事件発生 sideホーエスト
その部屋に入った時に感じた異様な空気は、決して強烈な違和感のせいだけじゃなかった。
そこにいるべき人物がいないことと、普段はいない人物がいること。
そもそもこの顔ぶれを考えれば、僕にとってあまりうれしい状況じゃないことだけはすぐに察せられた。
「ホーエスト、座りなさい」
「はい、父上」
そもそもこの場所は、初めてリィスと出会った場所。そこになぜか父上とフラッザ宮中伯と、そして年齢を重ねた魔術師団長が揃っていた。
机の上には、大きなお皿ほどもある黒い石。磨かれたその表面は覗き込めば顔を映し出せるくらい輝いているけど、これの使い道が鏡じゃないことは僕もよく知ってる。
そして、なぜか一人もいない護衛や侍従たち。
扉の外にはしっかりと護衛が立っていたけれど、父上がいるのに部屋の中に一人もいないのはどう考えても普通じゃない。
「フラッザ宮中伯、説明を」
「はい、陛下」
その瞬間、嫌な予感にみぞおちの辺りが一気に冷えたような気がした。
だって、どう考えてもおかしい。父上とフラッザ宮中伯が、こんなにも真剣な表情で暗い声を出すなんて。
(まさか、もしかして……)
脳裏に浮かんだ最悪の事態を、僕は考えないように必死に否定する。
だって、もしそうなら。今こんなにもフラッザ宮中伯が落ち着いてるはずがない。僕がこの部屋にわざわざ呼ばれるなんて、あり得るはずがない。
だから、そう。大丈夫。
そう自分に言い聞かせてた僕に、フラッザ宮中伯はあくまで淡々と。けれどきっと必死に感情を押し殺した声で、こう言ったんだ。
「リィスが、何者かに連れ去られました」
婚約解消を告げられたわけじゃない。リィスの死を告げられたわけじゃない。
けど、それは。
「…………え……?」
僕に衝撃を与えるには、十分すぎるほどの言葉で。
そして意味を理解するのと同時に立ち上がって、部屋を飛び出そうとした僕の腕を父上が強い力で掴む。
「父上!!」
「落ち着けホーエスト! 父親であるフラッザ宮中伯がこの場にいることの意味を理解しろ!!」
僕の行動は予想通りだったんだろう。だから父上はわざと僕を隣に座らせた。この瞬間、僕を掴まえていられるように。
「すでに捜索は開始させております。ですがすべての魔術道具が破壊されており、単純な追跡は困難な状況です」
あくまで状況説明だけを冷静に伝えてくるフラッザ宮中伯だけど、膝の上で固く握られた両手が小さく震えているのが見えて、僕は悔しさに唇を噛みながらもう一度座り直す。
つまり僕は、ある程度情報が集まった時点で呼ばれたんだ。もしもの時のことを考えて。
(嫌だ)
リィスを失うなんて、考えられない。
僕にとってはリィスだけが全てで、彼女以外なんて何も望まない。リィスと一緒に穏やかな日々を過ごせるなら、それだけでいい。
(なのに、どうしてっ……!)
僕からリィスを奪おうとするのか。
リィスがいなくなったショックで僕が魔力の暴走を起こす可能性を考えて、父親であるフラッザ宮中伯を待機させるなんて。
どうして、そんなことにならなくちゃいけないの……!
「殿下、私はまだ諦めておりません。むしろ相手が魔術師であるのならば、我が家にとっては好都合です。リィスにも、対抗する術があるということなのですから」
それでも、心配なことに変わりはないんだ。僕も、宮中伯も。
「……ん? どうして、相手が魔術師だって断言できるんだ?」
「簡単なことです。フラッザ家の特殊体質を邪魔しないよう護衛は魔力量の少ない者を選ぶ代わりに、魔術攻撃を防ぐための魔術道具を必ず持たせておりますから」
少しだけ冷静さを取り戻してきたのか、ふと浮かんだ疑問を口にした僕に、答えてくれる宮中伯。
ということは、つまり。
「それが、反応した?」
「魔術道具が破壊されたのは、おそらく攻撃に耐えられなかったからと思われます。壊れ方から見て、最初から全力の魔術を何度も撃たれたようですので」
「そこまでして、リィスを連れ去ったのかっ……!」
「相手も魔術道具を持っていたことは想定していた可能性が高いかと。その上でリィスに持たせていた居場所が追跡できる魔術道具も、その場に残されておりました」
普通に考えれば、護衛に持たせていた魔術道具が反応した時点で宮中伯に何らかの連絡が行くように、術式が組まれていたはず。
ということは、つまり。
「事件発生から、まだそこまで時間は経っていない」
僕と同じブルーグレーの瞳が、隣から真っ直ぐ見つめてくる。その奥に、まだ諦めの色はない。
つまり、リィスは生きている可能性が高いってこと。
(それにだからこそ、犯人はリィスを連れ去った)
複数なのか単独なのか、裏に誰かがいるのかも分からないけど。
でも、そんなこと今はどうだっていい。リィスが、生きていてくれるなら。
「あの魔術道具が破壊できるのは、魔術師のみです」
僕がこの部屋に入って初めて口を開いた魔術師団長は、魔術師であることを示す紺のローブを着込んだままそのフードを目深にかぶっていて、表情が見えなかったけど。
「そのため現在、連絡のつかないもしくは居場所が定かではない魔術師がいないか、探させております」
その声は、僕の知っている普段の彼からするとずっと重いもので。
理由は分からないけど部下が不祥事を起こしているんだから、そうなるのも仕方ないのかもしれない。
フードから出てる白髪が、せめてなくならないことを願うしか僕にはできないけど。
『団長殿!! ギリューと一切の連絡が取れません!!』
その瞬間部屋の中に響き渡ったのは、この場にいない人間の声。
机の上に置かれた黒い大きな石。その表面に、人の顔が映し出されていた。魔術師のローブを着た、焦ったような表情の人物が。
「ようやった!! 全員ギリューブスを探せ!!」
『御意!』
すぐに消えたその人の顔は、僕にも見覚えがある。あのメガネの人物は、魔術師団副団長だから。
つまり、魔術師団全員での捜索が開始されるってこと。
「その人物の魔力登録は?」
「済ませております。偽装している可能性も考慮し、分析も同時に行わせるよう手配しておりますゆえ、ご心配には及びません」
魔術師は全員魔力を登録していて、基本的にはそれを元に様々な道具を作ったり術式を組んだりするらしい。
そしてそれは、こういう時にも役に立つということ。
その人物が本当に犯人かどうかは、まだ分からないけど。それでも今確実に、一歩前進したはず。
「陽動の可能性は?」
「ないとは言い切れませんが、そのために部隊をいくつかに分けて探させます。手掛かりが見つかり次第、こちらも含めて全員に情報が回る手はずになっております」
父上の質問に、よどみなく答える魔術師団長。しかもあらゆる可能性を考えて、あらかじめ手を打ってるあたりはさすがだけど。
きっと、過去にそういったことがあったんだと思う。だからこそこんな風に具体的に、すぐに動き出せるんだろうから。
(歴史の闇の部分、かな)
そこにリィスが巻き込まれた可能性があるのは、本当に許せないことだけど。
「殿下、お願いがございます」
怒りを魔力として放出してしまわないようにと、感情を抑えていた僕に声をかけてきたのは。
意外なことに、リィスの父親であるフラッザ宮中伯だった。




