第35話
「悪いが気が変わった。ナナもここで処分することにした。そんなにお互い離れるのが嫌なら、二人仲良くあの世に行くがいい」
僕は再び振り返り、そう言った男に視線を向けた。男は手にした銃の銃口をこちらに向けた。
僕は覚悟した。もうここで死ぬんだろうな、と。怖かった。でもそれ以上に悔しかった。ナナちゃんを守る事が出来なかったこと。あんな男に負けること。そしてこんなところですべて終わってしまう自分自身に。
男が引き金を引く瞬間、僕は最後の最後に怖くなって目を閉じた。その直後、銃声が響いた。三回くらいだろうか、空気を切り裂くような音、それによって僕の体も切り裂かれるのであろう。
ただ、銃声を耳にする前、気になった事があった。瞼を完全に閉じて暗闇になる瞬間、目の前に白い天使が舞い降りてきたのを見たような気がした。もしかしたら、僕達に天国からの迎えが来たのかもしれない。
そうか……あの世って……あったんだなぁ……
「貴様! どこから!」
僕の耳に何かに驚く男の声が入ってきた。何だろう? 一体どうしたんだろうか? それに僕は死んじゃったんじゃ…でもまだこうやって考える事が出来るし……
僕はゆっくりと目を開けた………
そして目を開いた先には…………エルさんが……エルさんが白い翼を大きく広げて僕達を守るようにして立っていた……
「エルさん! どうしてここに」
エルさんの顔は苦痛によって歪んではいたが、どこか嬉しそうに穏やかでもあった。そして僕はそのまま視線を下ろすと、赤………
僕の目に飛び込んできたのは赤い色、真っ赤に染まったエルさんの胸が………着ていた白いワンピースも赤く染まっていた。
僕はそのとき理解した。エルさんが僕達の身代わりになってくれたことを……
「真一……せっかくここまで、この羽で飛んで来たって……いうのに…怖くなって目閉じちゃって…見てなかったんでしょ……そんな…じゃ…ナナっ…こと…守っ…て………」
エルさんは僕に言い終らないうちに、そのまま僕達に寄りかかってきた。そのときナナちゃんがエルさんのことに初めて気づき、声にならない悲鳴を上げた。
「やはりこいつが関わっていたか。出来損ないの分際で」
男はそう言いながら、足音を立ててここまでやって来ると、僕達に寄りかかってもう反応のないエルさんを足で高く蹴り上げた。
エルさんの体はゆっくりとスロー再生をしているように、高く空中を舞って、緩やかな放物線を描きながら右の方へと飛んで行き、鈍い音を立てて床に落ちた。
「エルさん!」
エルさんが落下したと同時に、ナナちゃんの悲痛な叫びが辺りをこだました。
僕達の周りには、エルさんの白く綺麗な翼の羽が中を舞っていた。
「近いうち処分の予定だったところを、抜け出しやがって。まぁ、これで手間が省けた」
エルさんを処分だって? この男、絶対に許さない。絶対に!
「さぁ、今度はお前の番だ」
僕の頭に銃を突きつけて男は言った。僕はその男の顔を睨みつける。今度は絶対目を閉じたりなんかしない。この男だけは絶対に許したくない。死んでも呪ってやる。
僕は男の顔を睨みつける。男は無表情のまま、僕の頭に突きつけた銃の引き金を引こうとする。
……と、睨み続けていた僕の視界から、急にものすごい速さで男が右の方へと消えていった。僕は慌てて男が消えて行った方へと顔を向ける。するとそこにはワンちゃんの姿が………ワンちゃんの頭の角にはあの男が胸から突き刺さっていた。
「くっ、こいつっっう!」
男を串刺しにしたままワンちゃんは走り去ろうとしたが、男は角に刺さったままの状態で体を捻り、ワンちゃんの体へと手にした銃で数発発砲した。銃弾の当たったワンちゃんの体からは、赤い血が勢いよく噴出し、白いワンちゃんの体をアッという間に赤く染めた。そしてその場でワンちゃんは足から崩れ落ちるようにして倒れこんだ。
「ワンちゃん!」
ナナちゃんが叫んだ。そしてその場で泣き崩れた。
すべて一瞬の間に起こった出来事だった。僕はまだ何がなんだか分からなく、その場で唖然としていた。やがて僕はその場の一連の出来事を、まるで夢の中にいるように現実感のない感覚で何とか理解すると、ゆっくりと立ち上がり男の所へと歩き出す。
