第11話
結局あの後、それらの品物は店に返しに行った。と、いうより、申し訳ないので買わせていただくことに。元々それが目的であったわけだし、色々あったがこれで当初の目的は達成されたわけである。
ちなみに僕にはもうあの店に戻る勇気がなかったので、ナナちゃん一人に買いに行ってもらった。元はといえばナナちゃんの言動に問題があったわけで、その責任をしっかりと取ってもらった形となった。まぁ、それは僕の不甲斐なさの言い訳でしかないのだが。
そして僕は遠くの物陰からナナちゃんが店に戻る様子をうかがっていたのだった。きっと店員は怒っているに違いないと思っていたが、全然そんな様子はなくて、むしろナナちゃんが戻ってきたのを見て大笑いしていた。
そりゃあそうだろう。僕がパンツ被ってもの凄いスピードで逃げていく様子を見れば。
ナナちゃんはレジでその店員と何やら会話をした後、僕のところへ戻ってきた。どうやら僕たちへのお咎めはないようだ。僕はナナちゃんに店員はどんなこと言っていたのかを尋ねると「あの変わった彼氏さんによろしく」とのことだった。
いろいろなところで誤解が生じているようだが、とにかく事態が無事に収拾したことに僕は胸を撫で下ろした。
この時点で僕は既に疲労感で一杯になった。ナナちゃんとの買い物は楽しいのではあるが、様々な困難と緊張の連続で心の安らぐ時間がなかった。
そこで僕はナナちゃんと一緒にゆっくり出来て、なおかつ楽しめることを考えていた。そしてその結果、映画を見る、という結論に達した。
映画はやっぱり定番でしょう。それに今までのナナちゃんの様子からすると、どんな些細な物でも珍しい新鮮な物として見えるようだ。それだったら、きっと映画館のあの巨大スクリーンに映し出される、迫力ある洋画なんて見たらきっと驚くに違いない。
と、いうわけで僕たちはこのビルの五階にある映画館の前まで来ていた。
何の下調べも無しに来たので、どんな映画がどの時間帯にやっているかさっぱり分からない。ちなみに僕はあまり映画を見ない人間なので、今上映されている映画については全然知識を持ち合わせていない。映画の題名とポスターを頼りに、どれを鑑賞するのか決めなくてはならない。
…………分かんないよな~ こうゆうのは…… やっぱナナちゃんと一緒に見るんだから、ラブストーリー? それともド派手なアクション物? ん……よし、今からすぐ入って見られるのにしよう。……なんていい加減なんだ……
僕は上映の時間表を見る。今からだと十五分後に始まるのがある。これ、さっきポスターを見たら、若い男女が抱き合って泣いている絵だった。ってことは悲しい恋愛物なのだろうか?
ナナちゃんは映画が見られることで嬉しそうにしている。もしかしたら内容は関係なく、ただ映画館には入れることだけで楽しいのかもしれない。
もう後戻りできそうもないので、僕は受付でチケットを買うことに………え~っと、僕たちの場合、学生二枚でいいのかな? でもナナちゃんは? じゃあ今回は大人二枚と言うことで………
僕は受付の窓口から声を掛けた。
「あの~ これのチケットの、え~っと、大人二枚お願いします」
「大人二枚ですね。では……」
受付のお姉さんは、そう言いかけて止めた。そして僕の後ろにいたナナちゃんの方をしばらく見た後、僕の方に視線を戻して低い声で呟くように言った。
「申し訳ありませんが……当館へは現在設備の関係上、介助の方が二人以上いらっしゃらないと、入館は難しいかと……」
………えっ? 入れないの? ナナちゃんは車椅子に乗っているから映画を見れないの? 何で? 設備の関係上? そうなぁ………
「あっ、そうですか……分かりました……」
僕は後ろを振り返る。そこには嬉しそうに待っているナナちゃんがいた。僕は出来るだけ笑顔でいるナナちゃんの顔を合わさないようにして後ろに回りハンドルを握る。
「あの、ナナちゃん、ちょっとゴメン」
そう言うと僕はナナちゃんを連れてその場を離れた。
行き先はまだ決まっていない。とにかく映画館から離れるようにして、その辺を回っていた。そして歩きながらナナちゃんに言った。
「さっきの映画館ね、満員で入れないんだって。ゴメンね、ナナちゃん」
「そうなんですか。それは、残念です」
後ろからではナナちゃんの表情は分からないが、肩が少し本当に残念そうに下がったのが見えた。
それを見て僕は、何だか胸が痛んだ。今すごく胸が苦しい。
僕が悪いことしたわけではないのだが、それが何故か自分のことのように悲しく、辛く、情けなく、思えてきた。まるで僕がダメ人間みたいな、そんな感じ。
……そんなもんなのかな、この社会って。しきりにバリアフリーだのユニバーサルデザインだの、世間では唱えているが、結局これが現実なのだろうか?
