触れられない存在
出番の合図とともに開く扉に、一斉に向けられる視線と戸惑いの声。
それら全てを無視して、ホーエスト様がそっと差し出してくださった手に私の手を重ねます。
(会場内の皆様への説明は、後回しです)
まずは何よりも先に、すべてを明らかにして終わらせなければいけませんからね。
本当に欠席なさっている、スミーヤ・セルシィーガ公爵令嬢のためにも。
「驚くばかりで、喜んではくださらないのですね」
「あ、いえっ……その……。本日は、いらっしゃらないと聞いていたので……」
「あなたの計画では、そのつもりだったのでしょう?」
「な、何を……」
「今さらとぼけても無駄ですよ。あの日の私の予定を知っていた怪しい人物は、あなただけですから」
そう。確かにあの日、私はお伝えしましたからね。お茶会は三日後の予定です、と。
「そ、そんなこと言われてもっ……ただの偶然ですっ……!」
「そうですね。偶然誰も知らない香水の香りを、あなたはあの日纏っていましたね。犯人と同じ香りを」
「っ!!」
ハッとしたようにこちらを見てしまっては、認めたも同然ですよ。
研究一筋であったことは、嘘ではないのでしょう。だからこそ、表情を隠すという基本的なことができていない。
(社交界でこれでは、すぐに別の令嬢に落とされるか利用されてしまうだけですから)
確かに出席しないという選択が、最も安全だったのかもしれません。
それなのに出てきてしまったのは、きっと……。
「犯人の所持していた香水の香りには、一種の催眠効果があったと報告が上がっているんだよ。君はそれを利用して、リィスの乗った馬車を襲わせたね?」
隣で、まるで守るように私の腰を抱いてくださっているホーエスト様。
とても素敵な男性ですけれど、そう思っているのは今はもう私だけではないのです。成人を迎えらえたあの日、ホーエスト様のお姿が大きく変わってしまわれた時から。
そしてそれは、ブロムスツ伯爵令嬢も同じだったのでしょうね。
手に入れたいと、本気で思ってしまうほどに。
「……証拠が、ないです」
「誰も知らないはずの……犯人と同じ、存在すら知られていない香りを纏っていたのに?」
「そ、れは……」
存在していないはずの香水は、ブロムスツ伯爵邸を探ればすぐに出てくることでしょう。だからこそ、知らないとは言えないはずです。
たとえ私の勘違いだと言い出されたとしても、物的証拠が出てきてしまえば言い逃れはできません。
正直に話すか、それともまだ嘘を貫き通すのか。
さて、どちらでしょうね。
「わ、私っ……脅されてたんですっ……!」
「へぇ?」
(なるほど、そうきましたか)
確かにそれならば、どちらが真実なのか判別するのが難しくなります。
特に彼女はこの間まで、夜会にもお茶会にも出席していませんでしたからね。本来どんな人物で本当は何があったのかなど、詳しく知る存在がいないという事実も大きいでしょう。
ただ、ホーエスト様は大変冷たい目をされておられますけれど。
(今のホーエスト様は、我が家の人間以外誰も触れられない存在になってしまっておりますね)
ご本人は抑えていらっしゃるおつもりなのでしょうが、漏れ出る魔力の影響で足元が冷たくなってきていますもの。
魔力が感情に引っ張られて、冷気になってしまわれたのだと思いますが。
(これは……相当お怒りのご様子ですね)
けれどそのことに気が付かないブロムスツ伯爵令嬢は、なおもホーエスト様に縋るように訴えかけます。
「だから私、罠ですって言ったんです! 行かないで欲しくて!」
「なるほど」
その一言に安心したように表情が緩みましたが、違いますよ。
ホーエスト様は先ほどからずっと笑顔ですが、これはそういった類のものではなく。
むしろ……。
「それで、何を理由に脅されていたのかな? 一家で見た目を偽り続けたことかな?」
相手を追い詰める際の、恐ろしい表情なのです。
「そんな! 偽ってなんかいません!」
「じゃあどうしてそんなに見た目が変化したのか、教えてくれる?」
「分かりません! 十八歳の誕生日を迎えたら突然こうなってたんです! きっとホーエスト殿下と同じです!」
「へぇ?」
あ、これダメな展開。
などと頭を過ったのは一瞬で、ホーエスト様の行動が読み切れなかった私は、みすみす許してしまったのです。
「この髪色が、瞳の色が、まったくの別物になってしまうのが、ねぇ?」
ブロムスツ伯爵令嬢の髪を一筋掴んだその手は、決して乱暴ではなかったのですが。
まるで品定めをするかのような触れ方と視線に、嫌な予感がするのは……気のせい、で、あってほしいと願うのは……。
(無駄、でしょうか?)
「知らなかったようだから教えてあげるけど。成長による色の濃淡の変化はあっても、完全に違う色味になることはあり得ないよ」
「え……?」
そうなのです。魔力量の変化で、瞳の色がアンバーからブルーに変わるなどということはありません。
とはいえ、昔は当然のこととして認識されていたようですが。
今では任務以外で意図的に色を隠すのは犯罪者のみだとされ、逆にその事実を意図的に隠して炙り出しに利用しているのだと、数年前の冬に私は教わりましたから。
つまり、色を偽っていた時点で大問題なのです。
「どちらにしても、国を欺いていたことに変わりはないからね。理由があっての行為なら、王家への連絡は必須。それがなかったということは、犯罪に他ならない」
「そんなっ……!」
「あぁ、それと」
突きつけられた現実に打ちひしがれているところに、さらに追い打ちをかけるようにホーエスト様は言い放つのです。
「王家の人間に対して違法薬物を使用しておきながら、無事で済むと思わないでね」
とてもいい笑顔で、掴んでいたオリーブグリーンの髪へとご自身の魔力を流しながら。
「ホーエスト様っ……!」
嫌な予感が的中してしまいました。
当然、私はお止めしましたよ?
ただあまりの速さに間に合わず、ブロムスツ伯爵令嬢はすでに白目を剥いて気を失ってしまった後でしたけれど。




