12.静寂
起きてリビングに行くと、ミルクをあげていた。
麗子さんとは少し、顔を合わせづらい。
昨日あんなだったから、仕方ないか。
部屋を見渡すが優司さんの姿がない。
『優くんなら植物にお水あげてるよ。』
今日は珍しく朝から晴れている。
外に出ると地面も乾いていて、少し太陽が眩しい。
左に曲がると沢山の植物が置いてある。
全部優司さんが育てているのだけど、
薬剤で使うものから趣味で育てているものまで様々。
白衣を着て可愛らしいぞうのじょうろで水をあげている優司さん。
麗子さん、わざと可愛いぞうのじょうろにしたな。
『優司さん。』
『あ、おはよ。』
にこっと笑って振り返った。
優司さんの育てる植物はどれも綺麗で、
大切に育てている事が見て分かる。
麗子さんは仕事時のみ眼鏡をかけているが、
優司さんは相当目が悪いのでコンタクトをしている。
朝限定でこの眼鏡姿が見れるのだが、
麗子さん曰く、『いつも眼鏡かけて欲しい』らしい。
優司さんは眼鏡は動き辛いから朝だけって。
麗子さんは数日落ち込んでた。
『今日も元気に咲いてるだろ?』
『どれが薬剤に使うやつ?』
『こっちから全部薬剤だよ。そっちは趣味。』
正直植物知識はないから、聞いてもあれなんだけど。
植物の話をする優司さんはとても楽しそう。
僕は静かに優司さんの植物話に相づちをうつ。
『そうだ!水やり付き合ってくれたお礼に
良いもの見せてやる!』
『え?僕何もしてないけど。』
『いいから、いいから!』
そう言って優司さんはすぐそこにある研究所に向かう。
一応家の中にも簡易的な研究室があるけど、
本格的に仕事をするのはこっちの研究所。
ちゃんと仕事とプライベートは別にしたいと、建物を分けたらしい。
結局あの子が産まれてからは行き来が大変になったから、
簡単な事は家で出来る様、空き部屋を改造したみたいだけど。
…改造といっても机とびっしり資料の入った棚があるだけだけどね。
『良いものって?』
『まぁ見たら分かるって!』
ご機嫌に鼻歌を歌いながら研究所の鍵を開ける。
研究所の鍵を持っているのは優司さんと麗子さんだけ。
まぁ研究所使うのその2人だけなんだから当たり前なんだけど。
中に入ると独特な匂いが鼻をかすめる。
例えるなら、病院的な。椅子に座って待っていると、
優司さんは2冊のノートを持って来た。
少し分厚めの紅と紺のノート。
『これが、良いもの?』
『そう!とっても、良いもの!』
にこにこ笑ってぺらぺらとページをめくる優司さん。
表紙には何も書かれていない。
これは何のノートなんだ?
首をかしげていると読んでいたノートを閉じて僕を真っ直ぐ見る。
『これは!俺と麗の日記。
まぁ毎日書いてる訳じゃないんだけど。』
『はぁ?ちょっと、いくら夫婦でも日記を勝手に
僕に見せちゃだめでしょ。怒られるよ?
てか自分のだろうと、なんで日記見せるのさ。』
優司さんにつられてノート読まなくて良かった。
僕まで麗子さんに怒られるじゃん。
巻き込まないで欲しい。
すると大きな声で笑い出した。
『いやいや!流石に無許可で日記見せないわ!
ちゃんと許可取ってるから!それにこれはただの日記じゃない。』
『はぁ…?』
『言っただろ?良いものだって!』
何を企んでるのか知らないけど、嫌な予感しかしない。
優司さんは頭良いはずなのに
時々とんでもなく馬鹿になるからな。
『これは俺らが親になった日から2人で書き始めたんだ。』
ノートをそっと手で撫でる。
その目も、動作も。優しさを感じる。
『あの子はもちろん、お前の事も書いてある。』
『え、僕?』
『そう!いつか読ませたいって2人で話してたんだ!
俺らがどれだけお前とあの子の事大好きかが、書いてあるんだよ!』
…馬鹿だ。親バカだ。
いや、僕の場合は親じゃない。
って、そうじゃなくて。…やばい混乱してきた。
何言ってんだこの人。と言うかこの夫婦。
予想外過ぎるし、奇行に走り過ぎ。
『何してんの、そんなの絶対読まないけど。』
『えぇ!!せっかく書いてんだから読んでよ!』
大げさにがっくり頭を抱える。すごい残念そうだけど。
僕がそれ聞いて読まないって言うの、分かるじゃん。
本当に学習しないの、何なの?わざとなの?
