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第4話 

 

 僕が息を切らせながら家の裏庭に到着したときには、肉体的、精神的疲労感によって思わず倒れ込んでしまった。僕は既に薄着だけの体であったが、この寒さにもかかわらず、汗をびっしょりとかいていた。ちなみに僕の服は、ナナちゃんの足に巻き付けてある。さすがに下半身を素のままで連れてくることは出来ない。そんなナナちゃんを、僕はここまでお姫様抱っこで連れてきたのだ。

 ナナちゃんを抱きかかえた感想は……あまり憶えていない。そんな感傷に浸っているほど、僕は落ち着いていなかった。女の子の体と密着したことへの緊張感と、こんな姿を誰かに見られたら…という恥ずかしさと、ナナちゃんの正体がばれたらどうしようという恐れ、そしてここまでナナちゃんを抱えて全速力で走ってきた、いろんなドキドキ感でそれどころではなかった。幸い、誰とも会わずにここまで来ることが出来たのだが、そんな理由で僕は疲れ果ててしまった。別にナナちゃんが重かったというわけではないのだ。むしろ、なんか、こぉフワフワとした、柔らかくてプカプカ浮いているような感じ……


「大丈夫ですか? 真一さん」


 ナナちゃんは、倒れ込んでゼイゼイ息を切らしている僕に心配そうに尋ねた。


「………うん………僕は……大丈夫……だよ……」


 いつまでもこんな所にいられない。僕は一息入れると、ムルリと起き上がった。


「悪いんだけどナナちゃん、しばらくの間あの陰に隠れていてくれないかなぁ」


 僕はそう言うと裏庭にある物置小屋の脇を指さした。


「ちょっと僕はそこの鍵を取ってくるから、その間だけ、ほんの少しの時間僕が戻ってくるまで待っててもらえないかな」

「あ、はい。あそこで私は隠れていればいいのですね」

「ごめんね。ほんのちょっとだから……」


 僕がそう頼み込むと、ナナちゃんは自力で、まるでアシカのように手とシッポを使い、地面を這いながら物置小屋の裏へと消えていった。

 僕は急いで家の玄関に回り中へ入る。僕はひとまずナナちゃんを物置小屋の中に居てもらうことにした。鍵というのは小屋の扉に施錠された鍵のことで、僕の憧れの人魚姫には申し訳ないのだが、今夜一晩は小屋にいてもらうことにした。僕には親に内緒で自室に女の子を招く勇気も、彼女の秘密を守り通す自信もなかったのだ。

 僕は玄関の扉を開けると無言で居間へと向かう。鍵は居間の引き出しの中にあるはずだ。何事もなかったかのように僕は居間へと入る。そこでは、さっきまで酒を飲んでいた父さんがイビキをかきながら、椅子に座ったまま酔いつぶれていた。テーブルの上にはワンカップの空瓶がいくつも転がっていた。

 まぁ、こんなことはいつものことだ。僕の父さんはこの近くの港の漁業組合で働いている。なんてゆうか、漁師といえば漁師になるのかな? 父さんはその仕事上、朝は早くから出かけ午後には家にいる人間だ。そして仕事が終わって帰って来るなり酒を飲んで寝る。早いときには昼から飲んで夕方にはすっかり眠っている時もある。

 普段の父さんは気のいい人間なのだが、酒が入ると機嫌が良いか悪いかの両極端になる。ちなみに今日は悪い方だった。なんでも、変な男たちが港にやってきて、仕事の邪魔をしたとかどうとか……夕食の時にも長々と愚痴をこぼしていた。今日僕がいつもよりも早めに浜辺に来たのは、そんな煩わしさから逃れるためでもあった。まぁ、そのお陰で僕はナナちゃんと会えることが出来たので、父さんに感謝といえば感謝だ。

 そんなことを考えながら僕は戸棚の引き出しからお目当ての鍵を見つけだす。その鍵をズボンのポケットに入れると、僕の部屋へと向かった。僕は自室に戻ると、まずタンスからナナちゃんが着られそうな服を何着か取り出す。それと、タオルと毛布。僕はこれらを両手に抱えると急いで庭に戻ろうとする。

