第1話~役員会議は、嵐の予感!?~
ユリ課長「こんなことで、プレミア昇格なんか出来る訳ないでしょ!分かってるの!?」
イングランドサッカー2部チャンピオンシップ所属 ロンドン・ユナイテッドFC役員会議の席上、総務部エージェント課イ・ユリ課長の怒声が響いた。韓国人女優と見紛うほどの黒髪・美貌を有する彼女の剣幕には、周囲の誰もが尻込みしている。標的となっているドイツ人監督のフィッシャーは、卓上に目線を置いたまま微動だにしない。周りの役員がチラリと彼を見る者もいるが、黙殺している。
ユリ課長「アンドレア・ピルロを私が入れたことで得点力が向上したのに、この失点は何よ!!得点率が失点率より下回っていたら勝てる分けないでしょ!もっとしっかりなさい!!」
ユリ課長は、2015年、今年の夏にユベントスと契約の切れるピルロを移籍金ゼロで引き抜いたのだ。ロンドン・ユナイテッドFCとしても、この様な大型移籍は初めてで巷では『世紀の移籍』などと騒がれたりしたのだが・・。と、突然、下げていた頭を上げフィッシャー監督が震える声で語り始めた。
フィッシャー監督「わ、私は、貴女達に守備的アンカーと次世代GKを要求した筈です。それが、攻撃的ボランチでは話が、その・・違うのではないですか?」
ユリ課長「何ですって!?」
周りの役員も、まさかフィッシャー監督が反論するとは思ってなかったのか、驚いて見る者もいる。間髪を入れずにユリの形相は、険しくなる。
ユリ課長「いいですか、フィッシャーさん。選手を雇用するには、コストが掛かるんです。選手を雇うのに、無駄な選手を数名雇うより、ピルロ選手のような貴重な選手を得ることの方が重要なこと、分かりませんか?」
フィッシャー監督「貴女はご存知ない。チームは組織だ。短期決戦なら貴女の案も必要でしょうが、リーグ戦では違う。吐出した選手は、マークされて潰されてしまう。ピルロをハードマークされてしまうと、パスの出所がなくなってしまう。」
ユリ課長「それを他の選手で補えばいいじゃない!」
フィッシャーが、ユリの発言を聞いて口を歪めて笑ったのだが、この行為が彼女に火をつけた。
ユリ課長「何がおかしいの!貴方、自分がどういう状況にいるか、分かってないんじゃない!」
フィッシャー「これは失礼しました。ですが、分かっていない?とは、どういう意味です?」
ユリ課長「勝ちに拘らない監督なんか必要ない、そう言ってるのよ!」
この発言には、周りの役員達も動揺を隠せない。ユリ課長は、口元に皮肉混じりの笑みを浮かべて嘲笑しているように見える。すると、其れまで控えめにしていたフィッシャー監督が赤い顔をして声を搾り出す。
フィッシャー監督「それは、解雇と捉えて宜しいのでしょうか?」
ユリ課長「さっきから言ってるでしょ!このままでは、そうなると。」
ユリ課長は、片手を腰に当て、卓上を会議資料で”バン!”と叩きながら話す姿勢が、俯いて座っているフィッシャー監督を見降ろしているように見えた。
エリック室長「ちょっといいですか?」
ユリ課長「何か?」
エリック室長「伺っていると、貴方はまるで会長から聞いているように感じるが、私はそのようなこと、一言も聞いていない。」
会長不在を懸念していた秘書室長のエリック・ランドルスは、ユリ課長の発言を訝しんだ。オーストラリア出身でブラウンヘアーをナチュラルなオールバックにし、無精髭を生やしたその風貌は、ワイルドかつ筋肉質の高身長から織りなす渋い印象で雄の色気を漂わしている。そのため、社内でも女性達に人気があるのだが、その一徹さから前社長の信任も厚く、現会長も信用を置く人物であった。ユリ課長は、一瞬、引き攣った笑みを浮かべ直ぐに微笑へ切り替えた。
ユリ課長「失礼しました、熱くなり過ぎましたね。チームを想っての発言、巷の声を代弁してしまいました。」
痛烈な皮肉に、またも、会議の席が静まり返る。エリック室長が荒立てるより核心を得たいと本題の追求に移る。
エリック室長「エージェント課として、フィッシャー監督の要望にどう答えたのか、それを説明願いたい。」
ユリ課長は、笑顔から一転、無表情に変わると資料を回覧し始めた。エリック室長、フィッシャー監督も受取り、眼を見張り書かれていた内容に会議席場も一気に騒めいた。口火を切ったのは、契約課課長のトニー・ロンド。口髭を蓄えた恰幅の良いイングランド黒人で、丸刈りの鋭い目つきは強面で有名である。
トニー課長「ユリ課長、この資料は会長も見ているのかね?」
ユリ課長「残念ながら、まだです。会長がエミレーツグループと資本提携を行うため、ドバイにいらしてますから・・そのため、今、私の部下達で状況調査を先行しています。」
フィッシャー監督は、食い入るように資料を見入っている。時より指で選手情報をなぞり、何やら復唱して確認している。ユリ課長は、檀上に上がると傍で控えていたエージェント課の部下リサ・ヘイワーズに顎で指示を出した。ポニーテールに髪を結ったイタリア系アメリカ人の彼女は、エージェント課の内勤担当であり、その実力は追随を許さない。資料、情報収集は桁違いの実力を見せる。そのリサは一瞬、口元をへの字にしたが澱みなくパワーポイントを操作する。
ユリ課長「では、今から資料の説明に入ります。フィッシャー監督からの要望を受けエージェント課としても、協議を重ねて参りましたが、闇雲に選手獲得に動くのは得策でないと判断し、三カ年計画書というものを検討しました。それが、お手元の資料です。」
各役員達は、資料を見て思わず唸っている。報告書には、
1、現状
2、問題における課題
3、対応と対策