やっぱり急に馬鹿になる優司さん。
『じゃあ置いとくから!気が向いたら読んで!な?』
いや読まないけど。
机の上に置く場所を作り出した優司さん。
すると麗子さんが呼ぶ声が聞こえた。
どうやら朝ごはんが出来たみたい。
『あのさ、』
『ん?』
外に出て優司さんが研究所の鍵を閉める。
その表情は分からない。
『俺、普段ふざけてばっかだけど。…本気だから。』
『……。』
何の事を言っているのか、すぐに分かった。
昨日、麗子さんと話した事。
でも、それは僕だって譲れない。
この人たちは僕にとって、人生の全てだから。
『…僕も、本気だけど。』
振り向いて僕の目をじっと見つめてくる。
その目はいつもの明るい目じゃなくて、
真剣で強くて。見た事のない、怖い目。
『そっか〜!じゃあ良いんだ。』
にこっと笑って、いつもの笑顔に戻る。
またご機嫌に鼻歌を歌いながら、家に戻って行く。
…思ったよりあっさり引いたな。
そのあと家に戻って麗子さんの
変わらず癖のある朝ごはんを食べる。
『そうだ!久々にお前のご飯が食べたい!』
まーた優司さんが面倒な事を言い出した。
それに麗子さんも乗っかって、結局僕がお昼を作る事に。
まぁ僕が作れば麗子さん楽だし、いっか。
せっかくだから町に行って、食材見てこよう。
時間もある事だし。
2人は仕事があるみたいだけど、量はそんな多くないみたい。
家で交代で作業するから天使のお世話は大丈夫だと言われた。
『じゃあ出掛けてくる。』
『『行ってらっしゃ〜い!!』』
元気な2人に見送られながら町に向かった。
さて何にしよう。適当にお店を見てみる。
町自体は小さいけど食材はどれも新鮮で良いものばかり。
お店も結構あって、悩む。
湿度が高くてじめじめしてるけど、
こんなに良い天気久々だ。
しばらく色々巡って食材を買い集める。
色々見てたら欲しくなって、結構な量になった。
ようやく帰ろうとしたら頰に冷たい感触。
『…え?雨?』
買い物に夢中になっていたら、
天気が悪くなっている事に気付かなかった。
さっきまで良い天気だったのに一気に悪くなったな。
どうしよ、せっかく買ったものが濡れてしまう。
困っているとそのお店の人が傘を貸してくれた。
『すみません、ありがとうございます。』
『良いのよ〜!条園さんとこには
いつもお世話になってるからね〜!』
とっても良い人でなんかおまけまでくれた。
それじゃあ傘もあるし、帰るか。
雨の音が周囲の音をかき消していく。
段々家に近付くにつれて、すれ違う人の数も減る。
気付けば辺りは雨の音だけで、静寂に包まれた。
『ただいま〜』
『おかえりなさい!
急に天気悪くなったけど、大丈夫だった?』
『うん、お店の人が傘貸してくれた。』
ダイニングテーブルに買ってきた食材を置く。
途中から買い物が楽しくなって、色々買ってしまった。
どうせ麗子さんが夕飯か後日にでも
使ってくれるだろ、って思ったらつい。ついね。
『うわぁ、色々買ってきたね!?
これなら夕飯の買い物いらないかも。』
『雨降ってるし、丁度いいでしょ。』
色々歩き回ったせいか、お腹がすいた。
さっさと作ってしまおう。
同時進行で麗子さんはミルクの準備。
そろそろ作り終わりそうな所で匂いに釣られたのか、
優司さんが部屋から出てきた。
『良い匂い〜、ご飯出来たの?』
『うん!食べる準備しよ!』
麗子さんが出してくれたお皿に盛り付ける。
天使は一足先にお腹いっぱいになって寝てしまった様だ。
みんなで手を合わせる。
『ん〜!やっぱり料理上手〜!!』
『ほんと!!麗と違って癖もなk…』
『優くんなんか言った?』
『いえ、何も。』
2人のやり取りを見てつい笑う。
いっつもこうやって余計な事言うんだよな。
…面白いから止めないけど。
2人ともそこそこの量をぺろっと平らげた。
自分の作ったものを美味しいって食べてくれるのは嬉しい。
作るのは面倒だけど、たまになら良いかもって思う。
僕たちがわいわい言っているのを見て、
天使が声をあげて笑ってた。
話し声で起こしちゃってたみたい。
…この子が大きくなったら絶対作って食べさせたい。
『お前今、大きくなったらご飯作って
食べさせたいとか思ったんじゃ…って痛っ!』
図星を突かれてしまったので、思わず手が。
いらない事言う優司さんが悪い。
本当に学習しない人だ。食べ終えた食器を片付け始める。
普段は仕事に家事に育児に忙しい麗子さん。
たまには負担を減らしてあげたい。
優司さんが全く手伝わない訳じゃない。
ただやらかす事の方が多くて、
手伝おうとしても麗子さんに止められるんだ。
優司さんらしいと言えば優司さんらしい。
まだお昼休憩時間だし、そのままみんなでゆっくりする。
『…なんか雨の音強くなってきたね。』
『今日は一段と雨強いみたいだな。』
窓の外を眺めている優司さん。
そう言えば昨日も洗濯物が乾かなくて嫌だと
麗子さんが愚痴っていた。
確かに連日こんな天気だと、乾かないのも仕方ないよなぁ。
まだ昼過ぎだと言うのに、外は薄暗い。
__トントンッ
『ん?この時間にお客さん
来る予定なかったはずなんだけど。』
いつも来る人は大抵決まっていて、
大体来る時間や日付を把握している。
それにこの時間はお昼休憩しているとみんな知ってるから
よっぽどの事がない限り来客はない。
優司さんが玄関へ向かう。
『…珍しいね。』
『うん、急に体調を崩したりしたのかな。』
そうだと大変だと、麗子さんと抱っこを交代。
急な体調不良だと優司さん1人でも何かと大変だし。
僕が麗子さんから天使を受け取ったその瞬間。
『っっ!!こっちに来るな!!!』
聞いた事のない、優司さんの叫ぶ様な声。
僕と麗子さんは思わず固まってしまった。