 と、部屋を出たところでバッタリと母さんに出くわしてしまった。さっきから見かけないと思ったら、よりによってこんな所で………


「あら、その毛布どうするの?」


 母さんは僕の姿を見て、当然の疑問を投げかける。


「いや、その、あれだよ、ほら、父さんがあんな所で寝ちゃってるからさ。これ掛けてあげようかと思って」

「そう……でも自分の毛布持っていっちゃって大丈夫なの?」

「う…うん、大丈夫、だと思う。後で父さんが部屋に戻ったら持ってくるから」


 動揺するのを隠しながら僕はそう言うと、母さんの顔を見ることなく急いで気づかれないように玄関から裏庭へと向かう。

 もし僕が戻る前にナナちゃんがいなくなってたりしたらどうしよう、そう考え心配しながら物置小屋の裏へと回った。そこでは、壁により寄りかかりながらナナちゃんが座っていた。僕はひとまず安心して言った。


「ごめん、待たしちゃって」


 ナナちゃんは僕の姿を見て、嬉しそうに近寄ってきた。

 僕は小屋の正面に回り、扉に掛かった鍵を外そうとする。その様子を横からナナちゃんが面白そうに眺めている。僕は鍵を開け、扉を開くと、中から闇と共にほこりっぽい臭いが漂ってきた。

 そう言えばここに入るのも久しぶりだなぁ。

 僕はそんなことを思いながら、上からぶら下がった裸電球のスイッチを入れる。すると辺りは一瞬にして、夕暮れ時のようなオレンジ色の暖かみのある光りが辺りを包んだ。

 中は結構広く、もしかしたら僕の部屋よりも広いかもしれない。ただ、いろんなものが、漁に使う道具や網とかいったものや、農具など、がらくたが多く占拠しているので、空いているスペース自体は狭い。それでも中央に置いてある古い自転車を脇に持っていけば、人一人が寝るには十分な空間が出来る。

 僕は取りあえずそのスペースを確保し、その辺にあった段ボールを潰して床に敷いて、その上にやはりその辺にあったマットを敷いて、簡単な寝床をこしらえた。

 ナナちゃんのような美人をこんな薄汚いほこりっぽいところに置くのは、非常に申し訳なく思っているのであるが、今僕に出来る最善のことはこれくらいしかなかった。

 僕は外で待っていたナナちゃんを抱きかかえると、そこまで連れて行き座ってもらうことにした。そして部屋から持ってきたタオルと服を渡し、体を拭いて着替えてもらった。

 ナナちゃんが着替えている間、そんなナナちゃんを見るのが恥ずかしくて、僕は小屋の中のがらくたを見回していた。すると、僕にとって非常に懐かしい物を見つけた。

 ……おじいちゃんが使っていた車椅子……

 それは、家族にも僕にもすっかり忘れ去られ、光に当たることもなく、長い間ほこりに埋もれて、ひっそりと寂しそうに横たわっていた。

 僕は懐かしさと共に、何か心が痛む思いがした。

 ……まてよ、この車椅子を使えばナナちゃんを乗せて歩くことが出来るんじゃないか。

 僕はこの車椅子がおじいちゃんの贈り物のように思えてきた。すると不思議なことに、なんだかこの椅子が生気を取り戻したかのように光り輝いて見えた。

 僕はつい嬉しくなってナナちゃんの方に振り向いて言った。


「ねぇ、ナナちゃん。これを使えば……………」


 僕が振り向いた先には、既に着替え終えたナナちゃんの姿があった。上には僕のシャツと青いパーカーを着ていたが、その美しい体を持ったナナちゃんにはあまりにも不釣り合いだった。なんて僕は服のセンスがないんだろう。いつも安物の服を身につけている僕は自分を呪った。それほどナナちゃんはモデルのように完成された体を持ち合わせていた。

 そして今まで暗い場所にいたため気づかなかったのだが、光の下に照らされたナナちゃんは、初めてあった時よりもずうっと綺麗に見えた。

 髪の毛は黒く、光り加減によって緑色に輝きながら真っ直ぐと腰の辺りの長さまで伸びている。まるでシャンプーのCMに出てくるモデルのような髪をしている。髪をかき上げればサラサラっという音を立てて流れていくような気さえする。

 肌は透き通るように白く、服に覆われて上半身は見えないが、袖からはみ出た指先は細く、それこそ白魚の手の様だ。僕が握ると壊れてしまうのではないかと思えるくらい繊細な手をしている。女の子の手ってみんなこんな感じなのだろうか。

