第32話
木漏れ日の差す森の中で、僕たちは今まさに一大作戦に挑もうとしていた。ここからエルさんとワンちゃんは先に森を降りて、マスコミ関係者と接触して研究所のことを暴露する。
その研究所に押し寄せてきた報道陣による混乱に乗じて所内に潜入。更にエルさん達は所内の機能を掌握した後、施設の一部を爆破させ混乱させる。その隙を見て僕がナナちゃんを救出する。大体こんな手はずだ。
エルさんはワンちゃんの首を撫でており、いつでも出発できる準備でいた。そんなエルさんは初めてあった時の白いワンピース姿の軽装状態で、顔は白い朝日に照らされているせいか、いつもより凛々しく見えた。その表情からは真剣さが見て取れる。
こんな時僕はどんな顔をしているのだろうか? 僕はこの時点でもう既に恐ろしさを感じていた。全身が小刻みに震えているのは、明け方の寒さのためではないだろう。もしかしたら今僕の顔は恐怖と寒さによって酷く醜く引きつっているかもしれない。
僕はそんな顔をエルさんに見られたくなく、隠すようにそっぽを向いた。
「さぁ、真一、ナナっちを助けに行きましょ」
僕の目の前に立ったエルさんは微笑みながら言った。
どうしてこんな時に笑っていられるのだろうか? 僕なんか怖くて、未知の領域に足を踏み入れる恐怖で、こんなにも震えているというのに………
エルさんの顔は死への恐れなんか感じられないほど穏やかな表情だった。
……それはもしかすると、死んでも構わないと言う覚悟……いや、エルさんは死ぬ気なのかもしれない………
「あの……エルさんさぁ」
「なに?」
「……その……死ぬ気じゃないよね……」
「………………それって、私に死ねって言ってるの?」
エルさんはいつものように目を三角にして、怒ったような顔をする。
「いや、ちがくて……その………………また……これが終わったら、またみんなで一緒に暮らそうよ。……みんなでさ………」
「……そうね………そうだよね……」
そのまま僕たちは黙ったまま見つめ合うと、エルさんの方が先に照れくさそうに背を向け、そのままワンちゃんの上にまたがった。
「それじゃーいい? 手はず通りやるのよ。それで必ずナナっちを助け出すんだからね」
「うん、分かった。エルさんも……ワンちゃんも気を付けて………」
そう言うとエルさん達はゆっくりと歩いていった。二人の姿はゆっくりと、ゆっくりと遠ざかって小さくなってゆく…… ここからは別行動になるんだ。僕一人でやって行かなくてはならないんだ。
……何だか小さくなって行くエルさんの後ろ姿を見ていると、急に寂しくなって、もう二度とエルさんに会えなくなるのではないか、という不安に駆られた。そう言えば、僕たちはナナちゃんの救出した後のこと、エルさん達と落ち合う場所のことを話し合っていなかった。ナナちゃんとエルさんが研究所を脱出した時には、海岸で花火を目印にするという約束が為されていたというのに………
「エルさん! エルさーん! ちょっと待って。終わったら、ナナちゃんを助け出したら、どこで合流すればいいのー」
僕は大声で叫んでエルさんに呼びかけた。エルさんはその声に反応するとその場で止まって振り返って言った。
「決まってるでしょ、真一の家! 分かったー? そこに必ず行くから待てるんだぞ!」
そう言うとエルさんは再びゆっくりと山を下っていった………
僕は少しその場で休んだ後、ゆっくりと立ち上がって山を下り始めた。下りとはいえまだ体が痛む僕は、足を引きずり木により掛かりながら休み休み歩いた。
長い時間を掛けて森を抜け出すと、目の前には舗装された道路が横切っていた。車は全く通っていない。僕はその道路をゆっくりと横切って、その先に広がる海へと足を進ませる。僕が完全に道路を渡りきった後、何台か車が通っていったのを背後で感じた。
もしかしたら放送局の車かもしれない。そう思うと僕は少し歩調を早めながら海岸に出た。そこから海岸沿いに歩いて行き、波で浸食された険しい岩肌を乗り越えていくこと数十分、僕は岩陰に洞窟らしきものを発見した。
