はい、ここに居ますよ
注文したエスプレッソを飲みながら、俺が愛美と博之の質問攻めを上手く躱していると、同じ学校の制服を着た集団が入店してきた。
かなりの大所帯で、ガヤガヤと店内がにわかに騒々しくなる。
その中にサヤの姿を発見した時は、エスプレッソを吹きそうなくらい驚いた。
一瞬目が合い、サヤも驚いた表情を見せる。
その反応からして俺を追いかけてきたのでは無さそうだ。
家の中では常に俺にベッタリでも、やはりアイドルという自覚もあって、外で軽率な行動は絶対にしない。
大方、周りの連中が、普段テレビでしかお目にかかれない芸能人とお近づきになりたくてサヤを誘い、サヤも特に断る理由は無いので快く応じたというのが顛末だろう。
まさか入った店で偶然にも俺と出くわすとは、思いもよらずに。
何という運命の悪戯。
良く見るとサヤを取り囲んでいるのは、いずれもスポーツやらテストの成績やらで有名な生徒ばかりだ。
「いやー空いててラッキーだったね。ちゃんと全員座れるし」
「私、紫苑さんの隣に座りたーい」
連中は俺達には目もくれず通り過ぎると、サヤを警護するSPのように奥の席へと誘導した。
それからこちらにまで聞こえるような大声で「紫苑さんはどこ住んでるの?」「プライベートはどんな感じなの?」「他のマジセプのメンバーとの関係は?」「連絡先教えてー」と次々とサヤに質問を浴びせる。
ああいうタイプの人間は、あまり遠慮というものを知らない。
俺達三人は、ただそれを傍観するだけだった。
「ちょっと水輝。どういう事なの?」
と、さっきからずっと黙っていた愛美が口を開く。
「は、何が?」
「『何が?』ってとぼけるでない。サヤちゃんが来るなんて、まさかアンタ呼んだ?」
「んな訳ないだろ。頼むから絶対に余計な事は言うなよ」
「だが気をつけた方が良いぞ水輝」
博之が小声で忠告をする。
「あの連中は女子はともかく、女癖の悪い男子が何人か紛れて込んでいる。神崎がお前以外の男に靡くとは思えんが、もし軽薄な男に付きまとわれたら良からぬ噂を流されるかもしれないし、お前達の関係がバレる危険もある」
「そうか。まあでもサヤもその辺は気をつけているだろ」
確かに俺も先ほどから気になってはいて、殆どは馴れ馴れしくも友好的な態度だが、中にはあからさまに下心丸出しな男も目につく。
しかし普段からファンに囲まれるのに慣れているサヤなら、友達になってはいけない相手の区別はちゃんとついている筈だ。
「やけに信頼しているな。まあ昔から神崎は水輝以外の男は眼中に無かったしな。これも愛の力ってヤツか」
「何言ってんだ。そんなんじゃねえよ」
「『何言ってんだ』はこっちの台詞よ。アンタこそサヤちゃん一筋だったでしょうが。この十年間どんな女が近づいてきても、見向きもしなかったのはどこの誰でござるか?」
「だからそれは……」
俺は返答に窮した。そこへ博之が、
「さすがは将来を誓い合った仲なだけはあるな」
「お前ら、いい加減にしろよ」
その時、奥の席からこんな声が聞こえてきた。
「ねえねえ紫苑さんって付き合ってる彼氏とか居るの?」
「「はい、ここに居ますよ」」
まるで申し合わせたかのように、博之と愛美が同時に俺を指差す。
「オイやめろ! 向こうに聞こえるだろうが!」
「水輝の声が一番大きいでござるよー」
「そうだな」
「こ、こんの野郎共は……」
本当はもっと反論したかったが、今サヤの近くで騒ぐのは危険すぎる。
一刻も早く店から出なければ。
「とにかくこれ以上お前らの戯言に付き合っている暇はないから、俺はそろそろ――」
「ごめんなさい皆。これから仕事の打ち合わせをしなきゃいけないから、私もう行くね」
俺の声を遮るように言葉を発したのは、他の誰でもないサヤだった。
両手にスマホとバッグを持ち、慌てた様子で立ち上がる。
「えーまだいいじゃーん」
「さっきは時間あるって言ってたのにー」
口々に不満を漏らす生徒達に、サヤは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「本当にゴメンね! 急にマネージャーからメッセージで呼び出されちゃったの」
