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いっぱいキスしようね?

 翌朝。

 何だかいい夢を見ていた気がするが、身体を揺さぶられる感覚で目を覚ました。


「みーくん、朝だよ。起・き・てっ……」


 ……いや、どうやらまだ夢の中にいるらしい。

 だって全国の男子の憧れの的であるアイドルが、甘い囁き声で俺を起こしてくれるなんて、ある筈がないもの。


「早く起きないと――キスしちゃうぞ?」

「――ッ!?」


 慌てて飛び起きると、目と鼻の先に紫苑紗花の顔があった。

 夢じゃなかった。


「おっはよー、みーくんっ♪」

「ああ……」


 全国の男子の憧れの的が、目の前で微笑んでいる。

 その女神のような笑顔に見惚れてしまい、気の抜けた返事しか出せなかった。


「な、なあ。念の為もう一度確認しておきたいんだが、本当に小一の頃まで隣に住んでたサヤなんだよな?」

「うん! みーくんのお嫁さんになる為に帰って来たんだよ!」

「いや……」


 確かにこんな事を臆面もなく言えるのは本人以外にいない。

 あんなに幼かったサヤがこんなに綺麗になるとは、みにくいアヒルの子もびっくりだ。

 まあアヒルの子と違い、あの頃から贔屓目抜きにしてもそれなりに容姿は整ってはいたが。


「懐かしいよねー。昔は良くこのベッドで一緒に寝てたんだよね」


 不意に、俺に覆い被さるようにして、サヤがベッドに倒れ込んできたので咄嗟に身を引く。


「“昔は”な」

「また一緒に寝てみない?」

「……起こしに来たんじゃなかったのかい?」


 昨日あれから色々と話を伺うと、中学生の頃に事務所の女社長にスカウトされ、それがきっかけで親が再婚したのだとか。

 何とも漫画みたいな話だが、今の状況に比べたら大した事ではない。

 それからサヤは引っ越した後も、俺の事は母親から電話で逐一聞いており、最近の状況なども詳しく知っていたらしい。


 何で俺にずっと黙っていたのかと訊ねたら「みーくんに相応しいお嫁さんになるまで秘密にしておきたかったの」だと言う。

 何とも壮絶な花嫁修業だな。

 相応しいどころか逆に俺の方が釣り合わなくなっちゃったんですがそれは。

 などと考えながら相手をまじまじと見つめていると、突然その顔がグッとこちらに近づいてきて――


「ねーねぇ、みーくん。おはようのキスしてもいーい?」


 ――寸前で止まった。

 お互いの額が密着し、吐息が唇に触れて全身に激震が走る。


「あ、あれ? でもさっきは起きないとするって……」

「うん、あれはお仕置きのキス。で、こっちはおはようのキスだよっ」


 結局どっちに転んでもするんですね。


「ね、いいでしょ?」

「いやマズイって。とにかく離れろよ」


 俺は必死に平常心を保って、サヤの両肩を掴んで押し戻す。


「どうして? 昔はいつもしてくれたのに……」

「あの時は子供だったからさ、今のサヤは仮にもアイドルなんだぞ。しかも日本全国にファンが居る」

「そんなの関係ないよ。たとえどれだけ大勢のファンが居たとしても、私はみーくんだけのものだよ?」


 思わず理性が水平線の彼方に飛んでいきそうな発言。

 そのまま太平洋を越えて自由の女神にHELLO(コンニチハ)しそうだ。

 困り顔で切なそうに言うところがまた……。


「この十年間、会えなかったけどずっと大好きだったの……」

「ああ、何度も聞いたよ」


 ただやはり俺も一ファンとして、彼女の心を独占するのは他のファンへの遠慮の気持ちが働いてしまう。


「それに夫婦ならこういう事するのは当たり前でしょ?」

「あのーすいません先生。いつから俺達は夫婦になったんでしたっけ? 恋人にすらなってないのに」

「あぅ……そ、それは……まだだけど……でもでも! だったら今からなればいいんだよ!」

「じゃ、少なくともそれまでは普通に接しようじゃないか。物事には順序ってもんがあるんだからさ」

「ううぅー……」


 涙目になりながらも、サヤは反論出来ないご様子。

 若干罪悪感があるが、俺には俺のペースというものがあるのだ。

 再会したばかりで、今はまだ彼女の気持ちに応えられる自信がない。


 今は――だが。


 それでもあまりにサヤが意気消沈していたので、頭の上に掌をポンと置いて慰めてやった。


「まあそう落ち込むなって。別に焦る理由なんて無いだろう? 時間なんていくらでもあるんだから。あれからサヤが何をしていたのか、もっと色々と聞かせて欲しいな」

「う、うん!」


 ついでに軽く撫でてやると、サヤも少しは元気を取り戻したようだ。

 昔もサヤが落ち込んでいた時は慰めていたが、あの頃と全然変わっていない。

 俺の事が大好きなところも。


「じゃあまず恋人同士になってから……いっぱいキスしようね?」

「……そろそろ着替えるから外で待っててくれないか?」


 涙目と上目遣いの二段攻撃に耐えきれず、フイとそっぽを向く。


「わかった。でもその前に――」


 チュッ。


 突然、右の頬に柔らかい感触が伝わった。

 振り向くと視界に飛び込んできたのはサヤの桜色の唇。


「今は頬っぺだけで我慢するねっ。じゃあ私リビングで待ってるから!」

「ああ……」


 ウインクしながら軽やかな足取りで出ていく姿を、俺は茫然と見守っていた。

 キスされた頬に触れると、微かに濡れている。

 やっぱりこれは夢なのかもしれない。

 もしそうなら、むしろ一生覚めないで良いと思う。


 俺が何故、あんなに紫苑紗花に惹かれたのか、何となくわかった気がする。

 サヤは十年間ずっと俺を想い続けていたと言うが、多分、俺の方も……。


「とりあえず今日は顔を洗わないでおこう」

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