唯一無二の存在
「私の、するべき覚悟……?」
あちらこちらから聞こえる戸惑いの声も、中心から離れている場所に居るからでしょうか。少しだけ遠く聞こえる気がします。
そしてだからこそ、エルヴォーリン殿下のお声がハッキリと聞こえてくるのです。
「良くも悪くも、感情が昂れば魔力が流れ出る。それは自然なことで、止めることはできない」
「はい」
「だがホーエストの場合、流れ出る魔力量でさえ規格外だ。喜んでも悲しんでも、それは同じこと」
「それ、は……」
つまり、ホーエスト様のお隣に立つということは……。
「常にその魔力に晒される危険が伴うのだから、簡単に倒れられては困る。特にダンス程度で倒れるような令嬢では、話にならない」
強い魔力に当てられた場合、多くの方が魔力過多となり体調を崩されてしまわれます。悪い場合は倒れてしまわれることもあるでしょう。
そう、先ほどのセルシィーガ公爵令嬢のように。
「喜び、悲しみ、怒り。生きていれば誰しもが抱く感情だ。それは当然、ホーエストも同じこと」
「けれど、それは同時に……」
「規格外の魔力が流れ出ることを意味する」
「……私にも、その魔力に当てられる覚悟をせよ、と。そういうことでしょうか?」
魔力過多で倒れてしまう可能性を、考慮しておくようにと。
「違う」
「……え?」
違うのですか? 今、そういう流れではありませんでした?
混乱した私は、思わず驚きを隠すことを忘れてエルヴォーリン殿下を見上げてしまいました。
ですがそんな私を気にする様子もなく、再び落ち着きを取り戻し演奏を再開した宮廷楽団に一度だけ視線を向けると、もう一度私を真っ直ぐに見下ろしておっしゃったのです。
「君はホーエストの隣にいて、一度も倒れたことがない。体質的な部分は、既にクリアしている」
それは私がフラッザ家の一員だからでしょう。
けれど。
「それでは、私がするべき覚悟とは一体……?」
ホーエスト様のお隣にいて倒れないのであれば、覚悟など他に何が必要になるというのでしょう。
向け合った真っ直ぐな視線が交差した瞬間、エルヴォーリン殿下は珍しくそのお顔をほころばせて。
「君がすべきは、ホーエストに生涯愛され続ける覚悟だ」
そう、口にされたのです。
(愛され続ける、覚悟……?)
けれど私にはそのお言葉の意味が、よく分かりませんでした。そもそも愛されるのに覚悟が必要なのでしょうか?
「ダンスや婚姻の儀、ましてや初夜の最中に気を失うような人物では困る」
そうでしょうとも。
「だが今現在分かっている中で、ホーエストの魔力に耐えうる人物は君以外存在していない」
「…………」
それは、つまり……。
「ホーエストと夫婦になれる人物が君しかいないのだから、当然王家としては何が何でも君を逃がすつもりはない」
「逃げるつもりは、ございませんが……」
ただその言い回しは、大変不吉なのでやめていただきたいところではあります。
それ以前に、私が選ばれたのは消去法だったのではありませんか?
(それはそれで、なんだか悲しいものがありますが……)
けれどホーエスト様のお側にいられるのであれば、私はそれでも構いません。愛していただけるかどうか、は……正直なところ、よく分かりませんが。
ただ、これでようやく理解出来ました。どうしてホーエスト様が、王家の皆さまが、私を婚約者から外そうとしなかったのか。その理由が。
(私しか、選択肢がなかったのですね)
それならば私は、この事実に感謝いたしましょう。ホーエスト様のお隣に立てる、唯一無二の存在であることに。
「まぁ、君が逃げれば犠牲者が増えるだけだが」
「え……?」
私が決意を固めているところで、再び不吉なことを口にされるエルヴォーリン殿下。
同時にまた、先ほどと同じような悲鳴が上がり。
「また倒れた!!」
「公爵令嬢が続けて二人も!?」
「どうなっているんだ!!」
青ざめてばかりの令嬢たちとは違い、周りの大人たちのざわめきは大きくなるばかり。
にもかかわらず、遠目でも確認できたホーエスト様は妙に落ち着いていらっしゃって。二度目だからなのか、何も言わずとも現れる救護班。
その、異様な光景に。
まさか、と。私は嫌な予感がよぎったのです。
「犠牲者、というのは……」
「君がホーエストの隣に立ち続けて他の令嬢に触れさせないようにしない限り、あの規格外の魔力量に耐えうる人物が見つかるまでこれが続く。君以外にそんな人物が存在していなかったとしても、だ」
「っ!!」
下手をすれば誰一人令嬢が残らない可能性があるということではありませんか!!
「いけませんっ! 殿下のお力で止めることはできないのですか!?」
「忘れていないか? ホーエストの行動を誰も咎めないということが、どういう意味を持つのか」
「!?」
まさか、王家の皆さまがこの状況を容認されたということなのですか!?
待ってください! それでは一体どうやってホーエスト様をお止めすればよいのです!?
「ホーエストは事前に許可を取っている。君以外の令嬢全員が倒れても不足しないよう、救護班も待機している」
「ですがっ……!!」
「だから、選べ」
冷静なエルヴォーリン殿下になおも追い縋ろうとした私に、表情一つ崩すことなく告げられたのは。
「今すぐホーエストの手を取るか、それともここから逃げ出すか」
優しくも残酷な、最後の選択肢。
「ホーエストの手を取れば、君は本当に二度と逃げられない。二年後の成人を迎えた後、君は王家の一員となる」
それは私がずっと夢見ていた、ホーエスト様のお隣に立ち続けるための方法。
「だが今逃げだせば、あるいは解放されるかもしれない。多大なる犠牲を出した上で、あの魔力量に耐えられる人物が見つかれば、の話だが」
だからこそ、後者を選ぶなど初めから私の中では存在していないのです。
「さぁ選べ、フラッザ宮中伯令嬢」
両手を小さく広げた僅かに芝居がかったその仕草さえ、美しい方がされると様になるのですね。
けれどもう、私は迷いません。たとえどんなに釣り合いが取れないと分かっていても、他の方など考えられないのですから。
「ホーエスト様のところまで、エスコートをお願いできますか? エルヴォーリンお義兄様?」
淑女教育で身に着けた完璧な笑顔でそう告げて、そっと手袋に覆われた手を差し出すのです。
十年近く前にそう呼ぶようにと、ご本人から言われておりましたから。
これが私の覚悟です、と。そう示すにはちょうどいいとは思いませんか?
「喜んで。可愛い義妹」
慈しむような笑顔を私に向けたお義兄様は、その願いを聞き届けてくださいました。
エルヴォーリンお義兄様に導かれるまま、私はホーエスト様へと向かう一歩を踏み出したのです。




