本当に用意がいいな……
マジカル・セプテットのライブが終わったその日の夜、俺は客室にある露天風呂に入っていた。
ライブの余韻に浸りながら眺める星空は最高に格別――な筈なのだが、あいにく天気は曇りで見えなかった。
まったく空気の読めない天気だ。
しかもこの部屋、さっき調べてみたら掛け軸の裏に変なお札が貼ってあった。
まさかとは思うが以前、誰かがこの風呂で入水自殺でもしたのだろうか。
そんな風に想像すると、サヤの父親と再会したり、マジセプのメンバーと会話したり、ステージで踊るサヤを間近で見たりと、良い事づくめだった今日という日が、最後の最後で台無しである。
「はぁ……それにしても、今日のサヤは本当に綺麗だったなー」
煌びやかな衣装で歌って踊るサヤは、家で一緒に過ごす時よりもずっとオーラというか貫禄があって、彼女がアイドルである事を改めて実感した。
残念ながらライブが終わっても忙しいこともあって、直接会うことは出来なかったが、電話で労いの言葉を伝えた。
「家では理想的な女性のように振る舞うし、仕事は完璧にこなす。本当に欠点らしい欠点が無い、良く出来過ぎた彼女だよな……」
「ありがとう。みーくんにそう言ってもらえると嬉しいなっ」
「え?」
誰に向かって言ったものでもない呟きに、背後から答える声があった。
振り返るまでもなく誰の声なのかわかったが、その人物がここに来ることは全く想定してなかった。
まさかサヤがタオルを一枚だけ纏った姿で、後ろに立っているなんて。
「わ、サヤ!? な、何でここに?」
だが目の前の光景は紛れもなく本物だった。
「ちょうどさっきロビーで愛美ちゃん達と会って、みーくんがお風呂に居るって聞いたから、私も一緒に入ろうと思って」
「いや、いくら何でもいきなりはヤバイだろ。若い男女が二人きりでそんな事……」
幼い頃はお互いの裸を普通に見合っていたし、恋人同士だからそれほどおかしな事でもないかもしれないが、こういうのは心の準備が必要だ。
「大丈夫だよ。ちゃんと水着つけてるから」
その言葉通り、タオルをはだけると、下から以前、着ていた水着が現れた。
「用意がいいな。でもサヤは良くても俺は丸裸なんだよ」
「そう言うと思ってみーくんの水着も持って来たよ」
「本当に用意がいいな……」
水着なんて簡単に手に入るものじゃないのに、かなり前から準備していたものと思われる。
受け取った海パンを穿こうとしたら、更にある事を発見した。
「ん? この海パンって去年、俺が買ったヤツじゃないか?」
「うん。家を出る時にお義母様が渡してくれたの」
「……本っ当、用意周到過ぎて怖いくらいだな」
要するに同じ旅館に泊まるとわかった時点で、一緒に入るつもりだったのね。
背後でサヤが風呂に浸かる水音が聞こえ、少しずつこちらまで近づいてきて、すぐ後ろで止まる。
「いきなり入ってきちゃってゴメンね。でもどうしてもまた昔みたいにみーくんとお風呂入りたかったから」
「……ま、まあ別に嫌じゃないけど」
こうして一緒に入るのは10年ぶりくらいだ。
さすがに水着姿でも恥ずかしいので、俺達はお互いを見ないように背中合わせで語り合った。
「今日はライブに来てくれてありがとう。サトちゃんから聞いたんだけど、他の皆とも会ったんだってね」
「ああ」
「皆、みーくんのこと褒めてたよ。優しそうな人だって」
「へえ光栄だな、俺の方は中々率直な意見を貰ったけど」
特に伊吹鈴夏には。
「みーくんが来てくれたおかげでいつもより頑張れた気がするよ」
「良かったな。今日のサヤは凄く綺麗だった」
「嬉しい!」
「観客の熱狂も凄かったな。あんなにサヤの事が好きなファンが居るんだと思うとちょっと気後れしたよ」
「何言ってるのみーくん。言ったでしょ、どれだけ大勢のファンが居ても、私はみーくんだけのものだって」
「ああ、そうだよな」
以前は俺達の関係がおおやけになったらどうしようとビビッたりもしたが、最近はあまり気にしなくなった。
たとえどんな状況になろうと関係が変わる事はないのだから。
防刃ベストは必要になるかもしれないが。
「ねえ、みーくん」
「ウン?」
「ビキニの紐が解けそうなんだけど……結び直してくれない? 自分じゃ鏡を見ながらじゃないと上手く出来なくて……」
……関係がおおやけになる事は気にしなくなったが、さすがにこういうのにはまだ耐性がついていなかった。
風呂から上がると、愛美達は既に部屋に戻っていた。
「ああ水輝、アンタ達が風呂入ってる間に、なんかスマホに着信あったわよ」
愛美が俺の旅行バッグを指差して言う。
スマホの履歴を確かめると母からだったので、折り返し電話をかけてみた。
待つ間、どことなく不穏な予感がした。
「ああ母さん。電話したみたいだけど何かあったのか? ……え?」
その知らせを聞いた途端、全身の血の気が引いていくのを感じた。
「どうしたのみーくん?」
俺の異変を察したサヤが心配そうに訊ねる。
「母さんが階段から転んで落ちたって……」
「え」
瞬間、部屋の空気が凍り付く。
父さんの件を知る、愛美や博之までもが深刻な面持ちでこちらを見る。
「……それで、容態はどうなの?」
「それが……腕と脚の打撲だけでピンピンしてるって。今、本人と電話してるけど凄く元気そうだった」
「……え」
母曰く、家の階段の5、6段辺りから転倒して全治一週間程度の打撲を負ったものの、幸いにも頭は全くぶつけなかったという。
この後「紛らわしい電話をかけてくるな!」と怒ったのは言うまでもない。