ホントはナナちゃんにもっと僕たちの生活を見てもらって、楽しんでもらいたかったのに。僕たちの暮らす社会や地域や国や世界を見てもらいたかったのに……… もしかしたらナナちゃんには、これが僕たちの住む世界の規準だと思われてしまったのかな? いやだな、そんなの。ホントはもっと素晴らしい物だっていっぱいあるのに………
僕はすっかり気落ちして、トボトボと項垂れながらこの辺りを彷徨っていた。
「あっ……」
僕はナナちゃんの声でその場に止まった。
「どうしたの? ナナちゃん」
僕は顔を上げる。ナナちゃんは顔を右前方に向けて、何かを見つめている。僕はその視線の先を辿ってみると…………本屋さんだった。結構大きな書店で、奥の方まで本が並んでいて、カテゴリーごとに様々な本やら雑誌が敷き詰められている。
「ナナちゃんって本読むの? どんな本?」
「え~っと、少しですけど、読みます。その~小説とか」
読むんだ、ナナちゃん。しかも小説だって。僕なんか読むと言っても漫画ばっかりなのに。やっぱりすごいな~ナナちゃんて。僕は小説を読む人を尊敬しちゃう。……でも、ナナちゃんは海にいてどうやって本読んでるんだろう?
僕はそんな疑問を抱いたが、あまりにもナナちゃんが本を興味深そうに眺めていたので、この暗く沈んだ雰囲気を打破するためにも、書店に寄ってみることにした。
「じゃあ、ちょっと中見て行こうか」
「え、いいんですか?」
「全然かまわないよ」
僕は笑って答えて、ナナちゃんと書店の中へ入っていった。
ナナちゃんは小説を読むというのだから、小説のコーナーにでも行こうかな。……えーっと、小説……小説は……
「あ、あの、真一さん、あそこ見てきてもいいですか?」
「え、何、どこ?」
僕はナナちゃんが指さした方に視線を移す。
そこは児童書と絵本のコーナーであった。何だろう、何を探してるんだろう? 僕はそこまでナナちゃんを連れて行くと、ナナちゃんは楽しそうに棚に入った絵本を手にした。
ナナちゃんは絵本にも興味があるんだ。何か可愛らしいなぁ~ 思わず僕はそんなナナちゃんの様子を見て微笑んでしまう。
「あ、これ、このお話、私、好きなんです」
そう言うとナナちゃんは一冊の絵本を取り出した。
どれどれ、ナナちゃんのお気に入りの絵本は…っと……人魚姫………世界名作物語《人魚姫》………タイトルにはそう書かれてあり、表紙にも人魚の絵が描かれている。
これは、ちょっと笑えない……いくらなんでも、これはちょっと………ナナちゃんの足を考えても…ねぇ……しかも話の内容は、自慢の声を失って、好きな人に振られて、最後泡となって消えてゆく………確かに、この話は僕も好きだったよ、うん。でも……
さっきまで微笑んでいた僕の顔は、愛想笑いに変わっていく……
ナナちゃんは、絵本を一ページずつめくっては、悲しそうに見ている。というより実際に「可哀想~うぅ~」とか呻いている。
僕はあまりにもいたたまれないので、別の本をナナちゃんの為に探すことにした。以外にもその代用品は簡単にちょっと行ったところで見つかった。
《ディズニーのリトルマーメイド》
これなら悲しくない。ハッピーエンドだ。ちゃんと人魚だし、可愛いし、アメリカンドリームだし、よし、これ、決定。
「あ、あの、ナナちゃん? これなんかどうかな?」
僕は今さっき探してきた、結構な厚さになる絵本をナナちゃんに見せる。
「これは、もしかして………」
ナナちゃんは今まで手にしていた絵本を元の場所に戻すと、手を震わせながら僕の手から絵本を受け取る。そして表紙をしばらく眺めた後、絵本を胸のところでギューと両手で抱きしめて言った。
「わ、私、このお話も、大好きなんです!」
ナナちゃんは今日見た中で一番の笑顔を見せてくれた。そんなにこのお話がお気に入りなんですか? それは良かった。探してきた甲斐があった。何よりもこんな笑顔のナナちゃんを拝めた僕が良かった!
「あの、よかったら、買ってもいいんだよ」
「え! 本当ですか!」
「うん、いいよ、買ってあげる」
正直僕はこんなにナナちゃんが喜ぶとは思わなかった。まぁ、こんな物でナナちゃんが喜んでもらえるのなら安いもんだよ。
僕はナナちゃんから絵本を貸してもらうと、ひっくり返して金額を確かめる。
……二千五百円……高っ! 微妙に高いぞ、これ…… コミック何冊変えるんだ……いや、そんな無粋な考えはよそう。ここは一つナナちゃんのために、僕からのプレゼントと言うことで……そう考えると、何だか安っぽいプレゼントだよなぁ~
とにかく僕はナナちゃんと一緒にレジへ向かう。
………ところが、混んでる。混んでいるというか、立ち読みをしている人間が邪魔で車椅子が通れない。ただでさえ狭い通路で、平積みされた本が引っかかって落ちてしまいそうなのに。邪魔だな~ホントに。買わないんだったら出ていってもらいたい。
そう言いながら僕も良く近所の本屋で立ち読みをしているよな。人のこと言えないよな~ 僕もダメな人間なんだな。
僕には立ち読みをしている人に注意をする勇気もなく、ナナちゃんには先に表で待ってもらうことに。そして一人でレジに向かって精算をする。
「本当にダメな人間だな、僕たちって」
店員が本を紙袋に入れている間、僕は誰に聞かれることもなく、小さな声で呟いた。