25.決行
鍵の開く音で目を覚ます。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
朝が早かったからにしても、こんな所で寝るなんて…。
気を締め直さないと。
「…食事が準備出来た。ついて来い。」
「…。」
外に出ると太陽はもう真上にいた。
どれくらい時間が経っただろう。眩しくて少しくらっとする。
そんな俺なんてお構いなしに燿はさっさと階段を降りていく。
一体何処で食うつもりなんだ?
着いたのはさっきのステンドガラスのある教会の中。
「そこの椅子に置いてある。」
それだけ言うと燿はその反対側に座る。
お互いステンドガラスに向いた状態での昼食。
置いてあった箱を開けると、サンドイッチが入っていた。
朝ごはんだって食べてないし、お腹は空いている。
けどこれを食べるのはあまりに無防備過ぎる。
しばらくサンドイッチを見つめて、ため息をつきながら蓋をした。
「毒なんて盛ってないから、気にせず食べればいい。」
「そんな言葉を信じるほど、俺は間抜けじゃねぇよ。」
見るのも嫌で、そっと椅子にサンドイッチの入った箱を置いた。
視界に入れていると、どうも食べたくなってしまう。
燿は呑気にサンドイッチを食べ始める。
俺だって腹減ってるのに…。
だめだ、考えると余計にお腹が減ってくる。
何も考えまいと、きらきらと輝くステンドガラスをぼーっと見る。
「俺が黒埜の両親と出会ったのは、
母を亡くしてまだ数ヶ月の時だった。
親父から事情を聞いたらしい2人は俺に話しかけてきた。」
「…。」
突然話し出す燿に目線を向けると、
さっきまで食べていたサンドイッチはもう手になくて、
真っ直ぐステンドガラスを見ていた。
その目はきらきらしているステンドガラスとは正反対に、
深い影が奥深く根付いていた。
「最初に話しかけてきたのは母親の方。
俺はまだ迅李と出会う前で、
内気で人見知りする時だったから何も反応しなかった。」
「…。」
「話しかけても何も言わないのに、
君の母親は俺に話しかけるのをやめなかった。」
当時のことを思い出しているのか。
燿の横顔が少しだけ、微笑んだ様に見えたのは。
こいつは俺の知らない、俺の両親を知っている。
俺は両親がどんな人だったのか、
どんな風に笑うのか、どんな声なのかも知らないのに。
ぐっと底の方から煮えたぎる何かが湧いてきそうになる。
「俺の親父と黒埜の父親が
入院中で仲良くなって、退院後も会う機会があった。
それに俺も少しずつ慣れて、話す様になった。」
「…。」
「黒埜の母親は出会った時にはもう
黒埜を妊娠していたらしくて、
数ヶ月後には腹が明らかに大きくなってた。俺は何故か分からなくて
聞いたんだ。そしたら見た事のない笑顔で言われた。」
そっと目を閉じる燿。
さっきの顔とは違い、何処か悲しげな表情で。
母親を亡くしたばかりの燿の目に、
これから母親になる彼女はどんな風に映っただろう。
「『ここには優くんとの天使が眠ってるのよ』って。
意味が分からなかった俺に
親父が子供が生まれるんだって教えてくれた。」
「…。」
「俺は知らなかった。子供ができると幸せそうに笑う事を。
生まれてくる子を、待ち望む人がいる事を。じゃあ俺の母は、
俺を待ち望んでくれたのだろうか。そう考える様になった。」
俺の母親と燿の母親。
自分の目の前で命を絶った燿の母親は、
自分を望んでくれたのか。
当の本人が居ないから真実は分からずじまいではあるが、
燿はその日愛情というモノを知った。
愛情を知って、気付いた。じゃあ自分は?って。
「羨ましかった。まだ生まれてもない君が。
もうとっくに生まれてる俺より愛されてたのが。
ずっと分からなかった。なんで俺は愛してもらえなかったのか。」
「…それが動機か?」
「いやまさか。母が死んでからではあったけど、
親父は不器用なりに俺を大切にしてくれた。
それに黒埜の両親も、赤の他人の餓鬼を大切にしてくれた。」
俺の顔を見て、ふっと笑う燿。
俺が見た燿のどの表情より、優しい顔をしていた。
