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みーくんは地球だよ

 突然だが俺は中学生の頃まではスポーツが得意で大好きだった。

 ところがある出来事をきっかけに、その気持ちを失くしてしまう。

 だから体育祭で皆が盛り上がっているのを、俺は何となく冷めた気持ちで眺めていた。

 ただ唯一、サヤが出場していた徒競走だけは真面目に見ていた。

 もちろん一位だった。

 観衆の盛り上がりも尋常でなく、サヤがゴールした時は俺も嬉しかった。

 それから借り物競争、障害物競走、パン食い競争、ハードル走、騎馬戦とやって、そしてあっという間にトリのリレーが始まる。


「いよいよ俺達の出番だな水輝」


 隣で出番を待つ博之が話しかけてきた。

 この男もリレーに出場するメンバーの一人である。


「ああそうだな」

「何だか随分と時間の進み具合が早い気がするのだが気のせいか?」

「……ああそうだな」


 だってこれと言って特筆すべき出来事が無かったもの。

 強いて言えば借り物競争の時に、やたら選手がサヤの物を借りようとした事くらいか。

 俺にとって関心があるのは、香坂のチームを勝たせない事だけである。

 こういうのは柄じゃあないが、ここは男らしく「俺の女には手を出すな」的な行動をとらなければ。


「ようし博之、何としても一位になるぞ!」

「いつになくやる気満々だな。しかしお前の個人的な都合で他人を巻き込むのはどうかと思うぞ」


 博之には事情を説明して協力するよう頼んであるのだが、冷たくあしらわれている。


「頼むから協力してくれ! 一位になったら豪華な賞品が貰えるんだろう」

「悪いが俺はそんな物には興味が無い。そもそもこういう学校行事そのものが好きになれんのでな」


 やっぱり性格悪いなコイツ。

 まあ俺も香坂の件がなければ一緒だったから、他人の事は言えないのだが。


「手を抜いたら愛美がブチ切れるぞ」

「……それは少し怖いが……ともかく俺は俺の自由にやらせてもらう」


 もう箸にも棒にもかからないって感じだ。

 ならば最後の手段に出るか。


「じゃあこれでどうだ? お前が協力してくれたら俺とサヤがイチャイチャしているところを好きなだけ見せつけてやる!」

「……その言葉に二言は無いか?」

「ああ、約束する」

「いいだろう協力してやる。大親友が困っているのならば助けるのは当たり前だからな」


 どの口が言うんだ。

 博之は前々から俺とサヤがイチャつくのを観たがっていたから、乗ってくるのはわかっていた。

 サヤに断りなくこんな約束をするのは良くないのだが、状況が状況だし、理解してくれるだろう。


 さて、他のクラスを観察してみよう。

 香坂のクラスには、首位になると豪語していただけあって陸上部が二人居る。

 ただこちらもクラスで特に運動神経が良いメンバーを集めているので、戦力差はそれ程でもない。

 中にはどの運動部にも所属していない俺が出場する事を懸念する声もあったが、強引に押し切った。

 ちなみに意外かもしれないが、博之はサッカー部に所属している。

 いよいよ開始の時が来て、ランナーは配置につく。

 都合の良い事に、香坂は俺と同じアンカーだった。

 既に自分が一着になるのを確信しているのか、勝ち誇った顔をしている。


 サヤの事を散々バカにした落とし前はきっちりとつけさせて貰う。

 今の俺は自分でも意外なくらい強気だった。

 ふと観客席の中からサヤの姿を探すと、向こうもこちらをジッと見つめていた。

 目が合った瞬間、その唇が「がんばれ」と動くのがわかり、俺は頷く事で返事をした。


「えーそれでは位置について、よーい……」


 直後、スターターピストルの音が鳴り響き、ランナーが一斉に走り出す。

 試合は俺が予想した通り、僅差で香坂のクラスが首位、次いで俺達のクラスが追従する展開となる。

 次第に香坂の表情にも焦りが見えてくる。

 そのまま殆ど差が開かないまま、俺の所までバトンがきた。

 香坂に一瞬遅れてバトンを受け取った俺は、全速力で駆け出す。

 陸上部には劣るものの、香坂もかなりの俊足で、観客席からは彼のクラスの声援が大きくなる。

 だが――


 ――結論を言うと、先にゴールしたのは俺だった。

 香坂は確かに速かったが、それ以上の速さで俺が追い抜いたのだ。