 顔なんかは非の打ち所がないくらい整っていて、そんな顔を向けられたらなんだかこっちが恥ずかしくなってしまうくらいだ。瞳の色は……黒っぽいが、僕にはナナちゃんの瞳をずうっと見つめることが出来ないので、良くは分からない……

 何となくだが、ナナちゃんはどことなく日本人的な顔立ちで、僕たちが理想とするような典型的な美人のように見える。そう言えばナナちゃんは流暢な日本語を話す。何故言葉が話せるのかは、昔のことを思い出せないナナちゃんに尋ねても分からないだろうが。こうしてみると、僕の身の回りにいる綺麗な同級生みたいな、身近な存在に感じられる。

 しかし視線を下ろせば、魚のような下半身が、鱗によって青とも緑ともつかない虹色の輝きを放っており、僕を幻想的な世界に招きいれる。

 ………やっぱ、どう見ても人魚だよなぁ~


「あ、あの、このお洋服、有り難うございます。これ汚しちゃいまして、ごめんなさい」


 ナナちゃんはそう言うと、さっきまで身につけていた僕の上着と体を拭くのに使ったタオルに視線を向けた。


「いや、そんなの気にしなくて良いんだよ。それよりもいい物が出てきたんだ。ちょっと待っててね」


 僕は折り畳まれた車椅子を取り出すと、目の前で広げて見せた。どうやらまだ使えそうである。車輪やタイヤの空気、ブレーキの利きを確かめる。

 昔これにおじいちゃんが乗っていたんだよなぁ~ そのおじいちゃんから人魚伝説の話を聞いていたときは、この椅子もおじいちゃんも大きく見えたのに、今改めて見ると思っていたほど大きくない。きっとここに乗っていたおじいちゃん本人も、実は小さかったのかもしれない。

 僕が気持ちよく昔の想い出に浸っていると、裏庭に誰かやって来る気配がした。


「おい、真一! そんなところで何やってるんだ!」


 まっ、まずい、父さんだ! さっきまであんなに爆睡していたのに、物音に気づいたのだろうか…… とにかく今の状況はかなりまずい。ここに来られたらヤバイよ。

 僕は慌てて小屋から出ると、急いで戸を閉めた。


「真一、お前こんな時間にそこで何やってんだ!」


 父さんがもの凄い剣幕で僕の所へと詰め寄って来た。


「い、いや、その、ちょっと探し物を……」

「あ? こんな時間に探し物? まさか変な生き物を拾ってきたんじゃないだろうな?」


 僕は一瞬ドキッとする。きっと父さんの言っている変な生き物とは、猫とか犬のことだろうが、素直に否定は出来ない。変な生き物でなくても、女の子をこんな時間にこんな場所に連れてきて寝かせていることも、十分怪しい。

 どちらにしろ、父さんにこの中に入られては、僕は終わりだ……


「そこをどけ! 捜し物だったら俺も手伝ってやる」

「ちょっと、大丈夫だって、一人で探すから」


 父さんは僕の制止を振り切って中へ入ろうとする。僕は必死に抵抗するも体格のいい父さんに敵うはずもなく、無惨にも押しのけられ内部への侵入を許してしまった。


「で、何を探して…………」


 父さんの言葉と動きが止まった。…あぁ、ついに見つかってしまった……

 僕はその場で立ち尽くしている父さんの脇からナナちゃんの様子を見る。

 ナナちゃんの足には毛布が掛けられて、裾を恥ずかしそうに胸まで持ってきていた。

 どうやら人魚ということはばれなかったみたいだが、こんな所に女の子を連れこんだ僕はきつい罰をこれから受けるに違いない。

 そんなナナちゃんは驚いた様子もなく、笑顔で父さんに挨拶した。


「あ、こんばんは、お邪魔しています」


 そんな言葉を返された父さんは、口を開けたまま体を小刻みに震わせていた。


「あの、父さん、これには深い事情がありまして、あのですね?」

「………あ…………こ………た、大変だ……これは…一大事だ……大変だ――!」


 僕の目の前で父さんは急に叫びだし、そのまま小屋から飛び出していった。


「大変だ、真一が、真一が女の子を、彼女を連れてきたぞ! 母さん大変だ、真一が…」


 ………はぁ? なに言ってるんだ、あの親父は……


「母さん聞いてくれ、あの真一にもついに彼女が出来たんだぞ――!」

「………って、おい、父さん! 待てってば。何言ってるんだよ。こんな夜中に近所迷惑だろ! ちょっと待てよ、おい――っ」


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