男はワンちゃんの角に胸を貫かれたまま、ワンちゃんとともに倒れこんでいた。床には大量の血が池のように溜まっていた。それがワンちゃんのものか、この男のものかは分からない。ただこの男にもエルさんやワンちゃんと同じ赤い血が胸から流れ出していた。
僕はその場に落ちている銃を拾い上げた。男は僅かではあるが息をしていた。でも、ワンちゃんの方は、僕がその血で赤く染まった体に手を当ててみるが、倒れこんだままピクリともしなかった。
ワンちゃんは僕達のために……
僕はワンちゃんの体を優しくなでながら、すでに虫の息の男を睨みつけた。
「はははっ……やるじゃないか、お前らも… だがこれで終わりではない……こいつらは所詮作られた物……我々人間とは相容れぬ存在…………何処へ行っても逃げられると思うなよ……精々抗うことだな…はは……は……………」
男は体でそう語ると、そのまま息を引き取った。
何処へ行っても逃げられると思うな? それは一体どういう意味………
男が息を引き取ると同時に、どこかで大きな爆発が起こって、この施設全体が大きく揺れた。そして、僕が男の最後に口にした言葉を理解する暇も無く次々に爆発が起こり、壁がきしんで一部の天井が崩れ落ちてきた。
僕は男が死んだことを確認すると、ナナちゃんのもとへ駆け寄る。ナナちゃんは既に力尽きたエルさんの体を抱きかかえながら泣いていた。
「ナナちゃん……」
僕は近寄ってナナちゃんに声をかける。エルさんの自慢の羽はボロボロになって、透き通るように白かった肌は、青白くなっていた。でも不思議とエルさんの表情は安らかで幸せそうだった。ナナちゃんが泣きながら体を震わせるたびに、エルさんの体もそれに合わせるかのように揺れ動いた。
僕は言い知れぬ悲しみに包まれた。でも涙は流さなかった。生かされた者、僕には、まだやる事がある。悲しむことはあとでもできる。今はただエルさんやワンちゃんのためにも、残された者としてこれからも生きていかなくてはならないのだ。
僕はナナちゃんの小刻みに震える肩に手を乗せて言った。
「ナナちゃん、行こう。ここも危なくなったから」
「エ、エルさんが、エルさんが、返事してくれないんです。エルさん、エルさん、起きてください。ねえ、エルさん、起きてください……」
そんなナナちゃんの様子に僕は押さえ込んでいたものが、一気にこみ上げてきた。
「ナナちゃん、もうエルさんは………僕たちのために…だから……もう……………」
揺れがひどくなってきた。もしかすると、この施設は自爆するのかもしれない。
僕はこのままここにいては危険なので、まだその場で泣き続けているナナちゃんの腕をつかんで、ここから脱出しようとする。
「さあ、ナナちゃん、早くここから出よう」
しかしナナちゃんはその場で泣き続け、動こうとはしなかった。
「……わ、私は、エルさん達と一緒にここに残ります。真一さんだけでも、逃げ延びてください………」
「何でここに残るの? 僕と一緒に行くんだよ」
僕はナナちゃんの腕を強く引き寄せるが、エルさんを抱きしめたまま座り込んでいるナナちゃんは動かなかった。
ナナちゃんの気持ちは分かる。でも、それでもナナちゃんがここに留まる理由はない。
「ナナちゃん、お願いだか僕と一緒に行こう」
揺れは収まる様子もなく、その場で立っていることも難しくなってきた。早くここから出ないと、みんな助からなくなってしまう。
「うっ…う………エルさんも…ワンちゃんも…みんな…死んで……しまいました………みんな私のせいで………ごめんなさい……ごめんなさい………」
ナナちゃんは抑えきれない涙と一緒に自分を責める言葉が溢れ出た。ナナちゃんは自分のせいで、みんなを死なせてしまったと思っているのだろうか。ナナちゃんには、そんなみんなを置いて行く事ができないのだろうか? それはみんなを犠牲にしてしまったことの後ろめたさから、自分一人生き延びることを咎めているのだろうか?
