変わってしまった日常
「リィス」
私の名前を呼んで、手を差し出してくださるホーエスト様。
まだ幼い頃の私は、王城の中で何度か迷子になってしまったことがありました。そのたびに私を見つけてくださったのは、いつもホーエスト様で。
「僕はリィスがどこにいても必ず見つけてみせるよ」
幼い私の手を引きながら、歩みを合わせて並んでくださるホーエスト様は微かに口元を緩ませながら、そうおっしゃったのです。
そしてその通り、何度でも私を見つけてくださるホーエスト様に。毎回手を引いて、時には泣きそうな私の頭を慰めるように撫でてくださるその優しさに。
私は気付かぬうちに、恋をしていたのです――。
けれど。
「はぁ……」
自室で一人。
少々お行儀は悪いですが、ベッドに倒れ込むように仰向けに寝そべり。ようやく小さなため息をつくことができました。
ホーエスト様の成人の儀が行われたあの日、予定通り最初のダンスのお相手を務めさせていただいて。
けれどそれで最後だと思っていた私には、未だに何の沙汰も届いていないのです。
いつも通り。
周囲から見れば、そうとしか思えない状況なのでしょうね。
「仕方がない、のでしょうね」
そもそもホーエスト様がご自身の魔力を制御できるようになったからといって、何の前触れもなく婚約解消などできるはずがありませんもの。
おそらくはここから少しずつ、お茶会や夜会で浸透させていくおつもりなのでしょう。美しい第三王子殿下に、地味な令嬢は似合わない、と。
実際あの日のダンス中、周りにいらっしゃる皆様から痛いほどの視線が注がれておりましたから。ホーエスト様に向けられた好意的な視線に混じって、私に向けられる嫉妬と羨望の眼差しが。
「こんな色、だもの」
オリーブブラウンの髪をひと房つまんで、じっと見つめて。その色の濃さに、再びため息をついてしまいます。
お父様とお母様から頂いたこの色を嫌いだと思ったことは、一度だってありません。
それは、今でも変わりませんが……。
「ホーエスト様のバターブロンドの髪と並ぶには、相応しくありませんものね」
せっかくの成人王族としての最初のダンスなのに、光の筋が残りそうなほど光り輝くホーエスト様のお相手が、よりによって私では。
「皆様が納得できないのは、当然です」
本来であればもっと魔力量の多い、美しい令嬢がお相手するべきところでしょうに。
けれど同時に、誰もが思ったことでしょう。早急に第三王子殿下の婚約相手を変更するべきだ、と。
おそらく今現在、その選定作業が行われている真っ最中なのではないでしょうか。場合によっては、ご自身の娘を売り込もうとする貴族もいるでしょう。
少なくともこのまま本当に私がホーエスト様に嫁ぐことになるなどとは、どなたも思ってはいらっしゃらないでしょうし。
「私も、そんなことはもう考えておりませんもの」
変わってしまった日常が、今後どのように私の人生に影響してくるのかは、まだ分かりませんが。
少なくとも、もう……。
「ホーエスト様……」
こんな風にお名前を呼ぶこともできなくなる、その日が。
確実に近づいてきていることだけは、確かなのです。
誰にも知られることのない、胸の痛みを抱えながら。
私はただ粛々と、審判が下される日を待ち続けるのみ。
ホーエスト様への恋心を手放すための、心の準備と気持ちの整理を始めながら。




