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第2話

 

 …えっ? なんだ、何なんだこれは! これってもしかして…

 急激に僕の鼓動が早くなっていくのが分かる。その心臓の音は、波の音を掻き消すくらいに強く、そして早く脈打っている。もうそこには、感動とか嬉しさとかいった感情は一切含まない、単に驚きと戸惑いと恐怖に似た、とても清々しいとは言えない感覚だった。

 まだ気持ちの整理が着かない僕は、取りあえず後ずさりする。危険な物からひとまず身を守る行動……距離を置くという人間の本能的な行動を、僕は行っていた。

 一体あれは何なんだ? とにかく落ち着くんだ、落ち着こう……

 僕は右手を心臓に当てながら、落ち着くように自分に言い聞かせる。そして、その横たわっている物体から、二メートルほど離れる。

 最初は人が死んでいるのだと思ったら、その人の下半身が魚みたいになっていたし、それが人間なのか何なのかも分からないし、それが生きているのか死んでいるのかも分からないし、もう何がなんだか分からない。

 しばらく僕は深呼吸を繰り返し、必死に平静を取り戻そうとする。そして、ある程度思考回路が回復すると、改めてそこに横たわっている物体を眺める。

 あれは…何なのだろうか……もしかしたら、子どもの時あれほど会いたがっていた人魚かもしれない。いや、そんなことはない。僕の見間違い、もしくは誰かのいたずら? 

 僕の頭の中は期待と不安の二者がせめぎあう。僕は助けを請うような目で辺りを見回して誰かいないか探してみるが、人の気配は感じられなかった。

 ……と、とにかく、さっき僕がつまずいた、あの物体を確認しに行こう。

 僕は震えている足を引きずるように前へと歩き出す。しかし近寄る必要もなく、ここからでも横たわっている人がよく見て取れた。やはり本来足があるべきと所は、魚の後ろ半分のようになっている。良くできた偽物なのだろうか? よく映画でも使われる特殊メイクとかいうのではなかろうか? ここから見た感じでは、その下半身が本物かどうかの真偽は分からない。やはり直に触ってみないと何とも言えない。

 僕は一歩一歩慎重に近づいて行く。すると薄暗くてよく見えないが、上半身に服は身につけてないことが確認できた。その代わり、上半身には黒い藻みたいな物が絡みついている。もしかして、この人の髪の毛なのだろうか? そうすると結構な量と長さになる。上半身のほとんどを埋め尽くした髪の毛で、顔などは全然見えない。その光景が不気味に見え、僕を更に怯えさせる。

 そこで僕は正面に回り込み顔を確認しようとする。僕の心臓が、再び音を立てて鳴り出すのが分かる。いつもの僕であったらすぐに逃げ出していたであろう。だが、そんな僕をこの場につなぎ止めていたのは「これが僕の長年夢見ていた人魚かもしれない」という、微かな希望でしかなかった。でもそれも今の恐怖によって掻き消されようとしていた。

 ……と、突然、僕の目の前に横たわっている人が、微かにピクッと動いた!

 僕は驚きのあまり後ろへ飛びのく。

 横たわった人は、そのまま寝返りを打ち仰向けの状態になった。

 ……ビックリした……どうやら死んではいないようだ。あとはこの人の正体を知るだけだ……あっ!

 ほっとしたのも束の間、思わず僕はそこに横たわっている人から視線を逸らしてしまった。どうやらこの人は、下半身はどうあれ上半身から見るに女性のようだ。仰向けになった拍子で、その…胸にある、豊満な……乳房が、見えてしまった。意識してではない。あくまでも見えてしまったのだ。僕だって年頃の男だから、そのようなものを見せつけられれば、ドキドキしてしまう。いろんな意味で、もう僕の心臓はきしみを上げて、いつ破裂してもおかしくない状態までになっていた。

 あぁ、もう何も考えられない。いや、いろんな事を考えすぎてしまって混乱しているのだ。どうしょう、どうしたらいいのだろう、どうすべきなのであろうか……

 そこへ優柔不断な僕に決断を迫るように、向こうから人がやってくるのが見えた。二人組のようだ。たぶん恋人同士なのであろう、話し声がここまで聞こえてくる。

 まずい! 

 何がまずいのかは分からないが、気が付いたら僕は横たわっていた女性の人?を、抱えながら、こっちへやって来る人から逃げるように反対側の岩場に駆け込んでいた。

 もう何がなんだか分からない。とにかく、この人が他の人に見つかってはいけないから、隠れなくてはならないという強迫観念みたいなものに衝動的に駆られてしまった。

 とにかく僕はがむしゃらに走った。もう裸の女性の温もりだとか、接しています、といったことは、全然感じる暇など無く危険な岩場を飛び越えていった。

 …ハアハァ……もうここなら大丈夫だろう。

 周囲が岩で覆われ、容易に外から様子がうかがえない場所までやって来ると、少しなだらかになっている岩に、その人をベットに寝かすように、そおっと横たえた。

 そして僕は近くの岩の上に腰を下ろす。自分の胸に手を当てると、心臓がものすごい勢いで動いていた。それは今、急な運動をしたからであろう。

 僕はそのまま胸に手を当てながら落ち着くのを待った。

 二・三分したであろうか。僕の心臓はひとまず落ち着きを取り戻した。不思議と今は、さっきよりも冷静になっていた。きっと無我夢中で走ってきたときに、あれこれ考えていたことを振り飛ばしてしまったのであろう。

