ダンジョン初日
コバルト王国の東端を治めるクロムシルバー辺境伯家、その当主の長男ノエルには、『大陸で3本の指に入る美少女』『努力の天才』『国内最高戦力の一人』『薬学において史上最高の頭脳』等々、世間の人が称賛する点に事欠かない姉ナタリアがいる。
そんな姉を持つノエルは会う人達から『ご自慢のお姉様ですね』と良く言われるが、ノエルはそんなことを一度も思ったことがない。
なぜならノエルは知っている。
両親を含めた人前で、姉が必死に研鑽や研究をしている姿は演技であり、本当は戦闘術も新薬も全く苦労せずに習得したり開発したりしていることを。
そしてそんな天才が努力の天才のふりをしている理由が、『こうして努力しているふりをすれば、その時間分はサボってられるじゃない。面倒くさいパーティーや行事も、新薬の研究で手が放せないって言えば、堂々とサボれるでしょ』ということも。
「ノエル、ちょっと話があるの」
そんな面倒くさがり屋な姉が、わざわざ自分の部屋を訪れて来た状況に、ノエルは気分が重くなる。
だいたいこの後に何を言ってくるか、ノエルには分かっているから。
「姉さん、もしかして、また?」
「そう、代役をお願いしに来たの。陛下からの依頼だったから、父さんも断り切れなかったみたい」
姉ナタリアのその言葉に、ノエルはやっぱりそうだったとタメ息をつく。
ナタリアがお願いしている代役は、ノエルとしてパーティーに参加してという代役ではない。
二人は双子に間違われる程にソックリなので、女性ものの下着やドレスを着て、ナタリアとしてパーティーに参加しなさいという代役だからだ。
そんな代役は嫌だよと言いたいノエルだが、昔断った時に受けた報復……トイレに半日こもらなければならない薬を盛られた時の恐怖が、その言葉を口にすることを邪魔をする。
「僕は……どこで開かれるパーティーに行けばいいの?」
「今回は家から出る必要はないわ。イリス様が2日後に来られるから、そのパーティーなんだって」
「え!?イリス様が?家に来るの?どうして?」
ノエルがこれほど驚くのも無理はない。
イリスとは、2年前まで国内美少女ランキングと、ナタリアやノエルも使う戦闘術『魔杖術』において、姉ナタリアと双璧を成していたこの国の第三王女。
そして外面だけ良い姉とは違って真の性格美人であるので、ノエルの憧れとなった存在である。
しかし2年前、結婚相手の候補に上がった他国の王子が、次々と原因不明の病気になるということが起こり、その原因が自分が呪われた存在だからではと考えたイリス王女は、城の自分の部屋に籠り、人前に出ることをずっと拒み続けている。
「経緯は知らないわ。父さんに『イリス様が来られるから、パーティーに参加してくれ』って言われただけだもの」
「そうなんだ。イリス様……外に出られるようになったんだね。それにしても、どうして僕は参加しろって言われてないんだろ?」
「城の外には出られるようになったけれど、同年代の男の人に接するのはまだ駄目……とかなんじゃない?」
★
「はい、ノエル。これを着て」
イリス王女が到着する日の朝。
入れ替わる為に姉の部屋へやって来たノエルに、ナタリアは着替えるようにドレスを差し出したが、ノエルにはそのドレスの意味が分からない。
「姉さん?何そのドレス?」
「知らないの?王族貴族の女性が戦闘する時に着用する、由緒正しき戦闘用ドレスよ」
「それは知ってるよ。どうしてそれを差し出すのかってことだよ」
「パーティーはパーティーでも、こっちのパーティーだったのよ」
「こっちの………パーティー?」
「そうよ」
「まさか……それを着るパーティーって」
「そうなのよね。父さんが言っていたパーティーに参加って、今回イリス様の為に行われる戦闘合宿で、イリス様とパーティーを組めってことだった……というわけ」
この国の王族や貴族は、『国民領民を守るため、王族貴族はその人生と命を懸けろ』という、初代国王が残した言葉に従って、より良い統治をしようと努力し、いざという時の為に己の武を磨く。
そしてその武を磨く為に行われるのがダンジョンでの戦闘合宿で、その合宿の間は地上に戻ることはなく、期間は1ヶ月に及ぶ。
「姉さん、1ヶ月も変装しっ放しでダンジョンなんて、絶対バレると思うんだけど……」
「私ほどじゃないけど、アナタ十分に強いから、バレる心配はないでしょ」
「そうじゃなくて、戦闘で胸のパットが落ちたりとか、着替えの時に偶然見られたりとか」
「そこは大丈夫よ。はい、これ飲んで」
「……それ何?」