言いながら、スマホを掲げてメッセージが来たことを示唆する。
生徒達は落胆しながらも「そっかーなら仕方ないねー」と概ね納得した様子。サヤは「じゃあまた今度ね」と手を振りながら足早に出口へと向かう。
そして俺達の横を通りがかった際、不意にこちらを向いて意味深に微笑みかけた。
それを見て俺は、メッセージが来たと言うのは嘘なのだと悟った。
重ねて言うが、サヤは外では非常に慎重な性格だ。きっと俺に迷惑をかけまいとして、咄嗟に一芝居うったのだろう。
サヤに気を遣わせてしまい、俺は不甲斐ない気持ちになる。
「ん? おい水輝。足元に何か落ちているぞ」
「へ?」
博之が指差す方向には、つい今しがたまで無かった筈のハンカチが落ちていた。
拾うと片隅にSAYAKAという刺繡が入っているのが目に入る。
「そのハンカチ、サヤちゃ……紫苑さんが落としていった物じゃない?」
愛美は慌てて声を抑えて言い直したが、手遅れだった。
「え? 紫苑さんが落としたハンカチ?」
サヤが居なくなって店内がにわかに静かになった事により、奥の席の連中にも声が聞こえてしまったのだ。
次の瞬間には、目の色を変えた一同がこちらに殺到してきた。
「ねえそれって紫苑さんの物なの?」
「もっと良く見せて!」
「ちょっと俺に貸してみろよ!」
まるで屍肉に群がるハゲワシである。
「それよりも水輝。早く届けに行った方が良いぞ。今から追いかければすぐに追いつけるだろうからな」
詰め寄る生徒達を無視して博之が俺に言う。
一瞬躊躇したが、むしろここで行かない方が返って不自然だろうと思い、「そうだな」と言って立ち上がった。
ところがそこへ再び生徒達がしゃしゃり出てくる。
「それなら俺が届けてあげるよ。それを渡してくれ」
そう言って真っ先に前に出てきた男には、見覚えがあった。
三年のバスケ部の主将で、顔と運動神経は良い一方、女をとっかえひっかえしまくっていて、最もサヤに近づけたくないタイプだ。
先ほどもサヤに一番馴れ馴れしく絡んでいたのがこの男だった。
「一人だけじゃ危ない、俺もお供します!」
「じゃあ僕も行こう!」
「なら私も一緒に!」
「俺も俺も!」
バスケ部主将が出てきたのを皮切りに、矢継ぎ早に他の連中も名乗りをあげる。
「オイオイ、アンタら……鬼ヶ島に鬼退治に行く訳じゃないんだぞ……」
ハンカチの魔力、げに凄まじき哉。
「フッ……どうせ君はハンカチを渡して紫苑さんと仲良くなりたいだけなんだろ? そんな不純な動機で行かせる訳にはいかないよ」
ウーム……。
はい皆さん。こういう時は何と言うか、わかっていますね?
お・ま・え・が・言・う・な!
この男がサヤを口説こうとしていた光景を思い出すと、無性に腹が立ってくる。
「不純ってアンタは違うのかよ。住所とか電話番号訊きまくってたクセに」
「ぐっ……ひ、人の会話を盗み聞きするとは、あまり良い性格とは言えないね!」
これまた見事なブーメラン。アンタよりはマシだよ。
どうやら彼は鏡を見た事が無いらしい。
「そりゃあれだけ大声で話してりゃ耳でも塞がない限り、嫌でも聞こえるって」
「な、何だとォ!」
「水輝。いいからアンタは早く行きな。ここは私達に任せて」
「ああサンキュー」
俺は愛美と博之が生徒達の前立ちはだかった隙に、すかさず脇をすり抜けて店を出る。
愛美は無償で助ける事はしないが、この状況を作ってしまった事への償いのつもりなのだろう。
「オイ待て!」
背後で何やらギャーギャー騒いでいるのが聞こえる。
もし追いかけて来ても、俺は誰にも渡すつもりは無かった。
そう――仮にどんな男が来たとしても、《《絶対に誰にも渡さない》》。
渡してたまるか。
「……ウン?」
後を追う途中、スマホにサヤからメッセージが届いた。
『おやつにクッキーを焼くから、早く帰ってきてねっ♪』
もしかしなくても、ハンカチを落としたのはわざとだったのか?
……念の為、最後にもう一度だけ言うが、サヤは家の外では至って慎重な性格である……多分。