面が青白く灯り、部屋の片隅が小さく瞬いた。
「………」
見ないようにしているソレは、「確認しない」という意志ではなく、「視界に入れることができない」という諦めに近かった。
画面を開いたら、家族からの労りがあるとわかってたから。
振動が鳴り止んだスマホにメッセージアプリからの通知が表示された。
相手は、案の定、父さんからだった。
─── 学校から連絡があった
風邪でも引いたのか?
無理、しないようにな
「……父さん」
ボロボロと涙がこぼれ、鼻がツンと痛み出す。優しさが嬉しいのに、今はその優しさが鉛のように重く感じる。
情けなくて仕方ない。
本当は父さんに迷惑を掛けたくなかった。あの人は、あの人で新しい家庭があると言うのに。簡単に動けなくなってしまう心の弱さが辛い。
「、......うっ、ぅぅ」
涙で溺れそうだ。たった数分だけ、言葉を交わしただけだというのに胸の奥が痛くて、苦しくて、こんなにも簡単に動けなくなってしまう。
違うとわかっていても── 好きだった相手を拒絶したという事実に震えが止まらなかった。
「なんで、なんでなんだよ......」
どうしようも無い気持ちが溢れてしょうがない。弱くてごめん。気持ち悪い人間で、ごめん。そう呟きながら硬い枕に顔を押付けた。
■◻︎■◻︎■◻︎
遡ること、昨日。
ついに浜屋が加護山と顔を合わせてしまった。迂闊だった。生徒会の用事で呼ばれていなければ、回避できたはずなのに。
加護山の事だ。きっと信者達を使って早々に浜屋の動向を察知していたんだろう。そうなると生徒会の用事だって仕組まれていたのかもしれない。
(─── 憎たらしい)
本当はもっと早くに会わせるべきだったのかもしれない。
仮にも、幼馴染なのだから、加護山も鈴代も直ぐにでも浜屋に会いたかったのかもしれない。
けど、本音では『浜屋なんか』にみんなを会わせたくなかった。何も言わずに此処から居なくなった薄情者に大事な幼馴染を会わせたくなかった。
恨みをぶつけるなんてお門違いにも程があるのは分かっている。
けど、浜屋が居なくなってから皆、可笑しくなってしまったから。
それだけお前は皆に必要とされてたんだと思うと、憎たらしくてしょうが無かった。
『お前!顔色すげーことなってんじゃん!? 大丈夫か!』
そう言って介抱してくれた浜屋は本当に心配している様子で勝手に恨み節を募らせている俺に対して、優しくて。
(惨めだ)
グラグラと揺れる視界の中、こちらを見る加護山の目は、いつも通り変わらず─── 優しかった。
(さとるくん)
穏やかな顔。微笑み。物腰。
それは、あの頃と何も変わらないように見える。
けれど、あれは 俺の知っている
“さとるくん”じゃない。
(さとるくんは、ちがう。あんなんじゃない。いつも助けてくれた、手を握ってくれた)
胸の奥に、じわじわと黒い液体のような感情が広がっていく。
(なんで、なんでなんだ?どうしてこうなった?何をすればもとに戻れる?)
「会いたい」と願っていたはずなのに、変わってしまった幼馴染を受け入れることが出来ず、吐き気を催すほどの拒絶反応を示してしまう。
昔は、何も考えず、笑っていられた。
ういちゃんと、まーちゃんと、さとるくんと……ただ楽しくて。皆で、泥だらけになって。怒られて、泣いて、笑って。
でも今では何もかもが、うまくいかない。
誰に対しても、会話一つにも、間の取り方を間違えれば関係が壊れてしまう気がして踏み込むことが出来ない。
無理をして話しかけても、思ったような返事が返ってこなくて、空回ってしまい、どんどん自分が嫌いになっていく。
(俺は、ただ、戻りたいだけなのに)
胸の奥がチリチリと焼けるように痛む。身体は重く、頭は働かず布団の中で芋虫のように丸く縮こまる。
泣きすぎたせいでまた熱が上がったのかもしれない。
普通でいろ ─── 誰が言ったのかも分からないその言葉が、ずっと頭の中で反響している。
普通でいる為に学校へ行って、人と話して、忘れたような顔をして、無理に笑っている。
でも本当の自分は、自己嫌悪で部屋に引きこもってるだけの情けない人間のまま、何も変わっていない。
スマホからは着信音ではなく、バッテリーの警告音が鳴った。まるで助けを求めるような、悲鳴のような音だ。
けれど、充電コードに手を伸ばす気力も無かった。
「どうして、こうなっちゃったんだろう......」
疲れでぼうとした思考の中、ぼんやりと眼前の襖を眺め続ける。
僅かに開いた襖の向こう側をスマホのあかりがチカチカと照らしていて。その灯りの向こうに、過去の自分がぼんやりと浮かんでいるような気がした。
次回更新→14日(木)あたりを目処に更新できたらと思います。