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洗濯機恐怖症

作者: 遠山千佳

 こわい。こわい。

 頭の中で私が怯えた声を漏らす。現実の私は眉ひとつ動かさずに洗濯槽の底を見つめている。小脇に抱えた洗濯物から靴下がぽろりと落ちたことにも気付かずに、じっと。

 何が起こったかわからなかった。ただいつものように洗濯を始めようと洗濯機の前に立ち、空の洗濯槽を覗いて動けなくなった。固まった私は無機質な円筒の底を見つめているのではなく、見つめさせられているのだ。

 どうしてそうなったのか、直前に考えていたことを思い返す。まとめた衣類を放り込もうとする私は昼食のことを考えていた。ただ自分の腹を満たすためだけに献立を考えようとして、夕食と、明日の食事と、明後日から会社に持っていく弁当と来週の食事と。そうして寿命が尽きるまで永遠に献立を考え続けなければならないのかと思うと目眩がしそうだった。

 洗濯槽を覗いたのはそんな時。銀に輝くこの円筒がぐるりと回ることを意識して、安直にも永遠と結びつけてしまった。そこまでは良いにしても、視線を逸らせないほどの恐怖に駆られることは度し難い。恐怖の対象はそもそも献立の方だったのだから、洗濯機からしてみればとばっちりもいいところだ。

 そんな風に冷静な分析をしても相変わらず視線は動かせず、目を閉じていることもできず、手元からずるずると落ちていく寝巻きを引き止めることもできない。客観的に自分の姿を想像したらおかしくて笑ってしまいそうなのに、胸はざわめき助けを求めている。

 奇妙な体験だ。できれば死ぬまで経験したくはなかった。これがいわゆる恐怖症というものなら、私はこの先ずっと怖い思いをしながら洗濯をしなければならないのだろうか。そのループを思うとさらに症状が悪化しそうで、無理やり意識を逸らそうとする。けれども逸らした先に恐怖が伝播しそうなのが恐ろしくて、とうとう逃げ場がなくなった。

 動悸が激しい。息が苦しい。このまま倒れてしまったらと不安が渦を巻いた、その時。

「こんにちは」

 どこからともなく声をかけられ、はっと顔を上げた。見れば向かいのベランダに立つおばさんがこちらを見て、日向のようなあたたかさで微笑んでいる。

「いい天気ですね」

 人あたりの良さがわかる柔らかな声に、いまできうる限りの笑顔をつくって頷き返した。

 土曜の昼下がりに現れた救世主は自分の洗濯に戻る。ようやく呼吸のしかたを思い出した私は、しばらく呆然と雲の流れを眺めていた。

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