厄介なこと
「……ホーエスト様、今――」
「しっ」
一瞬口元に人差し指を添えたホーエスト様は、そのままゆっくりと私の腰を引き寄せられました。
少しだけ離れた場所には護衛の皆様の姿も見えておりますし、ホーエスト様の侍従や私の侍女も脇に控えておりますから、大きな問題は起きないとは思いますが……。
(明らかに、いいとは言えない事態でしょうね)
聞こえてくる足音は、少しずつこちらに近づいてきていますし。
「お願いですっ……!やめてくださいっ……!」
同時に怯えたような声も、徐々にハッキリと聞こえてくるのですから。
これはもう、厄介なことに巻き込まれそうな雰囲気しかありませんね。
「あぁ、こちらにいらっしゃったのですね。ご機嫌麗しゅうございます、ホーエスト殿下」
そうして最初に姿を現したのは、少し赤みの強い明るめのサンディブロンドの巻き髪に、明るいオリーブグリーンの瞳が特徴的なスミーヤ・セルシィーガ公爵令嬢。
後ろにも複数人令嬢を引き連れていらっしゃるのですが、彼女のカーテシーと同時に真後ろに見えたメガネをかけた令嬢は、涙目だったようにも見受けられたのです。一瞬でしたので、定かではありませんが。
(それにしても、最近よくお見かけするのは……意図的なもの、でしょうかね?)
ホーエスト様の前で令嬢方が全員カーテシーをした状態の中、私はまだ腰を抱かれたままで。
他の方が今この場にいらっしゃったら、その異様な光景に驚いてしまわれるのでは?
「そうだね。先ほどまでは、とても機嫌がよかったんだけどね」
言外に含まれるお言葉は、邪魔をするな、でしょうか。
そうですよね。ようやく一息つけるとお思いだったところに、大勢で押しかけられたのですもの。ご機嫌を損ねてしまわれても、致し方ないかと。
「失礼いたしました。ただ彼女が、少々気になることを口にしていたものですから」
けれどセルシィーガ公爵令嬢には関係のないことのようですね。
それでもすぐ本題に入ろうとはしていらっしゃるのか、少し横にずれて後ろのメガネの令嬢を手で指し示しておりますけれど。
(……あら?)
セルシィーガ公爵令嬢が動いたからなのか、それとも風に乗ってきたのか。ふわりと私にまで届いたのは、以前とは違う強い花の香り。
確か以前お会いした時には、柑橘系の香りを纏っていらっしゃったような気がするのですが……。
(香水を、変えられたのかしら?)
魅惑的なその香りは、私は少し苦手かもしれません。あまりにも、香りが強すぎて。
けれどそこがお気に召したのかもしれませんし、まったく似合わない香りというわけでもありませんが。正直なところ、以前のほうがよりセルシィーガ公爵令嬢にお似合いだったのではと思ってしまいます。
「気になること? 何かな?」
この香りをホーエスト様がどう思われていらっしゃるのかは分かりませんが、少なくとも手短に会話を終わらせてしまいたいのであろうことだけは伝わってきました。
えぇ、それはもう、ひしひしと。
(目がっ……笑っていらっしゃらないのですものっ……!)
しかも明らかにホーエスト様をお探しだったご様子ですし、これはもう祈るしかありませんね。早く終わってくださいませ、と。




