第14話
僕たちはそこの公園へと向かうことにした。僕たちが偶然見ていたテレビ番組で出てきた、翼の生えた人間というのは、ナナちゃんが言うには古くからの友達で、エルさんと言う人らしい。そのエルさんと言う人物は、ナナちゃんの幼馴染で、白い翼を背中に持つ金髪の女の子であるという。テレビで見た感じでは、よくわからなかったが、どうやら本物の翼を持っているようだ。人魚のナナちゃんが言うのだから、妙に説得力がある。
ただ、小さいころから一緒に遊んだり勉強したり、生活したことがあったということは覚えているのだが、どこにいたのか? 二人がどうやって出会ったのか、等はまだ思い出せないらしい。だから僕は翼を持つ少女エルさんの存在には半信半疑だった。でも、ナナちゃんは真剣な目でエルさんのことを話し、今すぐにでも会いに行きたいと頼んできたので、僕たちはその場所まで向かうことにしたのだ。
公園まではバスに乗れば三十分程度で行ける場所なので、すぐに身支度をして出かけることに。今日は冷えるからという理由で、母さんがナナちゃんに、厚手のコートと毛糸の帽子を被せてあげた。ナナちゃんの綺麗な髪の毛は小さくまとめられて帽子の中へ収まってしまい、体のラインが分からなくなってしまう位のコートに体が覆われてしまったので、あまり僕は嬉しくない。だが実際外に出てみると今日は曇りのせいか、結構冷え込んでいた。
公園へと向かうバスの中では、ナナちゃんは友達に会える喜びと言うよりは、実際に会えるのだろうかという不安げな顔をして、窓の外の灰色によどんだ空を見ていた。僕はそんな様子のナナちゃんを見ながら、そのエルさんという子のことを考えていた。
一体どんな子なんだろう。何処に住んでいるんだろう。ナナちゃんとはどうやって知り合ったんだろう。人魚の女の子に翼の生えた女の子……今までどんな生活を送ってきたのだろう。ほかに友達とかいるのだろうか。家族は?
いろんな疑問や質問が浮かんでは、答えが出ないまま消えてゆく。記憶喪失であるナナちゃんに関することは、その昔からの友達であるエルさんに聞けば、何か分かるかもしれない。今はとにかくエルさんに会うことが先決だ。僕はエルさんの個人的なことにも興味があったが、それ以上にエルさんに会えれば記憶喪失のナナちゃんに関する情報が少しでも得られるのではと考えていた。それと、ナナちゃん自身の回復につながることへの期待、何よりも今から友達に会えるナナちゃんの喜ぶ顔が見られることが嬉しかった。
バスは道が混んでいたこともあって、予定よりも遅れて公園へと到着した。何でこんな時間帯に混雑していたのか分からなかったが、少々緊張気味のナナちゃんとバスを降りたときにその理由は分かった。
公園への入り口は多くの人で埋め尽くされていた。今朝放送された番組を見た人たちが押し寄せてきたのであろう。それと多数の放送局の人たちが取材していた。
まさかこんなに反響があったとは。多くの野次馬が騒ぎ立てている。僕たちは次々とやってくる人の群れに押しのけられた。警備員の人が人員整理を行っている。どうやら公園への入場は制限されているようだ。この様子だと今日は中に入れないのかもしれない。
ナナちゃんは寒さと不安で顔をこわばらせながら中の様子を覗こうとするが、車椅子に乗っている状態では目の前に立っている人の背中しか見ることが出来ず、懸命に体を伸ばしたり横に向けたりして覗こうとしている。
どうしよう、せっかくここまで来たのに……エルさんに会えると思ったのに……
僕は何とか奥に潜り込もうとするが、集った人たちの圧力ではじき出される。何度かそれを繰り返すが、どうやら無理なようだ。よく考えたら、必ずしもエルさんはまだこの場所にいるとは限らないのだ。こんな騒ぎになったのをどこかで見て、別の場所に行ってしまったかもしれない。そうだ、ナナちゃんは何か知らないのだろうか? エルさんがよく行くような場所とか、二人の待合場所とか、連絡方法とか……
僕はまだ諦めきれず必死に奥を覗こうとしているナナちゃんに問いかけてみた。
