ミケル・スキビュー
あの日のことを、ボクは一生忘れない――。
「おいコラ、お前のせいで廊下が汚れただろ」
「防具もまともに運べないなんて、ホントにグズだよな」
「むしろミケルにできることなんてあるのかよ」
それもそうだな! と笑う目の前の三人は、全員ボクの先輩。
「早く綺麗にしろよ」
「お前の仕事だろ」
「返事は?」
上下関係の厳しい騎士団において、先輩の言うことは絶対。
それに、ボクの要領が悪いのも本当だから。
「はい。すみません」
素直に頷いて、言われた通り防具から落ちてしまった乾いた泥を、常備している布で包むようにふき取る。
何度こうやってこの布を使ってきたのか分からないくらい、土で汚れてしまっているからか。もともと白に近かったはずの色は、今ではしっかり土の色に近くなってる。
「通る前よりも綺麗にしろよ?」
「埃一つ残すなよー」
「見習いが防具持たせてもらえるだけでもありがたいんだからな」
そう言いながらボクを取り囲むように立つ先輩たち。
綺麗にするためにしゃがんでると、普段以上に大きく見えて。
同時に、壁のようだと思った。
「へぇ? 騎士団って、そういう教育方針なんだ?」
その壁の向こう側から、突如聞こえてきた声に。ボクだけじゃなく、先輩たちも驚いて。
だって、本当に何の予想もしていなかったから。
まさかこの国の第三王子殿下が、話しかけてくださるなんて。
「第三、王子殿下……?」
「どうして、こんなところに……」
長い前髪のせいで、そのご尊顔を拝むことはできないけれど。それでも見間違えるはずがない。
このお方は、間違いなくこの国の第三王子殿下。
あまりの大物の登場に緊張しっぱなしのボクとは違って、目の前に立つ先輩たちの顔はどこか怪訝そう。
(というより、迷惑そう?)
明らかに顔をしかめてるけど、これって不敬にあたらないのかな?
「おかしなことを言うね? 城の中で生活してるのが王子なのに。ねぇ?」
殿下が隣に立つ侍従に同意を求めれば、深く頷く。その表情は、本当に当然と言いたげで。
むしろ殿下がおっしゃる通り、当然のはずなんだ。だってここが、殿下の家なんだから。
「それよりも驚いたよ。まさか騎士団では、防具も自分で持たないなんて」
殿下のそのお言葉に、先輩たちは一瞬肩を揺らしたけど。
でもすぐに表情を取り繕って、平然と言い放ったんだ。
「そうですね。殿下はご存じないかもしれませんが、防具や武器の持ち運びや管理は下の者の仕事なのですよ」
「私たちも入団したばかりの頃は、剣もまともに握らせてもらえませんでしたから」
「騎士団では当然のことです」
それは半分本当で、半分嘘。正確には、どの家の出身なのかで扱いが決まる。
ボクみたいな下位貴族の出身だと、確かにまともに剣も握らせてもらえないし、防具や武器の管理も仕事になる。
(でも……)
上位貴族や才能のある貴族なら最初から剣を握れるし、管理しなくちゃいけないのは個人の所有している防具や武器だけ。
しかもそれだって本人じゃなくて、それ専門の人物に任せている人だっているくらい。
(格差が、あり過ぎるんだよね)
悔しいと思わないわけじゃない。
けど同時に、仕方がないことだって諦めてる。
だって同じ下位貴族の先輩の中には、どんなに才能があっても出世できない人がいることも知ってるから。
「そうか、当然なのか」
「えぇ、そうです」
だから殿下も、先輩たちの言葉に納得して――――。
「じゃあ城内の清掃に対して口を出すのも、騎士団の教育方針なのかな?」
殿下が僅かに首を傾げたからか、その長い前髪から少しだけ見えた王族特有のブルーグレーの瞳は。
(納得して、ないんだ)
どこか冷たくて、突き放すような色を宿していたから。
「な!?」
「私たちが、いつ口を出したと言うのですか!?」
ほんの一瞬だったからか、もしくはボクの位置からしか見えなかったからか。先輩たちは、まだ強気だけど。
そもそも相手が誰なのかを、どうして何も考えていないんだろう。
「通る前よりも綺麗にして、埃一つ残すな、なんて。城内の清掃に不満があるから出てくる言葉だよ?」
「そ、れはっ……!」
「あぁ、大丈夫。ちゃんと騎士団に詳細は聞きに行くから。直接、ね」
「っ!!」
その瞬間、ボクの腕の中から全ての防具が抜き取られて。
「その必要はありません!」
「失礼します!」
「ッチ」
足早に去っていった先輩たちだけど。
(最後、舌打ちしてなかった?)