4、上記における、収支予測
等が書かれている。ユリ課長が身振り手振りを交えて、上記の詳細事項の説明を行う。プレゼンテーション能力は随一の彼女。たまに脱線するが、それも聞く者に含み笑いをもたらす。ピックアップして解説を行った後だった。
ケイト社長「ちょっと、いいかしら?」
ここで挙手したのは、グリフ製薬会社社長にして、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ客員教授を務める才女、ケイト・ヒューイックである。ウェーブのかかった長いブロンドヘアにブルーアイが特徴の彼女は、まさにグリフ製薬会社の頭脳というべき実力者。彼女は細胞生物学の権威で、その開発した抗体医学の抗がん剤で助けた世界の癌患者は数知れない。次期ノーベル生理学賞候補とまで呼ばれている。グリフ製薬会社は、ロンドン・ユナイテッドFC創設者である、ラドワード・グリフ会長がCEOを務めていた親会社であり、その規模は市場ナンバーワンで売上高は前年500億ドルを超えている。
ケイト社長「この計画書・・あなたが?」
眼鏡越しに書面から目を離し、ケイト社長はユリ課長を見つめる。流石のユリ課長も、この女傑に睨まれると背筋に冷や汗が吹き出てしまった。
トニー課長「社長、研究費100億ドルを差し引いたとしても、400億ドル。チーム運営費など気にする額ではないでしょう。」
ケイト社長「それもそうね。」
ユリ課長は、見ていないところで”ホッと!”表情を緩ませた。
ケイト社長「でも・・この『モナコB所属 キリアン・ムバッペ 16歳』に、これ程の試算価値はどうなの?まだ、出場してないようだけど・・」
ケイト社長は、研究一筋の傍らロンドン・ユナイテッドFCの熱狂的なサポーターでもあり、例え研究論文執筆で疲労困憊であっても、ホーム戦には欠かさず観戦している熱い女である。
ユリ課長「はい。彼こそピルロのパスを受ける、将来の逸材です。資料の15ページをご覧ください。彼はサイドでのプレーを得意しており、縦への突破や崩しでチャンスを掴みます。しかも、圧倒的なスピードで相手を離すことができるので、カウンターから一気に相手DFを置き去りにしてゴールを奪うことが期待できます。スピードと緩急でサイドを駆け上がってからのラストパスや切り返してシュートを打つプレーが多く考えられますし、まだ若いですが、判断スピードも素晴らしいものがあります。自分が打つのが良いと判断した時は迷いなくシュートを打ちますし、それ以外の選択肢が有効だと判断すれば他の選手にパスを出します。逆サイドでの攻撃ではゴール前に侵入し的確なポジショニングでシュートを放つでしょう。是非、期待して欲しいです。」
トニー課長「聴いていると、凄過ぎて判断しかねるよ。まだ試合に出ていないのに保証できるのかね?」
ユリ課長「保証ですか?」
トニー課長「そりゃあ、そうだろう。まだ、フランス2部モナコBで1試合にも出てないんだ、そんな選手にこんな高額を払う意味があるのかね?」
ユリ課長「それが、先程の説明ですが?」
トニー課長「だから、保証は?と聞いてるんだよ!」
ユリ課長「トニー、私は選手を予測で選別してるのよ、それのどこに保証があるの?大活躍したからといって翌年も活躍できるか?と言ったら違うことくらいあなたにも分かるでしょ?」
ユリ課長に反論され、トニー課長も思わず渋い顔をする。正論であるが判断材料に乏しい、何か確証が欲しい・・ということなのだが。『私は』の箇所が気になった。
フィッシャー監督「ユリ課長、このPFC CSKAモスクワのフョードル・チャロフ選手も同様ですね・・17歳、うん、同タイプですが?」
資料を隅々まで目を通していたフィッシャー監督が確認を求めてきた。
ケイト社長「彼もトップチーム出場経験がないのねぇ・・・」
ケイト社長も頬杖をつき、資料を見ながら呟く。と、ユリ課長は、会議席を見渡して話し始めた。
ユリ課長「先程、フィッシャー監督にもお話した通り、課題は得点力にあります。現在のFWは、マルコ・サウ、スティペ・ペリツァ、パブロ・ロハス選手の3名、三人合わせても20ゴールありません。ピルロ選手を起点としてボールは回る、チャンスもつくる。 でも、誰が決めるのか――という仕上げの部分でつまずき、最後まで解決策を見いだせない――というプロセスの方に問題を抱えています。結局は「ないものねだり」ですが、これらの弱点を補うだけのアイデアや戦い方を見つける必要があるんです。」
ケイト社長は、眼鏡越しにユリ課長を見据え、トニー課長は、腕組みをして渋い顔を、フィッシャー監督は頷きながら聴き、周りの役員達も前のめりで聞いている。
ユリ課長「ストライカーは、大きく三つに分類されます。一つ目は、ボールがキープできて反転してシュートを打ったり、起点になるようなボックスストライカー、二つ目は、ドリブルを仕掛けて自分で打開してゴールしたり、裏抜けしたりするラインブレイカー、三つ目は、ターゲットになってヘディングができるような大柄なポストプレイヤーです。我々は、この二つめに注目しました。この能力は、生まれ持った資質が大きく関係します。それが、瞬発力とスピード。駆け引きについては学ぶことが出来ても、前述の二つは困難です。その大事な資質を持った、チャロフ、ムバッペ選手の両名が必要なのです。若い時からの期待と育成、それを行うなら今しかありません!」
このユリ課長の発言に、会議室の面々は大方異論もなく頷き納得は、しているようだ。
エリック室長(本当に、ユリ課長がこの意見を?・・はは~ん、さては姫だな!)
