僅かな油断
一度確認すべきことではありますが、浮かんだ疑問は今は隅に置いておいて。
(今、私がやらなければならないことは)
こちらのことなどすでに頭にないのか、ホーエスト様を凝視している魔術師。
きっと彼は今、怯えていることでしょう。ホーエスト様の、圧倒的な魔力量に。
(私でも、分かるほどですからね)
これだけ地下室内を強すぎる魔力で充満させていれば、嫌でも分かるでしょう。
それに、風、止んでいませんし。
むしろ吹き荒れそうなところを、ホーエスト様が必死に理性で抑えつつ同時に私が魔力を吸収しているので、どなたも倒れたりなさっていないだけなのです。
(もしここに私がいなければ、一体何人の騎士が倒れ込んでいたことか……)
考えると、恐ろしい気もしますが。
同時にホーエスト様が、それだけ私のことを心配してくださっていたということですから。それはそれで、不謹慎ですが嬉しくもあるのです。
(けれど、だからこそ)
ホーエスト様が本当にどなたかを傷つけてしまわれる前に。
私はこの場を収めなければならないのです。
「あ……ぁっ……」
恐怖から、でしょうね。言葉すらまともに発することのできない魔術師の彼は、かろうじて立っていられているだけ、といったところでしょうか。
魔力をよく知るからこそ、ホーエスト様の魔力量もよくお分かりになるでしょうし。何より、誰よりもその存在を恐ろしいと感じるのでしょう。
正直なことを申しますと、彼が怯えている分には私は何一つ困りません。身から出た錆、ですもの。
けれどそのせいでホーエスト様が傷つくことになるのは、見過ごせませんから。
「えいっ!」
「あ……」
「え……?」
先ほどとは反対に私が押し倒すようにして魔術師にのしかかり、そのまま残りの魔力も根こそぎ吸収してしまいます。
ホーエスト様の声と、驚く何人かの騎士の声が聞こえたような気もしますが……今はあえて、無視します。
声を上げることもなく、力を失い倒れ込む姿を確認して満足した私は、そのままゆっくりと起き上がり。
「ごきげんよう、皆様。このような格好で失礼いたしますね」
相変わらず手首は縛られたままですので、膝だけ折ってご挨拶をしておきます。
無事ですよー、私は何もされていませんよー、というアピールにもなりますから。最初が肝心なのですよ。
案の定、皆様一斉に目と口を大きく開けてポカンとしておりますもの。大成功です。
「……っふ」
私の意図を最初に察したホーエスト様は、こらえきれなかったのか口元を手で押さえながら、横を向いてしまわれましたけれど。
ホーエスト様、声、漏れていますよ? 笑っていらっしゃいますね?
(怒っていらっしゃるよりは、ずっといいですけれど)
実際、先ほどまでホーエスト様からこれでもかと溢れ出していた魔力が、今はまったく感じられなくなりましたから。
風も止んで、むしろまだ状況に追い付けていない騎士たちを背に、一人肩を揺らして笑っていらっしゃるくらいですから。このくらいの空気感が、ちょうどいいのです。
ただちょっと、騎士たちにはもう少し機敏に動いていただきたいものですが……。
まだ結成されたばかりのホーエスト様専用の親衛隊でしょうから、これから頑張っていただくしかないのでしょうね。
いきなり実践ですものね。しかもこんな訳の分からない状況の。
混乱してしまうのも、分からない訳ではありませんけれど。
(それが時には命取りになるのだということを、これからしっかりと学んでいただかなくては)
実践は無いに越したことはないのですが、それでも訓練時には実践を模していかなければ意味がありませんからね。
そのあたりは、今後の課題といったところでしょうか。
「ホーエスト様。笑いすぎです」
けれど今は、彼らよりも優先すべきことがありますから。
「ふふっ、そうだね。ごめんごめん」
まだ少しだけおさまり切っていなかった笑いを、深呼吸一つで落ち着けて。
そっと手を差し出してこちらに歩いてこようとするホーエスト様に、私も手を伸ばそうとした――
――その瞬間。
ガリッと。足元で聞こえた、飴をかみ砕くような音に。
「え……?」
思わず下を見れば、狂気を宿したままの不気味に光る瞳と目が合って。
(まさかっ……魔力を、飴に!?)
万が一の場合の切り札を用意するのは当然ですが、まさか魔力切れを起こした際の準備もしているなどとは思ってもみませんでした。
そもそも私は完全に魔力を吸い取り切っているはずなので、魔力欠乏症により動けなくなっているはずなのに。
と、余計なことを考えていた時間こそが、運命の分かれ道でした。
僅かな油断が命取りとは、まさにこのこと。
もう一度魔力を吸い取ってしまわなければと私がかがむのと、魔術師が起き上がるのはほぼ同時だったのです。
そのせいで遅れてしまった私の反応と、不安定な体制。そして縛られたままで自由のきかない手。
「このっ……ふざけるなっ!!」
「あっ……」
私が触れるよりも先に力いっぱい突き飛ばされてしまった体は、容易にバランスを崩して。その勢いのまま、後ろへと飛んでしまい。
そして、右足につけられたままの鎖の長さの限界と共に下半身は引っ張られ、後ろ向きに倒れ込んでいく上半身。
「リィスーーーー!!」
必死に手を伸ばしながら、駆け寄ってくださろうとするホーエスト様の声とお姿を最後に。
後頭部に今まで受けたことのないような強い衝撃を感じた私は。
そのまま、意識を手放してしまったのです。




