あやしい影
「ホーエスト殿下に触れた令嬢は、一人の例外を除いて全員が倒れてしまわれるというのは本当なのでしょうか、と」
「あぁ、うん。本当だね」
(ホーエスト様っ……!!)
その瞬間、セルシィーガ公爵令嬢の眉がピクリと小さく動いたのを私は目撃してしまいました。
大変プライドの高いお方なのでしょうし、以前の夜会でお倒れになってしまわれたことをお認めになっていないのかもしれません。
事実「ホーエスト殿下のあまりのお美しさに、思わず気を失ってしまいましたの」と周囲に漏らしていると、私のところにまで噂が届いているのですもの。
一番最初のお相手だったから、というのも関係しているのかもしれませんね。その後の会場の雰囲気や様子を、ご覧になっていらっしゃらないままですから。
けれどその後、何もないままだったので諦めてくださったのかと思っていたのですが……。
「ほらあなた、殿下もこうおっしゃってるわ。それともご自分ならば触れても平気だとお思いなのかしら? でしたら確かめさせていただいたらどう? ほら」
そう言って強引にメガネをかけた令嬢の手を取るセルシィーガ公爵令嬢。
ダークブロンドの髪にアンバーの瞳の令嬢は、その色彩から魔力量が少ないことはお分かりになるはずなのですが。そのような強引なことを、しかも目の前にいるのは王族だというのに、どうして平気でできてしまうのでしょうか。
「やっ……! ゆ、許してくださいっ……!」
「あなたがおっしゃったのでしょう? 触れてみたら分かるのに、と」
ゆるく巻いたツインテールを揺らしながら、必死に抵抗する涙目の令嬢は、何とも庇護欲がそそられるといいますか……。正直、傍観者でいるのもあまり気持ちのよいものではないのです。
セルシィーガ公爵令嬢がおっしゃったことが本当なのだとしても、この行為自体は許されるものではありません。
何よりホーエスト様に対して大変失礼なことだと、どうしてお気付きになってくださらないのか。
「ホーエスト様の前でそのようなこと、おやめください」
そもそもこのガーデンパーティーは、そのような目的で開かれているわけではないのですから。
「宮中伯令嬢のあなたが、私に意見するおつもりで?」
「私は今、ホーエスト様の婚約者としてこの場に立っているのです。その意味をよくお考えになられてはいかがですか?」
隣でホーエスト様が驚いているのが、触れている部分から伝わってきました。
当然ですね。今までの私であれば、このようなこと決して口にはしなかったでしょうから。
(ですが)
ホーエスト様の婚約者として、お隣に立っていても恥ずかしくない振る舞いをと考えるようになった今、これまでの私のままではいけないと思ったのです。
たとえ見た目は地味でも、それ以外の部分で他の方に引けを取らないようにしなければ、私自身がホーエスト様のお隣に立つことを許せなくなる気がしました。
だからこそ、立ち向かわなければならないのです。特に、お相手が女性であるのならばなおさら。
「……フンッ。失礼いたします」
まるでにらみ合うかのようにお互い視線を逸らさなかった時間は、きっとそこまで長いものではなかったのでしょうけれど。異様な静けさに包まれたこの場で誰もが固唾を飲んで見守る中、先に目を逸らしたのはセルシィーガ公爵令嬢のほうでした。
そしてそのままホーエスト様に対してだけ一礼して去っていく彼女を、急いで追う数名の令嬢たち。
「大丈夫ですか?」
けれど私が今一番気にすべきは、一人残されたこちらの令嬢ですから。
「ぁ……ありがとうございますっ……!!」
よほど不安だったのでしょうね。へたり込んでしまった彼女は、そのまま泣き出してしまって。
結局、ホーエスト様が一息つけたのは本当に僅かな時間だけでした。
「素敵だったよ、リィス」
ただなぜかホーエスト様ご自身は、大変満足そうなお顔をされておりましたが。
けれど。
この時の私たちは目の前の事態に目を向けすぎていて、気付いていなかったのです。
少し離れた場所から、一連の流れを観察するように見ていたあやしい影がいたことに。
ちなみにこの王子様、こいつら邪魔だなぁくらいにしか思っていません。




