?.集落
数年前。車内にて。
燿は長い足と手を組んで女を見る。
女はそっぽを向いていた。
「さて、説明してもらおうか。」
「……。」
燿の問いかけに答える様子のない女。
派手な服に、髪。それらに目がいってしまいがちだが、
普通にしていればそれなりの上級なの顔立ち。
本人はそれを言われる事が嫌いな様だが。
「どうして白燈に手を出した。」
「煩いなぁ。燿には関係ないでしょ。」
そっぽを向いたまま、冷たく言い放つ。
燿はため息をついた。
この女は元から理解出来ない奴ではあったが、最近は度を超えすぎている。
野放しにし過ぎたか。
この女、迅李は人間とは思えない怪力の持ち主。
この怪力や異常な運動神経は、生まれつきである。
出身地はとある集落なのだが、その集落は現在幻と呼ばれている。
その集落に住む者は皆、この女の様な怪力の持ち主ばかり。
昔から人々に恐れられていたその集落は、
外の世界との繋がりを遮断しひっそりと生活していた。
その集落の者は怪力ではあったが、誰もが優しい心を持った人間だった。
人々はその集落のある山には絶対に近寄らず、いつしか“幻の集落”と呼ばれた。
…あの事件があるまでは。
「予定以外の行動をされては困る。
お前にとっても、こんな事をしたところでメリットはない。」
何を言っても反応せず、ただそっぽを向いて外を見ている。
こいつの生まれ、そして育った集落は文字通りある事件をきっかけに幻となった。
近くの村で暮らしていた子供が1人、山へ入ってしまった事がきっかけだった。
その母親は息子がいない事に気付き、慌てて村中を探した。
しかし、息子は見つからなかった。
その頃息子はあの集落のある山に迷い込んでいた。
歩き疲れた息子は、川のそばで座って休んでいた。
だがそれが、運の尽きだった。
山には野生の動物が腐る程いる。人間が入ってこないとなれば、尚更。
…熊が出たのだ。その山にいる熊の中でも上位のサイズだ。
そしてその熊は子熊を連れていた。不運の連鎖だった。
そこからは早かった。気の立っている熊に息子は襲われ、還らぬ人となった。
母親は無残な息子を見つけ、泣き崩れた。
そして何処の誰が言い出したのかは、分からない。
『あの、幻の集落だ。そいつらが熊に襲わせたんだ。』
元々そう大きくない村だった。
その話は瞬く間に広まり、例の集落を“殺人者集落”と呼んだ。
その頃そこで暮らしていた幼き迅李は、隣町まで遣いを頼まれた。
迅李は幼いながらも、集落の中で相当の怪力の持ち主だった。
もし迅李が居れば、集落は幻にならずに済んだのかもしれない。
その日は息を呑むほど、綺麗な夕暮れの日だった。
俺はその時遠出をしていて、休憩がてらに父と村を訪れていた。
すでに母とは別れ、親戚とも縁遠かった父。
本当に色々な所に連れて行ってくれた。
幼かった俺はその父の仕事にもよく付いていった。
警察関係者だった父親に現場にすぐ駆けつけるよう連絡が来た。
俺は車で待っている様に言われたが、こっそりと後をつけた。
…今でも、鮮明に覚えている。
真っ赤に染まった地面に、倒れている人々。
怖い、などとは思わなかった。むしろ、背筋がゾクゾクして…。
呆然とその景色を見ていた俺は、そこで迅李と出会った。
あの、何もかもに絶望した目。
結局その集落の人々を殺めた村人たちはまとめてお縄となった。
身寄りのなくなった迅李は、うちに引き取られる事になった。
「迅李。俺は今まで特にお前に何かを聞かせてきたわけじゃない。
人の道を外しそうにならない限り、特別お前に構わずやってきた。」
「……。」
ゆっくりと俺の方を向く迅李。
俺も真っ直ぐ目を見つめた。俺も迅李も、逸らす事はない。
「だが。俺が“やりたい事”を、お前も知らない訳じゃないだろう。
それを邪魔する様な事があれば…。」
立ち上がり迅李に近付いた。
迅李はピクリとも動かない。
そして静かに胸ぐらをつかんだ。抵抗はない。
「誰であろうと、容赦しない。」
微かに迅李の目元が動いた。
それでも何も言わず、抵抗もしない。
普段あれほど煩い迅李が、この様に静かになる時がある。
1つは“親父”がいる時。2つ目は“偉い大人たち”がいる時。
そして最近、俺の前でも話す回数が減ってきていた。
俺もその迅李の異変には気付いていた。
手を離すと座り直す迅李。俺も先程座っていた位置に戻った。
“黒埜”。俺にとって凄く重要な人物。
迅李がどうだろうと関係ない。
俺は俺のやるべき事を成し遂げるだけ。
車内には冷たい空気が流れていた。