ささやかな祈り
大多数にとって、異例の組み合わせだったからでしょうか。一瞬、ホール内がざわつきましたけれど。
意外なことに、セルシィーガ公爵令嬢は一曲踊り切っても、倒れられることはありませんでした。
ただ、その……。
『ねぇ、リィス』
『はい』
『ちょっとの間だけ、嫌な思いをさせちゃうかもしれないけど……。待っててくれる?』
宣言通り、二曲目から私と踊ってくださったホーエスト様のダンス中の言葉に、どこかイヤな予感を覚えてしまったのは……。
きっと、気のせいではなかったと思うのです。
『ホーエスト様……?』
『大丈夫。僕にとっての一番も唯一も、昔からずっと変わらずにリィスだけだから』
本来であれば安心できるはずのそのお言葉に、なおさら不安を煽られてしまうのは。
(こういった時のホーエスト様は容赦がないことを、私はよく存じておりますからね)
そして同時に、お止めすることができないのだということも。
だからこそ私は、笑顔でこうお伝えするしかないのです。
『信じてお待ちしております』
『ありがとう、リィス』
先ほどセルシィーガ公爵令嬢に向けられていたのとはまったく違う、柔らかな笑みを浮かべられたホーエスト様を見て、少しだけご機嫌が戻られたことに安堵した私は。ただただ、祈っておりました。
可能な限り、大事になりませんように、と。
◇ ◆ ◇
(私のそんなささやかな祈りが届いたことなど、一度もありませんでしたけれどね)
予想通りと言うべきか。あれからたった数日で、すでに色々な意味で雲行きが怪しくなっておりました。
というのも、私以外にホーエスト様に触れることができる令嬢が現れたと、それはそれは大変な騒ぎになりまして。
結果、当分の間ホーエスト様との午後のお茶の時間は、セルシィーガ公爵令嬢が共にすることと決定いたしました。
当然あの日から今日の夜会までの間、私がホーエスト様とご一緒させていただいた日は一度たりともありません。
今回のお相手の部分的変更については、大勢の貴族からの後押しがあったとのことですが。皆様、もうお忘れなのでしょうか。
一番最初にお倒れになったのも、セルシィーガ公爵令嬢だったことを。
(あれから何度か、ホーエスト様からのお手紙もいただきましたけれど……)
正直、不安でしかありません。
私に与えられている、ホーエスト様の婚約者という立場の喪失などというお話ではなく。
単純に、セルシィーガ公爵令嬢がいつかお倒れになってしまわれるのではないか、ということが。
あの時のホーエスト様は、明らかに何かを企んでおいででした。その具体的な内容を、誰に見られるとも分からないお手紙になど書いてくださるわけもなく。
ただ毎回必ず、不安にさせてたらごめんね。でも僕の婚約者はリィスだけだから。と文末に、昔から変わらない柔らかな文字で書いてくださっているのですが。
私は今もなお、どうするおつもりなのかを知らないままなのです。
(冬の間の王宮通いの中止の連絡も、特にいただいてはおりませんし)
何より今日私が着ているこのドレスは、ホーエスト様からの贈り物。
前回のドレスもそうでしたけれど、これで今シーズン中にホーエスト様から頂いたドレスは、もう三着目です。
淡いピンクのレース生地に花の刺繍をあしらった上半身の部分は、控えめな色合いなのに華やかさも兼ね備えていて。腰部分を覆うようにスカート部分にまで飛び出している刺繍は、明らかに新しいスタイルでした。
(お抱えのデザイナーの新作、といったところでしょうか)
大きな姿見の前でクルリと回ってみると、濃いグリーンのレースのスカートの裾がふわりと舞って。
スカート部分にはあえて何も刺繍を入れないことによって、色だけを強調させて。それによって、上半身の趣向をさらに引き立たせているようでした。
上下で色を変えるというのも新しい試みで、これを私が最初に着てしまってよいものかと、頂いた時には少々悩んだものでしたが。
ホーエスト様から頂いたドレスを着ないという選択肢は、私の中には存在しておりませんでした。
(私の髪色を考慮した上で、流行の濃い色を取り入れてくださったのかもしれませんね)
前回の濃いグリーンのドレスは、あの場に出ていくための覚悟の色でもありましたから。
けれど、今回は違います。
今シーズン、王家主催の夜会は残り二回。
その一回が、今夜なのです。
そして私にとって新しいドレスを着用できるのは、今シーズンでは今夜が最後になります。
何せ私、個人の夜会にご招待いただいたことがありませんからね。
毎年シーズン最後の夜会は、王家主催の夜会となるよう調整されておりますが。その場では今シーズン中、最も気に入った装いでの参加とされておりますから。
他国ではそのようなことはないそうなのですが、フゥバ王国では建国時代から続く慣わしなのです。
「お嬢様、お時間です」
ホーエスト様のパートナーの証であるブルーグレーの宝石を使用した、美しく光り輝く花の髪飾りを確認していた私の耳に。部屋の外からノックの音と、出発を告げる侍女の声が聞こえてきました。
側に控えていた着替えを手伝ってくれた侍女の一人が、こちらに目配せをします。
「参りましょう」
彼女の視線に、笑顔でそう応えれば。無言の一礼の後に扉に近づき、そっと開いてくれました。
家族に比べれば、会話を交わす頻度は決して高くはありませんが。それでも長年仕えてくれている彼女たちは、私のことをよく理解してくれていますし、しっかりと意思も汲み取ってくれます。
何よりホーエスト様が成人王族となられて以降、会場へと入る際のエスコートが皆無になってしまいましたから。
以前はお直しが必要になる可能性などを考慮して、この中の誰か一人が王宮まで同じ馬車に乗っていたのですが。現在彼女たちの役割は、ここまでになっております。少し寂しいですね。
そしてお相手がいなくなってしまった私は、お兄様にエスコートしていただいているのです。
つまり。
「行こうか、リィス」
「はい、お兄様」
玄関ホールで私を待っていてくださったお兄様の手を取り、一緒に馬車へと乗り込み。会場である王宮へ二人で向かうというのが、ここ最近の我が家においての夜会当日の出発の流れになりました。
(それにしても……)
我が家に嫁いできてくださるようなお兄様のお相手は、一体いつになったら現れるのでしょうか。
まだ成人して一年とはいえ、お兄様に婚約のお話が持ち上がったことは、今のところありませんし。
フラッザ宮中伯家の特性上、嫡男の婚期が遅くなるのは毎度のことらしいのですが。
可能であれば、お父様と同じ二十四歳までにはお相手が見つかっていて欲しいと、願わずにはいられないのです。
~ご報告~
完結作品『王弟殿下のお茶くみ係』が、Renta!様の「2023年ノベル上半期ベスト」絵ノベル部門で6位にランクインしておりました!ありがとうございます!!(>ω<*)
ちなみに。
作品の取り下げなどはしておりませんので、気になった方は作者マイページからぜひ!




