大切な女の子 sideホーエスト
「……誰も、触るな」
「はい」
「リィスに触れていいのは、僕だけだ」
「心得ております」
その言葉通り、誰も触れないようにと言い含めてあったんだろう。だから治療にあたる二人ですら、決してリィスに触ろうとはしていない。
でも治癒魔法は、患部に触れたほうが治りが早い。
だから。
「リィス……」
下級魔術師に突き飛ばされた時のまま、不自然な形で頭だけを壁にもたれかけているようなリィスに触れる。
手首の縄はすでに切られていて、傷ついて血が滲んでいたであろう部分もほとんど治りかけてて。足を繋いでいた鎖も、とっくに外されてた。
手形がついてた首も、叩かれたのか赤くなってた頬も、今はいつもと同じように白く綺麗で。
けど。
「っ……!!」
そっと動かした頭に添えた手が、僅かに濡れて。灰色の壁には、明らかに血の跡があった。
一瞬怒りに理性が飛びそうになったのを、ゆっくりと深呼吸することで抑え込んで。今はリィスを侍医に診せることだけ考える。
そもそも外部の傷はもう彼らがほぼ治してるんだから、それ以外に異常がないかを調べるのが大事なんだ。価値のない男に時間を取られて、リィスの治療が遅れたら意味がない。
「……僕はこのまま戻る」
「でしたらピーターとミケルをお連れください」
「ついてこられるのなら、好きにすればいいよ」
僕の言葉に隊長のラースが頷くのと、すでに下級魔術師を他の隊員に引き渡した二人が出口で待機するのは同時だった。
隊長のラースはこの場の指揮を取るために残らないといけないから、副隊長と隊員一人をつけるってことなんだろうね。
正直今の僕にとっては誰だろうと、どうだっていいけど。
「戻るよ」
「は!」
「はいっ!」
声をかければ、二人ともしっかりと返事をして僕の後ろにつく。
副隊長のピーターは騎士の一族の生まれだから分かるとしても、一番最初に僕が声をかけたとはいえ臆病なミケルがここまで成長するとは思ってなかったから、ちょっと意外だった。
実際僕の速さに普通についてこられるということは、魔力の使い方が上手いってことだから。一切息切れも魔力切れも起こさずに最後までついてきたことは、後で褒めてあげてもいいかもしれない。
今はリィスのことで頭がいっぱいだから、そんな余裕ないけど。
実際、リィスはすぐには目を覚まさなかった。
侍医が言うには頭を強く打ったせいで、外部からは分からない症状が出ることもあるんだとか。
念のため内部の臓器や血管や神経に異常がないかはしっかり調べてもらったけど、今のところ損傷とかはなかったらしい。
ただ今回は精神的な疲労やショックもあるだろうから、数日目を覚まさない可能性もゼロじゃないとは言われたけど。
「リィス……」
僕が触れたらリィスは無意識に魔力を吸い取ろうとするかもしれない、と言われずっと手さえ握れないまま、眠り続けるその白い顔を眺める。
まさか事件から三日経った今でも、まったく目を覚ましてくれないなんて。
何か異変があった時にすぐさま最高の治療を受けさせてあげられるようにと、宮中伯邸じゃなく城で状態を見ることになったけど。リィスを運び込んでから今日まで、何の変化もなかった。
むしろ、変わったのは僕のほう。
あの後から食事がまったく喉を通らなくて、スープすら一口も飲めなかった。スプーンですくって口元まで持っていっても、それに口をつける気がどうしても起きなくて。
家族全員に物凄く心配されたけど、正直食べないことには慣れてるし、今は魔力だけでひと月は余裕で生きられそうだから問題なかった。
逆に突然、悲しくて苦しくて仕方がなくなって、魔力を抑えきれなくなりそうな時が出てきて。前みたいに毎日何回か、要石に魔力を注がなきゃならなくなった。
そうしないと、近くにいる人を無意識に傷つけてしまいそうで。
自分の感情を、外に出すことができなくて。
何度、あの地下の部屋で一人泣いたか分からない。
もしもこのまま、リィスが目を覚まさなかったら?
万が一にでも、リィスを失うことになったら?
考えたくないのに、そんなことばかりが頭の中を占領してて。
感情も魔力も涙も制御できないまま、祈るように必死にリィスの名前を呼んで、何度も何度も言葉にならない声で叫んでた。
そうしないとおかしくなりそうで、耐えきれなかったんだ。
(僕には本当に、リィスしかいないから)
家族は僕を愛してくれてる。僕も家族を愛してる。
でも、リィスだけは本当に特別。もし何かがあれば、僕はリィスを連れて国を出ていく覚悟だってある。
そのくらい、大切な女の子だから。
出会ったその日から、リィスだけが心の支えだった。
抱えた魔力量が多すぎて、まともに家族とも触れあえないまま過ごしてきた僕にとって、唯一触れることができてぬくもりを与えてくれる存在。
僕だけの、天使。
「お願いだから、リィスっ……」
早く目を覚まして。
その大きな瞳で僕を見て。可愛い声で、僕の名前を呼んで。
いつもみたいに笑ってよ。
一緒にお茶をして、一緒に庭園を散歩して、時折一緒にダンスをして。
そうやってまた、過ごそうよ。
溢れ出しそうになる涙と感情の渦を必死に抑えながら、跡が残りそうなくらい強い力で膝を握る。
一度強く手を握りすぎて出血してから、あまりにも周りに心配されて。代わりにこうしてすぐには見つからないような場所を握る癖がついた。
自分で気付いた時に治せばいいから、今のところは何も言われてないけど。無意識下の行動だから時折青くなってたり赤黒くなってたりする部分を見つけて、自分でも少し驚く。
睡眠すらまともに取れていないことがバレて、今ではこうしてリィスの側にいることを許されたけど、そうじゃない時はもっとひどかった。
今は意識できるようになったから、まだマシなほう。
「んっ……」
「!!」
徐々に白くなっていく指先を見ながら、必死に感情を押し殺そうと別のことを考えていた僕の耳に、かすかな声が聞こえてきて。
ハッとして顔を上げれば。
まるでゆっくりと深呼吸するように、リィスの胸が上下するのが見えるのと同時に。
聞こえてくる、明らかに今までとは違う呼吸音。
もしかして、と思った次の瞬間。
ゆっくりと、白い瞼が持ち上げられた。