間もなく会議が終了しユリ課長はリサに
ユリ課長「後、宜しくね。」
トニー課長「ユリ課長、ちょっといいかな?」
リサに振り向きもせずに退出しようとしたユリ課長に、トニー課長が近付いてくると二人は談笑しながら出て行った。フィッシャー監督は、どこかに電話しているようだが、その顔は至って明るく楽しそうだ。心持ち、頬も若干紅潮している。
エリック室長「お疲れさん。」
リサの元に、エリック室長が来たのだが、リサは振り向きもせずに片付けを行っている。
リサ「どーも。」
エリック室長「相変わらず資料は完璧だったね。ユリ課長のプレゼンも悪くなかった。」
リサ「そーですかぁ?」
エリック室長「うん。しかし、『私が』の返答には内心笑ったがな。」
と、今まで黙々と片付けていたリサが初めて振り向いた。
リサ「あれが、うちの上司です、ハイ。あ、室長、そこのケース取ってもらえますか?」
役員であるエリック室長でも平気で頼む、彼女も相当な曲者だ。
エリック室長「ああ。」
リサに言われてエリック室長は、ケースを手渡した。
リサ「今を見ながら先も見据えて、両方を熟しプレミア昇格を狙うのは、メッチャ難しいですからね。しかも、身内のトップが引掻き回すし。」
エリック室長「うん。」
リサ「でも、あの計画書の通りに行けば、面白くなります。無意味なピルロ獲得も活かせますから。」
エリック室長「はは、痛烈だな。」
リサの無遠慮な上司批判は、相変わらずだ。御世辞も偽りもなく、ただ正直に物を申す。周りも彼女の態度を非礼と捉えるものも多く、そのため内勤が続いているのだが本人は意に反していない。
エリック室長「で、当の計画書立案の本人、舞は?」
エリック室長の問いかけに、今まで無表情だったリサが満面の笑みを見せる。小ぶりの口から見える白い歯が素敵に輝く。
リサ「フランスのモナコに居ます。今日は、ムバッペ君と直接逢うそうですよ。」
ケイト社長「リサ、舞は彼を推してるの?」
エリック室長、リサの会話に、背後からケイト社長が入ってきた。若干眉を曇らせ・・
リサ「チーフ曰く『ロシアワールドカップで、とんでもないことが起こる』そうです。」
エリック室長「ワールドカップに?」
ケイト社長「19歳でフランス代表にでもなれるというの?あの大国フランスで・・」
リサ「チーフは、そう観てます。問題は、フランスリーガ1のパリ・サンジェルマン、リーガエスパニョーラーの銀河系軍団レアル・マドリード、今世紀最高監督ジョゼップ・グアルディオラ率いるプレミアのマンチェスター・シティー、これらのチームが本腰を入れて獲得に来た時にどう防ぐか・・チーフは先を観てますよ。」
ケイト社長「やだ!早く言ってよ、捉え方が変わるじゃない!」
エリック室長「舞は、試合に出ていない彼を観切っている、と?」
リサ「他にも、エジプトのムハンマド・サラーもそう。チーフの眼力と女の勘は脅威ですから。侮れませんよ~♪では、失礼しまーーす。」
そう言うと、リサはケースを抱えて会議室を後にした。
ケイト社長「やっぱり、舞の考察だったのね。じゃ、エリック、スタジアムで!」
ケイト社長は、エリック室長の肩を会議資料で軽く“ポン!”と叩くと会議室を後にした。後ろでは、先程、あんなにユリ課長と揉めていたフィッシャー監督が、楽しげにスマホで会話している。そして、時折「マイ」と呼ぶ声が聴こえていた・・
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