「これはね、飲んだ人以外が、飲んだ人の性別を誤認する薬。つまりアナタが薬を飲めば、アナタ以外の人はアナタの身体が女の子の身体に見えるようになるの」
そんな効果の薬があるわけない……と思ったノエルだが、そんな薬を作れそうな人間が目の前にいることに気付く。
「まさかとは思うけど、今回サボる為だけに開発したとか?」
「そうよ。父さんからさっき戦闘合宿だと聞いて、急いで開発したのよ」
「やっぱり………」
聞いたこともない効果の薬を、僅かな時間で作ったと言うナタリアに、この姉に逆らったら危険だと再認識させられ、仕方なくノエルは瓶に手を延ばす。
「それで、これは全部飲めば良いの?」
「そうよ、それで効果は1ヶ月以上続くわ。そして飲んだら、現地でイリス様と待ち合わせらしいから、急いで向かいなさい」
★
待ち合わせ場所と教えられたダンジョンの入口、イリス王女より先に到着したノエル(以下、変装ナタリア)が、乗ってきた馬から荷物を下ろしていると、一台の馬車がその前にゆっくりと停止した。
その馬車は質素な馬車で、紋章は何も施されていないが、このダンジョンは辺境伯家が管理しているものであり、今回の為に貸し切りとされているので、その馬車に乗っているのは誰か変装ナタリアには容易に想像出来た。
だから姿勢を正し挨拶の準備をしたが、戦闘用ドレスを身に纏い馬車から降りてきたイリス王女の姿は、記憶にあるイリス王女とかなり違っていて、驚きのあまり声が出てこない。
その驚きは、2年の月日が美少女を更に美しくしていた……からではなく、かろうじて面影が確認出来るくらいに、イリス王女がふっくらとしていたからだ。
「ナタリア様、お久し振りです。………あの、ナタリア様?」
「はっ!?お久し振りです、イリス様」
何事もなかったかのように急いで挨拶するが、イリス王女にはバレバレである。
「2年間部屋に閉じ籠っていたら、こんなに太ってしまったのですよ。驚きますよね」
「あ、いえ、あの、驚いてはおりません」
「気を遣わなくてもよろしいですよ。二年ぶりに私を見た父上は、心も身体も鍛え直させないといけない……と、私の戦闘合宿の開催を急遽決めたくらいに、物凄く驚いたのですから」
「そうですか。今回の合宿は、陛下のそういうお考えで」
「はい。ですがこの二年で、腕が鈍っていると思います。そこでナタリア様には申し訳ないのですが、勘を取り戻すまで私一人に戦わせて欲しいのです」
「イリス様がそうおっしゃるのでしたら、そのように。私は少し離れた後方に控えております」
★
イリス達が使う魔杖術は、ステッキのような杖を武器とし、近接戦闘の時には杖に魔力を纏わせて剣、そこから魔力を伸ばして槍や鞭。
そして遠距離攻撃には、杖を弓のように構え魔力の矢を撃ち出したり、杖を脇に抱えて大砲のような魔力の塊を発射したりと、全ての距離の戦闘に対応出来る強力な戦闘術である。
しかし当然、様々な武器を使いこなす技術が要求される。
それ故、2年間のブランクの影響は大きく、イリス王女に以前のキレはなかったが、地下1層に出現する魔物程度に苦戦することはなく、初日は無事に終了した。
正確に言うと、無事に終了したのはイリス王女だけで、変装ナタリアの戦いは続いてる。
寝ている時に魔物に襲われると危険なので、土魔法が使える場合は、土魔法を応用して強固な小屋と、その小屋の周りに壕を二重に作るのが野営の基本で、イリス王女と変装ナタリアは、この基本どおり小屋と壕を設置した。
そしてもう一つの野営の基本、何かあった時に対処しやすいように、パーティーメンバーはまとまって就寝するという基本に従い、小屋の中に並べた寝袋へと入ったのだが、しばらくしてスゥスゥと寝息をたて始めたイリス王女と違って、変装ナタリアが寝られるわけがない。
外見は良いが中身がアレな姉のせいで、内面の美しさにしか興味がない変装ナタリアは、太ったイリス王女を見て驚きはしたが、憧れは全く変わっていない。
それどころか今日一日接したことで、更に憧れは強くなった。
そこまで憧れる女性が横で寝ている状況に、思春期真盛りの変装ナタリアが、ドキドキしないなんて有り得ない。
正直に言えば日課の自己処理をしていないせいで、不敬だがムラムラしてしまっているので、早く寝てしまおうと必死に戦い続けているのだ。
「スゥ…スゥ…」
「!?」
「スゥ…スゥ…」
「!」
「スゥ…スゥ…」
「!!」
しかしイリス王女の寝息が聴こえる度に意識が覚醒してしまうので、変装ナタリアのダンジョン初日が終わるのは、まだまだ当分先になりそうである。