 ほんのごく一部を除き、クラスメイトを含めて観客は一様に驚いていた。


「あの男子は誰だ?」

「陸上部と殆ど変わらないくらい速かったんじゃないか」


 そんな声がチラホラ聞こえてくる。

 香坂に至っては何が起こったかわからず茫然自失の体だった。

 “ごく一部”というのは無論、愛美と博之、そして――サヤの三人の事である。

 ゴールした時、俺はこっそりサヤに向かって口パクでこう伝えた。


「好きだ」




「そう、中学三までは俺陸上部だったんだよ。短距離で結構良いタイム出しててさ、有名な高校からも注目されるくらいだったんだ」


 香坂に一泡吹かせた後、サヤと一緒に帰宅した俺は、約束通り過去に何があったのかを話し始めた。


「サヤには自慢にもならないけど、ちょっとしたスポーツ誌から取材を受けた事もあったんだぞ。だからブランクがあってもリレーであれだけ速く走れた」

「みーくんは幼稚園の頃から足が速かったよね」

「ああ」


 中学時代にそこそこモテたのも、そのおかげで、まさにサヤが良く知る「格好良いみーくん」の全盛期といった感じだった。


「でも……ちょうど二年前の今日、父さんが事故で死んでからは若手選手にありがちな挫折を経験した」


 あの日、父が駅の階段から転落して病院に運ばれたという知らせを聞いた時、俺は部活をしていた。

 医者に聞いたところ、そこまで深刻ではなさそうだと母が電話で言っていたのと、大会が近かった事もあって、俺はそのまま練習を続けた。

 しかし父はそのまま帰らぬ人となる。


 一時的に意識が戻った時もあったらしく、部活などせずにすぐに病院に行っていれば何か話せていたかもしれないと思うと、自責の念を禁じ得なかった。

 それ以降、俺はスランプに陥り、大会でも散々な結果に終わった。

 そのままスランプから脱却出来ずに部活も辞めて、それまでの「格好良いみーくん」から、現在の情けない自分になったという訳だ。


「本当は父さんと話せなかったのも部活を辞めたのも、もう今はある程度心の整理がついているんだ。今更後悔してもどうしようもないし。ただ……一つだけ気になるのは、俺からスポーツを取ったら何が残るんだろう? って時々考える事があって、それが未だに心のどこかで引っかかっているんだ……」


 人間の行動原理について心理学者のバラス・スキナーは、失敗した経験がある人は、もう一度同じ事を繰り返すのを恐れる傾向があると言う。

 オペラント条件付けと呼ばれるもので、俺も挫折を味わってからは、随分と臆病な性格になってしまい、サヤからの好意を素直に受け取れない理由もそれだった。

 俺の話をずっと黙って聞いていたサヤは、いっときの間、目を閉じると決然とした表情でこう言った。


「みーくんからスポーツを取っても……私が残っているよ。言ったでしょ、どんなみーくんになっても、私は大好きだって」

「ありがとう、俺もだよ。まあ俺とサヤとじゃあ月とスッポンなカップルだけどな」

「ううん。スッポンじゃなくてみーくんは地球だよ」

「地球?」


 言葉の趣旨がわからず、首を傾げる。


「ねえ知ってる? 地球の衛星って月しかないんだよ」

「ああそれは有名だよな」


 火星にすら2つの衛星があるのだが、地球には月だけしかない。


「この気が遠くなるような広い宇宙の中で、たった一つだけ地球に惹かれる星――私はみーくんの月になりたいんだ」


 日本中に大勢のファンが居る月に惹かれるなんて、何とも贅沢な地球だ。


「私、みーくんの月になれるかな?」

「……もうなってるよ」


 何故かはわからないが、サヤに話した事で、今まで俺の胸に残り続けていたわだかまりが解けていくような気がした。

 十年前に母親を亡くしたサヤも、こんな気持ちだったのだろうか。


「そう言えばサヤ、徒競走で一着になったんだよな、おめでとう」

「えへへ、ありがと。クラスはビリだったから、賞品は貰えなかったんだけどね」

「じゃあ代わりに俺が何かあげようか。何か欲しい物はあるか?」

「……何でもいいの?」

「ああ、いいよ」


 まあ訊かなくてもサヤが何を望むかは予想がついていたが、拒否するつもりは毛頭なかった。


「じゃあキスして?」

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