5.裏表
その日の深夜。いやもう日付は変わっていたか。
俺は眠れず、ただじっと布団の中にいた。
あの後白燈も龍も普通に動けるまでに回復した。
アザは酷いものだったが、痛み止めもあるし綺麗に治るそうだ。
俺は結局、守られるだけで何も出来なかった。
最後には燿にまで守られて。
自分の手を見つめる。弱々しい手。何も出来ない手。
ぎゅっと強く握り締める。
少しずつ、握る力を強くしながらじっとその手を見つめていた。
すると全員寝ているはずの部屋の中から足音が聞こえた。
びっくりして手を握るのをやめると、爪の跡が出来て少し青くなっていた。
ゆっくりとした動作で周りを見渡す。
……白燈?
ようやく見つけた人影は、部屋を出て行った。
あの後ろ姿は、白燈だろうか。目を凝らしていたがはっきりとは分からなかった。
どうしても気になってしまい、俺も後を追って部屋を出た。
今度は玄関の方で物音が聞こえた。
行ってみると、本来閉まっているはずのドアの鍵が開いていた。
外に行ったのか?どうして?
少し悩んだが意を決してドアに手をかけた。手汗を感じる。
ゆっくりと力を入れると、ドアは開いた。
見慣れたはずの風景に少し、恐怖心を覚える。
門をくぐって施設外に出ると、遥か向こうを歩く白燈が見えた。
けどすぐに角を曲がってしまい、見えなくなった。
見失わない様にすぐに後を追った。
この道は…海へ向かっているのか。
気づかれない様にコソコソと後を付いてく。
辿り着いたのはやはり、海だった。
白燈は海辺の真ん中で立ち止まり、ただ海を見ていた。
かと思うと突然、そのまま歩き出した。
そのまま進んでしまえば、海に入ってしまう。
こいつ、何を考えている?
どんどん進んでついには、ひざ下くらいにまで海に入ってしまった。
俺はもう考えるより先に走り出していた。
白燈の腕を掴む。
『!!?黒埜!?どうして__』
『何やってる!!死にてぇのか!!』
夜の海は危険。暗くて何が潜んでいるのか分からない。
2人で揉み合いになり、白燈の両手首を掴んで押し倒した。
まだ上手く力が入らないのか。あっさりと白燈は倒れて、
俺はその上に覆いかぶさる様に倒れた。
2人ともびちゃびちゃだ。
またすぐに静まり返る。
『…こ、黒埜?どうしてここにいるの?』
『それはこっちの台詞だ。何してる。』
白燈の手首を掴む手が震えた。
咄嗟の事で反射で動いたが。……すごく、怖かった。
白燈を、失うかもしれないと。
やっぱり今日の事かな。俺のせいかな。死にたいと思っちゃったのかな。
身体まだ痛いだろうな。悲しいのかな。痛い以上に怖かっただろうな。
今までにないくらいに色んな感情が流れ込んでくる。
普段は見てるだけで腹が立って仕方ないのに。
どうしてこんなに考えてしまうのか。
すると俺の手からすり抜けた白燈の手が俺の頰を撫でた。
暴れたせいで、少し濡れている。
『…大丈夫。怖くないよ。』
『……。』
何に対して、誰に対して言っているのか。真意は分からない。
見えないこいつに、今何が見えているんだろう。
白燈の手を離して立ち上がり、海水の届かない所まで移動して座った。
白燈も俺の隣に座る。
『寝れなくて。…そしたらふと、海が見たくなって。抜け出すのはだめだって思ったけど、
バレなければ良いかなって…。まぁ結局バレてたんだけど。』
苦笑いをして申し訳なさそうに言う。
俺は白燈の顔をじっと見つめて、静かに視線を落とした。
『…黒埜?』
『……俺は、今日。何も出来なかった。守られてばかりで、動けなくて。』
ぽつりとこぼれた言葉だった。
返答はない。聞こえているか怪しいくらいの小さな声で。
本当ならこんな事言わない、言いたくない。普段なら絶対言わない。
けど、白燈の顔を見て…。溢れた言葉だった。
『…白燈も龍も怪我して。それでも俺を守ってくれて。
それなのに俺はっ…。動けなかった、動かなかった。
最後には燿とか言う奴にまで守られて。………俺は、』
青みが少しひいた手を見つめる。…何も守れない手。
俺は、この手が嫌いで。誰も守れないならと、1人を選んでいた。
大切な人を守れない俺が、大切な人を作るのはいけない事だと思ってた。
けどいつの間にこんなに周りに人が増えたんだろう。
特に深い関わりがあるわけじゃない、それでも大切になっていた。
ちゃんと避けていたはずなのに。
俺は、みんなが俺のせいで傷つく事が怖い。
『動けないくせに。守れないくせに。怖かった。2人が怪我をして、どうしようって。
さっきだって、白燈が俺の知らない顔で、
海へ歩いて行くから。…死んじゃうって。』
『…黒埜。』
白燈に腕を掴まれて、ハッとする。
話し出したら、止まらなくなっていた。
腕を掴まれて初めて、手が震えていた事に気付いた。
ゆっくりと白燈を見ると、白燈も俺を見つめていた。
目を閉じている事でより長く、存在感を主張しているまつ毛。
改めてその整った顔に、見惚れてしまった。
『黒埜が自分を責める事はないよ。僕は自業自得だし、
龍だって自分の意思で行動したんだ。それにこの行動に後悔だってしてない。』
じっと俺に顔を向けたまま話す。その手は温かかった。
…少し気を抜くと、涙が溢れそうだった。
そんな俺に微笑む白燈。
『黒埜がみんなを遠ざけるのは、“優しさ”だったんだね。』
『……は?』
優しさ?これが?
ただ傷付くのが嫌で、失うのが怖くて。
そんなただ臆病なだけの俺が、優しい?
『黒埜は大切な人が傷付くのが嫌で、自分は守ってやれないから。
みんなを避けたんでしょう?少なくとも自分が傷付ける事はないから。』
『……。』
『僕はそんな黒埜の優しさに引き寄せられてたのかなぁ。なーんて。』
静かな海辺に広がる小さな笑い声。
俺はただ黙っていた。
しばらく何を話すわけでもなく、座ったまま海を見た。
何時間ここにいたんだろう。
少しずつ辺りが明るくなっていた。
するとまた白燈に手を掴まれる。
顔を向けると白燈の顔がどあっぷだった。
びっくりして避ける事も出来ずに固まる。
額がぶつかり、優しい体温を感じた。
『…僕、黒埜が好きだよ。』
すると一気に辺りが明るくなって、固まっていた身体がビクッと跳ねた。
海の方を見ると、太陽が顔を出していた。
直感的に、思った。俺はこの景色を、朝焼けを忘れない。
白燈に向き直ると、白燈も海を見ていた。
思わず息を呑む様な美しい横顔。
きっと俺は海や朝焼けを見る度に、今日を思い出すのかもしれない。
彼の目には、その何も映さない目には。
何が見えているのだろう。
俺の視線に気づいたのか、こちらを向いて照れ笑いをした。
この時俺はどんな顔をしていたんだろう。
『……俺は、大っ嫌いだ。白燈。』
きっと白燈みたいに笑えていない。
歪で下手な、慣れない笑顔。