 そして今、そこで寝ているように岩に寄りかかっている女性に目を向ける。

 …どう見ても下半身は魚である。腰からシッポまでのラインは緩やかに美しい曲線を描いていた。むしろ、その美しさが人から魚への境界線の違和を感じさせないほどである。

 僕は近寄り、髪の毛で覆われてすっかり見えなくなった顔を覗き込もうとする。

 ここまで来たらどんな人なのか知りたくなってきた。もしかしたら、人魚姫のようなもの凄く綺麗な女性かもしれない。……確かにちょっとは、よこしまな考えを持っているかもしれない。いや、何となくだけど顔を見てみたいな~という衝動に駆られたわけで、別にどうする、というわけじゃないんだ。うん、そう、ちょっと気になるだけなんだ……

 そう勝手に自分に思いこませると、僕はその人の頭の横でしゃがみ込んだ。

 なんだか、またドキドキしてきた。何しろこの年になってもまだ、そんなに女性の顔をジッと見たり、近くで見たりしたことが僕にはなかったからだ。

 僕は緊張しながら、その人の顔を覆っている髪をかき上げてみた。

 …その髪の毛の中から現れた素顔は……驚くほど美しい女性の顔だった………

 たぶん僕の年とさほど変わらないであろう。まだ若く、どことなく幼い面も残した顔立ち……そして目や鼻や口など、どのパーツをとっても整っている、美人と言える人だ。

 その瞳は閉じられており、口からは小さな吐息が漏れているのが分かる。

 僕はしばらく、その美しい顔立ちに見とれていたが、あまりにも長い間見つめ続けていると、この美しさによって自分が別の次元に吸い込まれてしまうのではないかと思い、いったん視線を外しながら後ろに下がった。しばらく僕は何も考えられず、うつむきながらボーっとしていた。ただ一つ、この子が息をしていたことに安堵したことは確かである。

 あっ! そうだ、この子が本物の人魚かどうか調べないと。

 その子の美しさにウットリしていた僕は、我に返って大事なことを思い出した。

 僕はこの子の腰の横まで位置を移し、腰から魚へと変わる場所を凝視する。

 ここは薄暗いため良くは見えないが、その部分は不自然なく続いていた。近づいてみればよく見えるのだが、魚の部分はちゃんと鱗のようなものがあって、この星空からのかすかな光りによって、鱗の一枚一枚が反射して浮かび上がって見える。

 やっぱ、触って確かめないと駄目なのかなぁ。

 僕はこの子の腰に手を当てようとするが、手が震えてしまいどうにもならない。だって、この腰といい、くびれといい、仮にも年頃の女性の肌に断りもなしに触ろうとしているのだ。ちょっと抵抗がある。しかも目の前にいる子が、ビックリするほどの美人で、この腰からシッポまでのなめらかなラインが魅惑的で。そんな人を目の前にして興奮している僕が、なんだか凄く淫らな人間みたいに思えてくる。

 そう思うと僕は一人その場で、自己嫌悪に陥る。

「……ぅ…う……ん………」

 僕はビックリして、思わず体を浮き上がらせてしまった。

 どうやら彼女が目を覚まそうとしているようだ。体を左右にモゾモゾ動かしている。

 どうしよう。僕はなんて声を掛ければいいのだろうか? もしかしたら僕の姿を見て、また驚きのあまり気を失ってしまうかもしれない。ここは少し距離を置いて……そう、僕は怪しい人間でなくて、あなたに危害を加えません、というような感じで、その、何というか、たまたま通りかかったら君が倒れていて、大丈夫ですか?みたいな感じ……

 そんな僕をよそに、彼女の瞳はゆっくりと開かれた。何度か瞬きした後、彼女は上半身をゆっくりと起こすと、そのまま正面の、海の方をボンヤリと眺めていた。

 何か声を掛けなくては……でもなんて話しかければいいのだろう? ろくに同じクラスの女の子にも声を掛けたことがないのに……あぁ、どうすればいいんだ……

 彼女はしばらく海の方を眺め、そして現在の状況を把握しようとするように、辺りをゆっくりと首を回しながら見回した。…そして、彼女は僕の方に顔を向けると、どうやら僕の存在を確認したようで、僕と目があった時点で首の動きが止まった。

 どうしよう、目が合っちゃった。いや、ほら、何か気の利いたこと言わなきゃ。

「…あ、あ、っと、そ、なぁ…」

 頭の中で考えていることが、口を伝わって言葉で出てこない。

 そんな慌てふためいている僕を、彼女は顔色変えず見つめていた。そんな綺麗な顔を向けるもんだから、僕は更に緊張して何も言えなくなってしまう。

 そしたら、彼女の唇の方が先に開いて、僕よりしっかりした口調で語りかけてきた。

「あの~大丈夫ですか?」



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