大丈夫? 目の前におわすのは、この国の第三王子殿下だよ?
というよりも、この状況……。
(ボク、取り残された?)
先輩たちが思いっきり失態を見せたこの場に? 一人だけ?
「殿下、いかがなさいますか?」
「騎士団に報告。あとは……」
隠れて見えないはずの目が、ボクに向いた。
その瞬間平伏したボクの行動は、間違ってなかったと思ったのに――。
「さっ、先ほどまでのご無礼っ……、どうかっ」
「あ、うん。君に謝ってもらう理由はないから、顔をあげて?」
実際には、大いに間違ってた。
だってあまりにも声が近いことが気になって、言われた通りに顔をあげたら。
なぜか、第三王子殿下が。
ボクの目の前で。
膝をつこうとしていたんだから。
「でっ、殿下っ……! いけません! お召し物が汚れてしまわれますっ……!」
急いで膝の着地点に手を差し出したボクに、殿下は動きを止めてくれて。
でも代わりに。
なぜか、笑いだした。
「……あははっ! 君、面白いね!」
その、瞬間。
感じたことのないほど強い、魔力の波に呑まれたような感覚に。思わず、鳥肌が立つ。
でもそれは決して不快なものではなく、むしろどこか心地いいような高揚する感覚で――。
「あぁ、ごめんね」
けれど殿下が笑いを引っ込めた瞬間、その感覚も同時に消えてしまう。
(でも、きっと)
今のは殿下の魔力だったんだろう。
初めて触れた、貴きお方の魔力。
あまりの心地よさに、酔ってしまいそうだった。
「ねぇ君、名前は?」
「ミっ、ミケル・スキビューと申しますっ……!」
「そっかぁ」
確かにこれは、自分の剣を捧げたくなる先輩方の気持ちもよく分かる。
そう、だから。
「ねぇミケル。君、ボクの親衛隊に入らない?」
殿下直々のお誘いに、答えなんて一つしかなくて。
「ぜひ! お願いいたします!」
この日、ボクは騎士団の下っ端から、いきなりホーエスト殿下の親衛隊に仲間入りしたんだ。
あとから殿下に直接聞いた話だと、醜いと言われているのを知ってるはずなのに、ボクが他の王家の方々に対するのと変わらない接し方をしたのがよかったんだって。
同時に、殿下の魔力を受けて倒れなかったところも。
でも、殿下。
「あれを体験してしまったら、もう戻れないです」
馬鹿にされるかと思ったけど、ボクがそう口にした瞬間その場にいた親衛隊の全員が、深く頷いてた。
だって隊長も副隊長もいたんだから、満場一致ってことでしょう?
身分なんて関係なく、ホーエスト殿下に気に入られた人間だけが入隊できる親衛隊。
今では国一番の魔力量を容易に操る、お美しいお方になってしまわれたけれど。
ここにいる人間は全員、殿下の見た目じゃなく魔力に魅せられたんだ。
「この中で一番魔力が強いミケルがそうなら、他はもっとだろう」
「お前髪の色うっすいもんなぁ!」
副隊長の言葉を受けて、隊長が僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でくり回す。
そう。実はボクが騎士団で疎まれていたのは、この薄い髪色のせいだったことが後に判明して。
どうやら先輩たちは、下級貴族のボクの魔力量が明らかに多いことを妬んでいたらしい。
そんなこと言われても、ボクにはどうしようもない。
むしろ下級貴族に恋をした、上流階級出身の母上に言ってほしい。
なんて、今はもうどうでもいいことだけど。
「ホーエスト殿下が最初に声をかけたのが、剣にも魔法にも才能がある人物だったなんてな」
「殿下の人を見る目は、本当に素晴らしいですね」
認めてくださった殿下や、隊長や副隊長の期待に応えるためにも。
ボクはここで一生懸命、ホーエスト殿下のために強くなってみせるって決めたからね!
あ、でも……。
「ミケルさん!」
「ミケルさん、ちょうどよかった!」
「ミケルさん! 教えて欲しいことがあるんです!」
ボクが役職ナシの隊員の中で一番偉いって、なんか違和感。
ただの古株なだけだからって言うと、全力で否定されるし。
最近はちょっとだけ、どう振舞うべきか悩み中です。
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