事の発端
「ねぇ、今……なんて言ったの?」
笑顔のはずのホーエスト様が纏っている空気は、明らかに正反対のもので。
ある程度光源が設置されているとはいえ、昼間よりは明らかに暗い誰もいない庭園のベンチで、見下ろされる形になってしまった私は。
(どうして、こんなことに……?)
自らの発言が招いた事態とはいえ、すぐには状況が掴めずにおりました。
事の発端は、ホーエスト様のこの一言からだったと思います。
「リィスは、前の姿のほうがいい?」
御不浄から戻った私は、あの後も数曲ホーエスト様のダンスのお相手を務めさせていただいて。
私が疲れてきたことを察してくださったのか、今までのように会場の隅で冷たい飲み物で喉を潤しながら二人、休憩していたのです。
ただホーエスト様はこの外見に加え、成人王族ですから。暇さえあればどなたかからお声がけされている状態でした。
(私はまだ成人前ですし)
何よりお仕事のお話ですから、私が口を挟むわけにもまいりません。なので数歩下がった場所で、ゆっくりとグラスを傾けていたのですが。
ちょうど、次の曲がかかって人が途切れた瞬間を見計らったホーエスト様が、空になった私のグラスを通りがかった給仕に預けて。
「ここだとゆっくりできないから、庭に出ようか」
まるでダンスの続きをするかのように自然に私の手を取って、そのまま本当に庭園へと向かってしまわれて。
そうしてなぜか、誰もいない庭園のベンチに二人腰かけてすぐ。
ホーエスト様が私にそう、質問なさったのです。
「え……?」
「僕は自分の見た目にあんまりこだわりがないから、リィスが前のほうがいいのならできる限りのことはするよ? 髪型とか」
確かにほんのわずかに切り揃えられただけで、長さはあまり変わっておりませんから。髪型を元に戻すというのは、できないことではないのでしょうけれど。
ですがっ!
「そんな!」
せっかくのご尊顔を隠されてしまわれるなんて、あってはいけません!
しかも、それが。
「私などのためにそのようなこと!」
なおさらいけません!
「……など?」
「っ!?」
けれど、それがいけなかったのでしょう。
時折妙に鋭いホーエスト様は、私のそのたった一言で気付いてしまわれたのです。
「今までリィスが自分をそんな風に言ったこと、一度もなかったよね?」
私に一体、何があったのかを。
「誰に、何を言われたのかな?」
笑顔のまま圧をかけるという、実に王族らしいそのお姿に。
「いえ、あの……」
「誰に、何を、言われたの?」
私はただ、首を横に振るしかできないのです。
「言えない? じゃあリィスは首を縦か横に振るだけでいいよ」
「?」
「僕の質問にそれで答えてくれればいいから」
笑顔が……笑顔が怖いです、ホーエスト様。
初めてです、ホーエスト様を怖いと思ったのは。
「誰かに何かを言われた。そうだよね?」
まるで確信を持っているかのような問いかけですが、ここで素直に首を縦に振るわけにはまいりませんから。当然私はふるふると首を横に振って――
「リィス?」
「っ!!」
――いられませんでした。
両手で優しく私の頬を包んで、真っ直ぐに見つめてくるブルーグレーの瞳は、唯一昔から変わらず輝きを放っているのです。
「言われたんだよね?」
「ぁ……」
「嘘をつくような口なら、ふさいじゃうからね?」
「!?」
それはどういった方法ででしょうか!?
とは、聞けない状況ですので。
ただいい笑顔のホーエスト様を目の前にして、私は固まって動けなくなってしまいました。
「……分かった。誰なのかまでは聞かないから」
そんな私に気付いたのか、小さくため息をつかれた後に先に折れてくださったのはホーエスト様のほう。
こんな時ですら、こんなにもお優しい。私が一番言えない部分を、こうして汲んでくださるのですから。
「だからねぇ、答えて? 何か、言われたんでしょ?」
「…………はい……」
せめて最後まで、そんなホーエスト様に応えられるような私でいたいのです。
(あぁ、けれど……)
この話題をホーエスト様が出されたということは、つまり。
(きっと、決定してしまったのでしょうね)
新しい、婚約者が。
私のような仮初ではなく、本物の。
だからこれはその事実を伝えるための、確認のようなものなのでしょう。
「それで? なんて言われたの?」
でしたらいっそ、必要事項だけをお話ししてお別れしたいと。そう思ってしまう私は、卑怯でしょうか?
ホーエスト様が手を離してくださったのをいいことに、目を合わせられない私はすぐに俯いてしまいますが。
「…………私たちの……」
「うん」
傷つくのが分かっている質問だからこそ、覚悟を決めて。強く両目を瞑って、両手でスカートをぎゅっと握って。
「私たちの婚約解消の発表は、いつのご予定でしょうか?」
勢いに任せて言い切った私の言葉に、ホーエスト様は――――。
「…………」
「…………」
無反応、でした。
(ど、どうしましょう……)
このまま私まで黙っているわけにもいきませんし、かと言ってもう一度口にしたい言葉でもありませんし。
恐る恐る顔を上げて隣を見上げた先で……。
「っ!?」
完全に表情を失くした状態のホーエスト様が、ただ静かにこちらに視線を向けていて。
初めて見たそのお姿にも、どう反応すればいいのか分からずに思わず見つめ合ってしまっていた時間は、果たして長かったのか短かったのか。
それすらもう、分かりませんでした。
ただ。
「…………は?」
その、一言だけを口にされると。
おもむろに立ち上がり。
そして、なぜか。
「っ!?」
まるで私を閉じ込めるかのように、両手をベンチの背もたれ部分に置き。さらには片膝まで座面について。
「ねぇ、今……なんて言ったの?」
冒頭の状況へと、至るのです。