あれがエルさんの言っていた研究所へと繋がる用水路なのだろうか。僕はそこまで近づいていく。遠くからでは全然気が付かないが、近寄るとそれはハッキリ人工的に作られた丸い筒状の下水道だと分かる。直径二、三メートルほどの用水路の端に人一人やっと通れるような通路があり、中は照明など無く、真っ暗な闇が奥まで続いていた。この闇の中を僕一人で進むことを考えると、少し心細くなった。
中を流れる水は奥から流れているようだ。施設から排水しているのだろうか。通路を慎重に歩いて奥へと入っていく。するとすぐに僕は鉄格子に阻まれた。水路全体は上下左右に張り巡らされた鉄格子によって外部からの侵入を妨げていた。ところが、手探りでよく探すと、一部鉄格子が人一人通れるくらいの大きさに四角く切断されているところがある。
そこを通り抜けて奥に進むとまた鉄格子、同様に抜け道。これを五回ほど繰り返して進む。奥に向かうたびに水が流れる音が大きくなり、それが壁に反響して僕をさらに不安にさせる。しばらくすると暗闇になれた僕の目は上へ伸びるハシゴを見つけだした。
きっとこれを上っていくのだろう。僕はハシゴに手を掛ける……… と、同時に大きな揺れを感じて、僕は振り落とされないように両手でハシゴを掴み、体を引き寄せた。
大きな揺れ、大地を揺るがす程の大きさで、ここから近い上の方で起こったようだ。たぶんエルさんが行ったものであろう。そうだとすると、エルさんは上手く内部に侵入できたようだ。僕はそう考えると、もたもたしてられないので急いでハシゴを登ってゆく。
その先の頭上には鉄製の扉でフタがされていた。僕はその重い扉を上へ押し上げる。内部からの鍵は既に外されているようで、重量のある扉は金属の錆び付いた金切り声を立てながら開いた。僕は頭だけ覗かせ、周囲に人がいないかを見渡す。
……どうやら誰もいないようだ。僕は高鳴る鼓動を抑えながら這い上がる。周囲にはよく分からない機械や装置が建ち並んでいる。かつて何度か入ったことのある学校のプールの機械室のような雰囲気だった。塩素のような薬品の臭いと油の臭いが混ざり合って周囲を漂う。
狭い空間には巨大なモーターの回転する音や、金属同士が擦れ合うような音が鳴り響いていた。赤っぽい照明に照らされた周囲とこの音、臭いで、目と耳と鼻の感覚がおかしくなる気がする。僕には機械のことなど詳しく分からないし、今そんなことに気を取られている暇もないので、通路に沿って人に見つからないよう息を潜めながら進む。
通路の先には、丸い取っ手の付いた分厚い鋼鉄製の扉があった。僕はそれを開けて顔を覗かせ、向こうに誰もいないのを確認すると、ゆっくりと足を踏み入れる。
その先は灰色の壁に覆われた通路が真っ直ぐ延びていた。天上の蛍光灯は距離を置いて点在しており、辺りは薄暗い。僕はエルさんに言われたとおり、真っ直ぐにそこを進む。
そして二回目の爆発音と振動……時間をおかずにもう一度同じくらいの振動が床を伝ってきた。ここの建物全体が揺れているようだ。僕は左右に振られて壁にもたれかかる。
早くしなくては、エルさんが他の人たちを引きつけてくれているうちにナナちゃんを見つけ、助け出さなくては……
壁に手を当てながら歩き出す。途中、通路の左右に個室が見られるが、言われた通り無視して進む。そこを通過する時は中に人がいるかもしれないので足を忍ばせる。そのうち通路の先が上へ上がる階段になっていたので、僕は足音を立てないように一段一段階段を上ってゆく。
そして階段を上った先には、広い空間が広がっていた。天井は低く、僕の頭よりもちょっと高いくらいで、左にはいくつもの四角い池が遙か奥の方まで等間隔に続いていた。
僕は何度か父さんに連れられて行った魚市場を思い出す。いくつもの並んだ生簀の中に魚を泳がせているのだ。ただ目の前に続いているのは、比較にならないほど大きい。まるでプールサイドの上に立った感覚だが、脇にあるそれはプールよりももっと深く、底が暗くて見えない。
この暗い青い色をした水の中に誤って落っこちてしまったら、二度浮かんでこれないような気がして、僕は池から離れた場所を歩いた。どうやら僕は巨大な水族館の水槽の上に来てしまったようだ。
きっとこの水の中には、いろいろな魚たちが泳いでいるのだろう。中には水槽の上に頑丈そうな扉をしているものもあった。それはつまり、中には危険な生き物もいるということなのであろうか……




