第三王子の怒り
「こんなところにいたのか」
かけられた声に振り向けば、この国の王太子殿下であらせられるエルヴォーリン様のお姿。
ご兄弟の中で最も短く切りそろえられている前髪も、今夜はしっかりと後ろに流しておいででした。夜会なので、当然と言えば当然なのかもしれませんが。
「お久しぶりでございます」
「本当にな」
第一王子殿下は既にご結婚されており、王子も誕生しておられるご身分ですから。夜会になど基本的には必要最低限以外、参加する必要などないのです。
さらに現在王太子妃は、第二子を身籠っておられるとか。そうなればなおさら、妃殿下のお側にと望まれるお方でしょう。
(にもかかわらず、どうして今夜は参加されているのでしょうか?)
真面目で誠実。まさに王太子殿下とはこうあるべき、というお手本のようなお方ですのに。
「ホーエストから聞いたぞ」
私が疑問を口にするよりも先にエルヴォーリン殿下は一言そう告げてから、視線をホールの中央付近へと向けられました。そこはちょうど、ホーエスト様がいらっしゃるあたりで。
「まさか君のほうから婚約について言及されるなどとは、弟も想像していなかったようだ」
なるほど。それで私に釘を刺しにいらっしゃったのですね。
相変わらず溺愛されていらっしゃいますね。もちろんご兄弟全員に対して、なのでしょうけれど。
いえ、いっそご家族全員に対して、なのかしら?
「その節は大変失礼をいたしました」
「君以上に失礼な者たちが、あそこには群がっているようだがな」
エルヴォーリン殿下、それはあまりにも……。いえ、口にはいたしませんが。
「つい先日までホーエストを悪し様に言っていたその口で、今度は愛を乞う言葉を口にするのか」
「世の理ですから。仕方がないのです」
「魔力量は変わっていないというのにな。おかしなものだ」
正論ではありますが、あちらにいる皆さまはそれをご存じなかったので。こればかりは本当に仕方がないのです。
「それで? 会場に入ってすぐこんな端のほうに向かって、どうする気だ?」
どうしてそれをご存じなのですか!?
本日の夜会、実は事前にホーエスト様より会場入りは別々に、とのお話をいただいておりまして。そのため私はホーエスト様よりも後に入場したというわけなのです。
当然先にいらしていたホーエスト様の周りには、既に大勢の女性がいらっしゃるわけですが。おかげで私がいつからこの場にいたのか、どなたも注目なさっていなかったはずなのですが……。
「むしろ、どうして私の居場所がすぐにお分かりになられたのか、大変疑問なのですけれど……」
私はむしろ目立たないほうですもの。髪や瞳の色の濃さも、大勢いる下位貴族とあまり変わりがないのでなおさらです。
にもかかわらず、本当にどうしてエルヴォーリン殿下はお気付きになられたのか。
「聞いておきたいことがあったからな」
そう言って私を見下ろす瞳の色は、ホーエスト様と同じブルーグレー。
言葉こそ王太子殿下として帝王学を学ばれた影響か、若干突き放したような冷たい印象を受けますが。実際にはとてもお優しい方なのだと、私は存じております。
今もその瞳は、どこか心配そうな視線を向けてくださるのですもの。
ホーエスト様のお兄様ですから、お優しくないわけがないのです。
(あぁ、けれど……)
万が一があってはいけないと、ホーエスト様が先にお話ししてくださっていたのかもしれませんね。
私が、一人にならないように、と。
「先に言っておくが、我が王家きっての魔力量を誇る第三王子の怒りに触れて、無事に立っていられる令嬢は皆無に近い」
「…………はい?」
あの、少し話が飛びすぎではありませんか?
どうしてすぐに私にお気付きになられたのか、そのお答えもいただけておりませんし。
いえ、おそらくは私の入場をお待ちいただいてくださったのだとは思いますが。
「今日のホーエストは機嫌が悪い。感情に波がある状態では、無意識に魔力が外に流れ出るものだろう?」
「そう、ですね」
けれど今はダンスの時間ではないので、まだ宮廷楽団の演奏は始まっておりません。
音楽に紛れさせることもできないこの状況で、そのお話はどなたかに聞かれてしまっても問題は――。
「つまり君以外の令嬢では、ワルツ一曲分すら踊り切れないだろうな」
なるほど。聞かれても問題のない会話ですね。
(むしろ、周りに聞かせるための会話、なのでしょう)
第二子の誕生を心待ちにしているともっぱらの噂の王太子殿下に、今からアプローチする令嬢などおりませんもの。
そうなれば、私と二人だけで会話しているところに割って入る方はいらっしゃいませんものね。
(あちらこちらから、別の視線は飛んできておりますけれど)
女性にはなくても、男性にはチャンスがありますものね。ここで王太子殿下に気に入られれば、大出世の可能性も見えてきますから。
だからこそ、この状況は話しかけづらいものがあるのでしょうけれど。
特にホーエスト様に関することとなれば、今や誰もが知りたい話題ですもの。
「それを理解した上で、問おう。ホーエストが差し出す手を決して離さない覚悟が、君にはあるか?」
「っ!!」
エルヴォーリン殿下の瞳は、ただただ真剣に私を見下ろしていて。そこに打算の一つも見られないからこそ、純粋に問いかけられているのだと疑う余地もないのです。
それはつまり、私に選べと。言外に示しておられるのでしょう。
覚悟を決めてホーエスト様の手を取るか。
もしくは今、逃げ出すか。
「あぁ。勘違いしないでおいて欲しいのは、決して君に向けられる悪意の数々や王家の一員としての重圧に耐えろという意味ではない」
「……違う、のですか?」
「違う。君に必要な覚悟は、そんなものではない」
エルヴォーリン殿下のお言葉の途中で、舞踏会の開始を告げるファンファーレが鳴り響きました。
宮廷楽団が奏でる最初の曲は、スローテンポのワルツ。
各々がパートナーや、お声がけしたお相手と本日最初のダンスを楽しむ中。ホーエスト様が私以外の方と踊る姿を、初めて目にしました。
「あ……」
そのお相手は少し赤みの強い明るめのサンディブロンドの巻き髪に、明るいオリーブグリーンの瞳が特徴の、あのスミーヤ・セルシィーガ公爵令嬢。
私に直接ホーエスト様との婚約解消を迫ったお方ですが、お二人が並ばれる姿は本当にお似合いで。周りの方々も、どこか納得されたような表情をされておりました。
「よく見ておくといい。ホーエストは今日この場を使って、貴族たちに思い知らせるつもりでいるからな」
「え……?」
思い知らせる、とは?
あまりよろしくない言葉の選択に、私が思わずエルヴォーリン殿下に視線を移した直後のことでした。
「きゃあぁぁ!!」
「スミーヤ様!!」
「セルシィーガ公爵令嬢が……!!」
突然上がった悲鳴と共に、ホール中が慌ただしくなります。
誰もかれもがダンスのステップを踏むのをやめて、何事かとそちらに視線を向けて。宮廷楽団でさえ、始めたばかりの演奏を一時中断して、大きな混乱を招きそうな状態で。
「誰か、救護班を」
場違いなほど落ち着いたお声が、ホールの中に響きました。
それは紛れもなく、騒ぎの中心にいらっしゃるであろうホーエスト様のお声。
「一体、何が……」
呟いた私の隣に、自然と並んだのはエルヴォーリン殿下。
ホーエスト様の元から、気を失ってらっしゃるセルシィーガ公爵令嬢が運ばれていく姿を眺めながら一言。
「これが、君がするべき覚悟だ」
そう、私のほうを見ることもなく、告げられたのです。