いつも冷たく影のある目に、少しだけ光がさした気がした。
だけどすぐいつもの目になり、ステンドガラスに目線を戻した。
母親が死ぬ前に、愛情を知る事が出来たなら。
父親がもっと早く、家族を大切にする意識を持ってくれていたら。
もしかしたら、燿の母親は自ら死なずに済んだのかもしれない。
もしかしたら、俺の両親も。
…なんて言い出したらきりがない。
短く息を吐いて、自分を落ち着かせる。
過去は変わらない。
こいつは俺の両親を殺して、先生を苦しめた張本人。
こいつに対する憎悪の感情を、忘れてはいけない。
俺に来るはずだった、温かな家族の未来。
俺は両親の声も、愛情も、温もりも知らない。
けど俺にも、大切な人が出来たから。
俺には守る人がいるから。
「俺は正直、実感がない。
俺に両親が居た事も、大切にされてたって事も。
だってつい最近まで両親の存在自体知らなかったから。」
俺なんかより先生の方がずっと、俺の両親と過ごした時間は長い。
きっと情も、先生の方が強いと分かっている。
俺がここまで育ったのは、
先生が全てを抱えて苦しんでも俺を愛してくれたから。
俺にとっての家族の愛情は、先生だった。
「俺にとって、先生の存在はでかい。
先生が望むなら、俺はお前を殺す事を躊躇しない。」
「…ははっ、曲がった愛情だね。」
「曲がった?俺は“普通の愛情”を知らない。
そんな俺にとってこの感情は何よりも真っ直ぐだよ。」
真っ直ぐ燿を見て言う。
燿は返す言葉もなく、黙った。
誰かに『それは間違っている』と言われたとしても、
俺はそれを止めようとは思わない。それは俺が普通じゃないから。
“間違っている”と言うのは、それが普通じゃないから。
俺が普通じゃないなんて、今更だ。
「…なぁ黒埜。
俺はこの手で君の両親を殺したんだ。」
「…。」
「俺を、殺したいって。
君の意思で、そう思わないの?」
ゆっくりと俺を見て、微笑む。
…殺したい?俺が燿を?俺の意思で?
俺を天涯孤独にした張本人。
こいつのせいで先生は苦しい思いをした。
俺が今日、こいつについて来た理由。
それは俺がこの手で、やらなければいけない事があると思ったから。
俺が、俺だけが、やらなければならない事。
けどそこに俺の意思などあるのだろうか。
俺が、こいつを殺さなければ。
俺は無意識のうちに、義務と感じていたんだ。
俺がやらなくて、誰がやる?
もうこれ以上、俺のせいで傷付く人を見たくない。
これが俺にとっての、最善だと思うから。
……俺の意思で、そう思ったんだ。
そっと、立ち上がる。燿は何も言わない。
「…正直、分からない。お前を恨んでいるのかも、
殺したいと思っているのかも。それはきっと俺が欠陥品だから。
俺が、普通じゃないから。」
「…。」
「でも、1つだけ。分かる事がある。
これは義務で、俺が今日まで生きた意味だと思う。」
今日まで知らない感情をみんなから沢山、貰った。
感情が欠落している俺に、笑ったり泣いたり優しさだったり。
それらを教えてくれた先生、白燈、楓や龍。
…知らない方が楽だと今でも思う。
感情なんて面倒で、ない方がいいと思う。
けどそれ以上に温かくて、
俺を支えてくれるモノだと知ってしまったから。
そんなみんなを守るために。
「特別な理由なんていらない。
呼吸するのに理由がない様に。生きるために。
俺は、お前を燿を、殺す。これは俺の“覚悟”だ。」
ポケットに忍ばせていたのは鋭利なナイフ。
これはさっきまでいたあの部屋で見つけたもの。
ベットの下にひっそりとあったこのナイフは、
もしかすると燿自身が置いたものかもしれない。
それでもいい。それでいい。
こんな奴を殺すのに、道具は選ばない。
走り出してそのナイフを高く振りかざす。
燿は一瞬、驚いた表情を見せた。
けどそれは本当に一瞬で、燿はそこを動かなかった。
立ち上がりもせず、ただじっと俺がそこまで行くのを待つ様に。
そっと、目を閉じた。
「っっ!!死ねぇぇええ!!!」
「黒埜っ!だめだっ!!」
扉の開く音と一緒に、俺を呼ぶ声がした。
聞き慣れた、大好きな声。
でも俺はもう、止まれなかった。