「ナナちゃん、悲しいけど、エルさんはもう起きないから、そっと寝かせてあげよう」
僕はエルさんを、泣きながら強く抱きしめているナナちゃんからゆっくりと引き離すと、静かに床に寝かせてあげた。エルさんの体はまだ微かに温かく、本当に眠っているようで今にも起き出して僕に怒り出すのでは、と思えるくらいだった。
「みんなナナちゃんのせいで死んじゃったんじゃなくて、ナナちゃんのために身を挺して守ってくれたんだよ。だからこれはナナちゃんのせいじゃないんだよ。それなのにナナちゃんがここに残ってどうするの? みんなナナちゃんのために頑張ってくれたのに、それこそみんなの為にならないよ。一人だけ残るなんて悲しいこと言わないでよ」
僕は服の袖で涙を拭うと、ナナちゃんの方へ振り返って言った。
ナナちゃんはまだ決心がつかないように、涙を流しながら悲しい顔をエルさんに向けていた。
そしてまた大きな振動が………僕は体勢を崩し床に両手を着いた。それと同時に、近くで水槽のガラスが、叫び声の様にして割れる音が耳に入ってきた。そして、僕達のところまで水が流れてきた。
「あぁ! エルさんが」
ナナちゃんが叫ぶ。横になったエルさんが水で奥に流されようとしていた。それをナナちゃんが追っていこうとする。
「だめだよ、ナナちゃん。もうここも危ないから、早く脱出するんだ」
僕はエルさんを追いかけようとするナナちゃんの体を捕まえるとそのまま抱き上げる。
「真一さん、放してください。エルさんが、エルさんが……」
僕はナナちゃんの叫びを無視して、出口へと向かおうとする。ナナちゃんはしばらく泣きながら僕の腕の中で暴れていたが、少し冷静になったのか、諦めたのか暴れるのをやめ、僕の体にしがみついて声を漏らしながら泣き続けていた。僕は自分のナナちゃんへの仕打ちに心が痛んだが、ここは強引にでも連れて行くべきだと考えた。
僕は急いで来た道をたどってゆく。水槽に挟まれた通路をただ真っ直ぐ、余計なことも考えず、急いで出口に向かうことだけを考えて走った。時折、何かが爆発する音や壊れる音が耳に入ってきたが、関係なかった。がむしゃらにナナちゃんを抱えて走って、走って、走って、階段を上って、急いで駆け上がって、水槽の上を中に落ちないように慎重に、それでいて素早く走り、長く薄暗い下りの階段を一気に駆け下りる。段を踏み外さないように。つまずかないように。転ばないように。そして耳障りな金属の擦れる音のする機械室を突っ切る。いたる所が崩れ落ち液体が床を浸し、白い蒸気が吹き荒れる中を必死に、とにかくひたすら、既に道ではなくなった道を通り抜け、地下水道に続くはしごの所まで来る。このはしごを僕はナナちゃんを抱えたまま降りようとする。強くしがみついたナナちゃんの体を左手で抱え、右手と両足を交互に使ってはしごを降りる。
しかし突然、僕は頭の上から多量の水をかぶる。上から滝のように水が流れてきて、地下水道へ向かおうとする。僕は水の流れに押されないように左手に力を込めるが、逃げ道を求めてきた多量の水の勢いに敵うことなく、僕はナナちゃんと一緒に水とともに下へ流されていった。
水の中に投げ出された僕は、上下の位置が分からなくなり、方向感覚が麻痺した。必死で体勢を整えようともがく。視界がまったく利かない。それに加えて息が出来ない。
僕は混乱して何がなんだか分からなくなった。そんな時、僕の頭の中にはナナちゃんの事が浮かんだ。そうだナナちゃんは何処にいったのだ? 僕の両手の中には、その姿は感じられない。僕はナナちゃんのことを探した。今の自分の現状を省みず、両手を探らせた。でも僕の手は空しく水を切るだけだった。
そのうち僕はだんだん意識が薄れていく。頭の中がぼんやりしてきて、だんだん体も動かなくなってきた。それでも僕はナナちゃんのことを探した。
……ナナちゃんは…ナナちゃんは…どこ? ナナちゃん……
僕は水の中で力尽きようとしていた。そして意識を失う前に誰かが僕の腕をつかんだ感触があった。でもそれが誰なのか、この後どうなったかは分からないまま、僕の記憶は途絶えていった………