「あの、ナナちゃんさぁ、ちょっと今日は中には入れそうもないんだけど、その……何か連絡を取る方法とかないの? もしくは待合場所とか、集合場所みたいなのは…決めてなかったのかなぁ」
「えっ? エルさんとの連絡の取り方ですか? …確か何かあったような…そういえば、もしはぐれた時には、海岸で落ち合うはずだったような……え~っと、何でしたっけ…」
ナナちゃんは頭を抱えながら、思い出すように一つ一つ重要な言葉を口にする。
たぶん二人で何らかのことを事前に相談して決めていたのだろう。ただ、それが今のナナちゃんには思い出すことが難しかったようだ。
「海岸? ナナちゃん達は海岸で待ち合わせるの? 詳しい場所とか、時間とかは? 僕達の居場所を知らせるにはどうしたらいいのかな?」
僕はさらに詳しい内容を引き出そうとしたが、ナナちゃんは苦しそうに悩みこんだ。
「え~っと、その~夜の海岸で…確か花火を打ち上げれば、その場所に向かう…って」
ナナちゃんはその言葉を言うのが精一杯だったようで、それ以上キーワードとなる言葉は出てこなかった。
海岸で花火を打ち上げればそれを目印にやってくるというのだろうか?
僕はナナちゃんの言ったエルさんへの連絡手段をもう一度頭の中で整理した。…そのときだった。この場に集った多くの人だかりが、大きく移動し始めた。それは公園内に入れるようになったためではなく、入り口へと一台の車が人ごみを分けながら進入してきたためであった。その黒塗りの高級外車は、周りに人がいるのもお構いなしに、スピードを緩めることもなく僕達の真横を通り過ぎると、入り口ゲートの前で止まった。
何だろう、あの車は? 危ないなぁ~
僕は車によって出来た人ごみの隙間から、車を覗き込む。すると中から一人の男が降りてきた。車と一緒の真っ黒いスーツを着た男……背の高いスラッとした体格……二十代後半であろうか、非常に整った顔立ちで、髪はやや長く、肩までとどいている。鼻は高く、眉は細く、鋭い目は睨まれると直視できないほど鋭い。ハンサムな部類に入るだろうが、無表情のせいか少々冷酷さも感じる。女性に持てる要素は持ち合わせている。
僕はこの人に嫌な感じがした。一言で言えば気に食わないというのだろうか……嫉妬とは違った感情…なんていうか……何を考えているか分からない恐ろしさ、というのか……
その男は、人の群れに目を向けることなく、同じ車から降りてきた二人の黒服とサングラスを身に着けた体格のいい男と、事務所から出てきた公園の関係者らしき人物の案内で、そのまま公園の中へと入っていった。
一体なんだろうあの人は。警察の人かな? でも警察関係者が高級外車に乗ってくるのかな? よく政治家の人なんかが乗ってそうな車だったけど。それじゃあ、国の人、官僚? そんな人たちが翼の生えた人を見に、ここまで?
僕はよく分からないが、とにかくエルさんと会うためにどうしたらよいか、ナナちゃんと相談しようとして、横にいるナナちゃんへと視線を移した。そして僕は驚いた。
「ナナちゃん! どうしたの? 何があったの?」
ナナちゃんはひどく何かに怯えたような恐怖によって顔が真っ青になっていた。そして、震える体を押さえ込むように両手で体を抱き込むと、まるで天敵に出会った小動物のように体を小さく丸め込んで震えていた。
僕はナナちゃんの様子があまりにも尋常でないので気が動転してしまい、とにかくナナちゃんのことが心配になって人ごみの中から抜け出した。人がいない茂みの陰まで来ると、僕は小刻みに震えるナナちゃんの両肩に手を当て、顔を覗き込むようにして言った。
「どうしたの、ナナちゃん? 大丈夫? 何があったの?」
ナナちゃんは僕の問いかけに答えることが出来ずに、ただ目を見開いたまま震えていた。そして両手で顔を覆うようにして、ようやく一言、震える唇から言葉を漏らした。
「…あ…あの人………車か……あ……」
あの人? ナナちゃんの言うあの人というのは、さっき車から降りてきた人のことだろうか? その人のことがナナちゃんは怖い? 何か関わりのある人なのか?
