アイドルは恋愛禁止なんてもう古いんですよ
夕方、仕事から帰ってきたサヤが知らない人を連れて来た。
若い大人の女性だ。
凛としたクールな容姿に、ネイビーブルーのパンツスーツをバッチリ着こなしている。
「どうも初めまして。私、こういう者でございます」
そう言って差し出してきた名刺には『○○プロダクション 矢吹葉子』と書かれてある。
どうやら彼女はサヤが所属する芸能事務所のマネージャーらしい。
「実は今回、お伺いしましたのは弊社に所属する紫苑紗花が日頃お世話になっている同居人の方々へのご挨拶と、彼女のプライベートに関して、少々お話ししておきたい事がありまして」
その話を母ではなく俺とサヤに向かってするという事は、用件は二人の関係についてだろう。
サヤのイメージダウンに繋がるといけないので、釘を刺すつもりか。
「いえいえ、そのようなつもりは全くございません。ウチはそういう事に関しては比較的寛容ですので。むしろメンバーがお仕事とプライベートを両立出来るように全力でサポートするのが我々の方針です」
予想とは裏腹に、極めてまともな事を言っている。
いや、ただ俺の考えが堅苦しいだけなのかもしれない。
「だいたいアイドルは恋愛禁止なんてもう古いんですよ。弊社は古い習慣を排除しようと言うのがモットーです。マジセプはメンバー全員が高校生ですからね。遊びたい年頃に色々と束縛すればお仕事にも悪影響を及ぼすでしょうし、ハメを外し過ぎて非常識な行動をとらない限り、比較的自由にさせています。それに真剣な交際ならば文句を言うファンもそう多くないでしょう。マジセプのファンの殆どは同じ高校生ですから、若い人達はその辺は比較的寛容なんですよ」
「そうなんですか？」
俺の質問に、マネージャーの人ははっきりと頷く。
「ええ、今時『異性とは付き合うな』なんて言う人は“そんなバナナ”って感じですよ」
……ん？
気のせいか。今何か変な言葉が聞こえたような――
何と言っていいかわからず、戸惑っているとマネージャーの人は、
「おや？ 反応が鈍いですね。最近の子にはこのギャグは“わけわかめ”でしたか？」
さっき「古いものは排除する」って言ってた気が……。
「まあ何はともあれ、お二人もあまり周囲の目は気にせず普通にデートとかした方が良いと思います」
「だってさ、良かったねみーくん！」
それを聞いてサヤは、嬉しそうに俺の腕に抱き着いてくる。
まるでこの話を俺に聞かせる為にマネージャーを連れて来たようだ。
聞くところによると、サヤはこのマネージャーの人に、俺達が将来を誓い合った仲――ただし子供の頃――である事まで洗いざらい話しているらしく、もし本当に結婚するのなら事前に事務所に知らせて欲しい、と言われた。
そうは言っても、今の時点ではまだ何も決まっていないのが実情だ。
まだ高校生だし、大学にも行きたいし、サヤはともかく俺には収入が殆ど無い。子供の頃の約束を果たすには、クリアしなければならない条件が多すぎる。
それにまず第一段階として、俺達はまだ正式な恋人関係にはなっていない。
原因は全面的に俺にある。
サヤがグイグイ来るのと、大勢のファンが居る人気アイドルである為、どうしてもビビッてしまうのだ。
さすがにこれ以上、煮え切らない態度を続けるのは、サヤに申し訳ないのでそろそろ覚悟を決めなければと思っているのだが……。
その翌日の夕方、俺は長時間ソファに座ってテレビを見ていたせいで固くなった身体をほぐしていた。
「痛たた……腰が痛え……」
ちょっと身体を捻っただけで、腰に鈍い痛みを感じる。日頃からあまり姿勢が良くないのも原因の一つだろうか。
この若さでこんな調子なら、三十代くらいでもう介護が必要になるかもしれない。
「みーくん、腰が痛いの？ また私がマッサージしてあげよっか？」
隣に座っていたサヤが申し出てくる。
「ん、いいのか？」
「うん！ 私がやればすぐに良くなると思うよっ」
確かにこの前のマッサージはかなり効果があった。
それにまたあの感覚を味わってみたい気持ちも湧いてくる。
いや別にまた腰に跨って欲しいとかそういう下心は断じてない。
「そうか。ならまたやって貰おうかなぁ」
「はーい！」
ところがサヤがマッサージを始めた直後、思わぬ邪魔が入る事になる。
「でもサヤちゃん、そろそろ仕事に行く時間じゃなかったっけ？」
キッチンで夕食の支度をしていた母がいきなり現れて、サヤにそう告げた。
それを受けてサヤは「あ、そうだった。ゴメンねみーくん」と言ってマッサージを中断し、外出の準備をしに自室に引き取った。
一人取り残された俺はと言うと、肝心なところで水を差した母に「余計な事しやがって」と言いたげな目で睨む。
「なーにその目は？ マッサージなら私がしてあげよっか？」
「要らねえよんなもん」
「そんな事言ってぇ、腰が痛いんじゃなかったの？」
「いや、何かもう治ったわ」
本当はまだ痛むのだが、もうこの前の二の舞はごめんだ。
この母親は人が楽しんでいるところに、水を差してからかう悪癖がある。
そんな人の思い通りになんかさせるか。
ところが俺が決意を固めていたところに、期せずしてサヤが戻ってくる。
「ごめんなさい、お義母様。今マネージャーに確認したら今日はいつもより一時間後に集合だそうです」
「あらそうだったの」
その知らせは母にとっても俺にとっても予想外のものだった。
「はい、だからみーくん。マッサージする時間なら十分にあるよっ」
「それがねサヤちゃん。何だかもう水輝は腰の痛みが治ったそうなのよ」
――ッ！？
「え、そうなのみーくん？」
「へ、え？ あ……は、はい……」
しまった。
自分がついた嘘のせいで墓穴を掘る事になるとは。
母がこっそりとほくそ笑んでいるのが最高に腹立つ。
「わかった。じゃあお仕事に行くまでちょっと仮眠をとりたいから、みーくん膝枕してくれない？」
「ウン？ 別にいいけど」
何気なくそう言うと、サヤは「ありがとっ」と言って、コテンと俺の膝に頭を預けた。
この前とは逆のポジションだ。
「ふにゃぁ……みーくんのお膝……気持ち良いよぉ……」
やがてくぅくぅと可愛らしい寝息をたて始めたサヤを見て、結果的にマッサージは無くなっても、この寝顔を眺めるのも悪くはないな、と俺は思った。
「チッ」
何か背後から母の舌打ちが聞こえる。
ＨＡＨＡＨＡ！ ざまあみろ！