「あの人がどうしたの? もうその人ならいないから大丈夫だよ」
ナナちゃんが恐れる人はもういない。僕はナナちゃんをひとまず安心させようとした。
「あ、あの人に、見つかったら、私、連れ戻されてしまいます」
ナナちゃんは自分を落ち着かせようと手を胸に当て、息を切らせながらそう言った。
「連れ戻される? それってどういうこと?」
僕はそう尋ねるが、ナナちゃんはこれ以上何も答えることはなく、大きく肩で息をしながらうつむいた。僕はこのままここにいてもエルさんに会えそうもないし、ナナちゃんのことも心配だったので、ひとまずナナちゃんを連れて帰ることにした。
帰りのバスの中でもナナちゃんはひどく怯えた様子だった。何がナナちゃんをそうまでさせたのであろうか? ナナちゃんがあの車から降りてきた黒服の男を目にして、あんなにも恐怖で引きつったナナちゃんの表情をして、僕は驚くとともに何か僕の知らないようなところで、普通ではないことが起こっているのであると感じ始めていた。
おととい、父さんが愚痴っていた話の内容が、僕の頭の中をかすめた。父さんが働く港で黒塗りの車に乗ってきた男達が漁師に向かって「最近変な魚を釣り上げたことはないか?」と尋ね回っていたというのだ。父さんは仕事の邪魔になるからと追い払おうとしたが、しつこく聞きにきて遂には「人魚みたいな魚を見なかったか?」と聞いてきたので「ふざけるんじゃねぇ」と言って追い払ったというのだ。そのときは大して気にしてなかったが、今僕の心の中にはその話が不安というどす黒い渦となって広がろうとしていた。
そういえば昔おじいちゃんに、人間が人魚の肉を食べれば不老不死になれるということから、多くの人たちが人魚を捜し求めた、という話を聞いたことがある。ということは、あの男はそのために人魚であるナナちゃんを探しているのだろうか? しかもナナちゃんはあの連中に連れ戻されるといっていた。連れ戻される? ということは、前まであいつらの所にいたということ?
でも、あの男は公園にいたエルさんが目的であそこまで来たのでは? それとも、エルさんを手がかりにしてナナちゃんを見つけ出そうとした? ではなおさらエルさんをあいつらよりも早く見つけ出し、ナナちゃんと一緒に安全な場所に連れて行かなくては。または、あの連中は人魚や翼の生えた人などの、未確認生物を捕まえる人かもしれない。それにあの男、高そうな車に乗って立ち入り禁止となった公園の中へと入っていけたところを見ると、結構な有力者なのかもしれない。ナナちゃんはあれから何も言ってくれないが、あの男とナナちゃんとの関わりとは一体何なんだろう?
僕の考えていることは、あくまでも推測でしかなかった。しかしナナちゃんたちが狙われていることは確かで、今ナナちゃんを守って上げられるのは僕しかいないのだ。
そう考え込んでいた僕に、横にいるナナちゃんがポツリと悲しそうに呟いた。
「…エルさんに……会いたかったな……」
そうか、いろいろあって結局エルさんに会えなかったもんな。
「そういえば、エルさんに会う方法があるとか……花火がどうとか…」
「はい、夜になったら海岸で花火を打ち上げればそこに来ると…」
「よし、じゃあ今日の夜にでもやってみようか」
「本当ですか?」
ナナちゃんの悲しげな顔がぱっと明るくなる。
僕はナナちゃんのためにも何かしたかったし、何よりも僕もエルさんに会いたかった。ただ一つ、あの男たちのことが気に掛かってはいたが……